創作者たちの楽園
取り敢えず話を、とゼノアは黒スーツの男と向き合って座った。
「私はこの方の秘書となります」
男は名刺を渡すと思われたが、それをゼノアに見せると懐に戻してしまう。
「ど、どうして……」
名刺に書かれたビックネームを口にしようとしたゼノアだが、男は口の前で人差し指を立て、それを遮った。どうやら、ゼノアにしてみても、驚くような人物からの依頼らしい。男は言う。
「これから話す依頼内容は、すべて他言無用です。もし、世間に漏れるようなことがあれば、こちらの工房が消滅することをご理解ください」
一方的な男の態度に、レーナは目を細めたが、彼の後ろにある権力を想像したのか、口を挟むことはなかった。レーナからしてみても、この男の異質さは尋常ではないものがあったのだ。
「先日、私の主人のご子息が行方不明になりました。将来について主人と話し合った結果、反発して家を出たのです」
「あの、僕らは探偵業を営んでいるわけでは……」
「最後まで聞いていただくようお願いします」
「は、はい」
ゼノアが口を閉ざすと、男は数秒間、真っ直ぐと視線を送り続けた。もう二度と口を開くな。そんな圧迫感があった。
「ご子息の行き先はすぐに分かりました。我々には、それなりの調査力はあるので。そして、ご子息は現在、こちらの施設で生活しています」
男がチラシを一枚取り出し、ゼノアに手渡した。
「えっと……ミューズの楽園、ですか?」
男は頷く。チラシには白い外観の施設が大きく映し出されているが、どこか宗教的な雰囲気を連想させた。こちらで何が行われているのだろうか。ゼノアには想像もできなかったが、男が説明した。
「こちらは芸術活動に勤しむ若者たちが共同生活しながら、自分の創作に集中するための施設です。現在も、三百名ほどの芸術家が生活し、日々理想の作品を目指しているとか」
話の全容が見えてこない。かと言って、迂闊に質問するのも恐ろしかったので、ゼノアは続きを待つことにした。
「ご子息はクリエイタを目指していました。しかし、彼は主の跡を継ぐ大切な方です。王国存続のためにも、夢は諦めていただく必要があったのですが、若いご子息にはそれを受け入れられませんでした」
それで家を逃げ出して、この施設で自由に創作活動を続ける道を選んだ、ということか。
「ご子息が自らの意思でここに留まっている以上、私たちも強制的に踏み込むことは憚られます。大騒ぎになれば、主の評判を落としかねないので。つまり、できるだけ穏便にご子息を連れ戻せる人物を我々は探しています」
「それは……潜入調査、みたいなことでしょうか?」
男の口元がわずかに綻んだように見えた。
「察しが良くて助かります。この施設は芸術家でなければ、入居は不可能です。クリエイタとして施設に入り込み、ご子息を説得して連れ帰る。それが可能な人物を依頼をお願いしたいのです」
「なぜ、我々なのでしょうか? 他にも仕事を受けてくれそうなクリエイタもいると思いますが……」
「……この施設には嫌な噂があります。一度入居したものは帰ってこない。多くは芸術家にとって理想の環境だから、帰ってこないようですが、施設からも忽然と消えてしまう方がいるそうです。理想の生活を捨て、かといって、元の生活に戻るわけもなく、この世から消え去ってしまう。そんな話です」
「危険を伴う調査、ということでしょうか?」
男は頷く。
「こちらの工房には優秀なガードが在籍していると聞いています。しかも、クリエイタの心得もあるとか。だとしたら、この依頼を出すには、うってつけの工房と言えるでしょう」
「我々のことを調べたのですね……」
「当然です。ご子息を連れ戻すために、最も高い可能性を持つ工房にお願いしたかったので」
ゼノアが返事を躊躇していると、男はゆっくりと立ち上がり、またも美しい一礼を見せた。
「それでは、よろしくお願いします」
断ることは許されない。最初に彼が口にした言葉は本当なのだろう。男は主の息子の名前だけを言い残し、立ち去ってしまった。男が消えた途端、止まっていた時間が動き出すような、妙な解放感が流れるのだった。
「ど、どうしましょう??」
ゼノアがトウコに判断を仰ぐ。
「困ったね……。断ったら、工房が潰されちゃうんだよね??」
二人の視線は、唯一この依頼をこなせるであろう人間の方に向けられた。
「分かっている。やるよ。あの手のやつらは、前職で何度か関わったことがある。逆らったら工房どころか、私たちの人生が消滅させられちまうよ」
それから、レーナは錬金術師としての感覚を身に着けるため、何度もトウコの授業を受けなければならなかった。面倒だ、と何度も呟くレーナだったが、トウコは彼女のセンスに驚愕することになる。
「レーナちゃん、凄いよ。明日からでも魔石の加工を手伝ってほしいくらい」
「絶対に嫌だ。メヂアを作る側には回りたくない」
「なんで?? 学生の頃は興味あったんでしょ?」
「トウコを見てたら、余計に嫌になった」
「そんなぁ……」
数日後、依頼人が再び現れ、例の施設にレーナが入居できるよう、手続きを済ませたと言う。しかも、偽名まで既に用意したようだ。
「今日からレーナちゃんはレイミちゃんになりました。間違わないようにね」
「テキトーだなぁ」
「自分の名前と少し似た方が間違いにくいんだってさ」
こうして、潜入調査の日も決定するが、トウコは嫌な予感がしてならなかった。
過去作のリメイク的なエピソードになります。
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