貴方の夢を全力で否定する
黒いメヂア。そこから離れたのは、瘴気だった。そのメヂアと同じ、黒い毒のような霧は、瞬時にレーナを包み込んでしまう。
「なんだよ、これ!」
レーナは瘴気を振り払うつもりで、回し蹴りを放つ。以前、魔族がこの手の攻撃を仕掛けてきたことがある。そのときは、この方法で瘴気を払えたのだが……。
「これは、魔力か!?」
しかし、効果はなかった。あのときは、魔力を霧に変換した攻撃だったが、これは魔力そのものだ。物理的な干渉は不可能。瞬く間に瘴気がへばりついてくる。
「だったら……!!」
逃げ出すしかない。レーナは瘴気から離れるため、後ろに向かって床を蹴る。ハリスンは諦め、教室から離脱したものの、瘴気は蛇のようにまとわりついて体にくっついたままだ。
「くそ、逃げられねえのか!?」
体から離れないどころか、瘴気は次々に広がり、口から、鼻孔から、耳孔から、レーナの体内に侵入しようとしていた。
(ダメだ。吐き出せない。これは――!?)
レーナの視界が消失する。ただ、何が起こっているのか、把握する余裕すらなかった。なぜなら、彼女を包んだ黒い瘴気は彼女に見せたから。黒いメヂアの中に押し込められた呪いを。
――時間を無駄にしている。
――どうして、現実から逃げいるの?
――認められないのは、自分に価値がないから。
呪いに飲まれる直前、レーナはこれがどういった攻撃なのか理解した。
(クリエイタの苦しみで作られた……呪いか!!)
そう、創作の中で悩み苦しんだ感情が呪いとなったもの。それを凝縮して限界まで詰め込んだものが、あのメヂアの正体と言うわけだ。
作品の否定。
人格の否定。
想い出の否定。
人生の否定。
価値の否定。
否定。否定。否定。否定。
繰り返される否定は、レーナの精神を蝕んで行く。少しずつ噛み千切り、食い殺そうとしている。
(この程度の呪いで……私をやれると思うな!!)
レーナは強靭な精神力で呪いに耐える。いや、踏み倒そうとする。クリエイタの抱える苦しみは理解しているつもりだ。だが、ここで負けるわけにはいかない。否定を否定するしかなかった。
(それでも……私は表現したいものがある。信念があるんだ!)
クリエイタの呪いに勝つためには、クリエイタが持つ強い気持ちだけだ。呪いの方が否定しきれなくなるほどの強い想いによって。ただ、レーナが持つ想いは借りものだ。直前に聞いたユズの想い。強力な自己暗示によって、呪いに勝る想いを重ねる。
(確かに、才能はないかもしれない。ずっと続けても、時間を無駄にしているだけかもしれない。現実に向き合っていれば、本当は手に入ったかもしれない幸せを捨ててしまったかもしれない。そこに価値はないかもしれない。だけど――)
レーナは手を胸に当てる。
「だけど、ここから溢れ出てくる想いは、どうにもできない! 抑え込もうとする方が、病気になっちまいそうなんだよ!!」
ほんの数秒だけ、呪いが怯んだ。進行が止まり、レーナの体から逃げ出そうと、退いて行く。だが、すぐに呪いは活性化した。否定。否定。否定。
――その想いこそ価値がない。
――それが笑われているんだよ。
――人生を無駄にした負け犬のくせに。
そこで、レーナの精神は完全に呪いに食べつくされた。微塵の隙間もないほど、黒く塗りつぶされてしまったのだ。
(私には価値がない。一生笑われる、負け犬なんだ)
膝が折れ、よだれを垂れ流しながら、冷たい廊下に倒れ込む。
(もうダメだ。生きていることが恥ずかしい。死にたい。死にたい。死にたい……)
強制的にクリエイタが抱える絶望に埋め尽くされてしまったレーナは、生きる気力を失っていた。死にたいと想いながらも、立ち上がってそれを実行する気になれない。ただ、自分を消し去りたいと思う気持ちに、ゆっくりと押しつぶされていくだけだ。
(雪だ。……雪が降っている)
レーナの閉ざされた瞳の中で、確かに白い雪が降っていた。
(あ、デプレッシャ化するんだ)
その先の運命を知っている。それでも、レーナの体は動かない。それだけ、彼女の心は呪いに埋め尽くされていた。
「や、やっちまった。どうしよう、計画の前に使ってしまったんだ。代表に怒られるぞ……」
かすかにハリスンの声が。何やら動揺しているらしい。
「……ハリスン」
そんな彼を呼び止める声。女だ。
「だ、代表?? す、すみません。これは……」
レーナの意識が途切れる。絶望に溢れたまま、眠りにつくのは、ほとんど死と同義だった。
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