65 食えない大僧正
その日、王城はものものしい空気に包まれていて、何も知らない人間でも息苦しさを覚えるほどだった。
俺の最初の仕事は簡単だ。摂政として、王の横に控えていればいい。
その先に古来からの重臣層が突っ立っている。そういう連中か、俺に敵愾心を持つ者か、おもねって取り入ろうとする者かに大半が分類できた。
結論から言えば、どっちもつまらない連中なので、なんの興味もない。むしろ、無能であることを向こうから教えてくれるだけありがたいと言える。
残りの少数が、実力と有能さを合わせ持っている奴らだ。
そういうのは、少し連中と付き合っていれば、すぐにわかった。俺の職業柄、優秀な人間かどうかはほぼ完全にわかる。それに、ケララという目利きがいてくれてもいる。それで外すことはまずない。
使える重臣層を取り込みつつ、ほかの無能はだんだんと排除する。だんだんと俺が信頼できる者の数を増やしていく。王家を乗っ取る下準備はそれでできる。
「摂政殿、今日の会見、上手くいくだろうか……?」
王のハッセはどうも腹芸ができるタイプではないらしい。帝王学を学ばないといけない時に放浪していたのだから、しょうがないのかもしれない。
「王より偉い者はこの国のどこにもいないのですから、堂々とふんぞり返っていたらいいんです。たとえ、宗教界の大物であろうとそこは変わりません」
鷹揚に答える俺にハッセはうなずくしかなかった。
そこに入ってきたのはオルセント大聖堂のカミト大僧正だ。
中央の政治の行く末に最も影響を持つ男だ。
年齢は五十歳を過ぎているはずだが、年のいった目ではない。少なくとも純粋に神に奉仕する者には見えなかった。晩年に形だけ神の道に入った武人のようである。
「オルセント大聖堂は陛下と長く友愛の関係を結びたいと思っております。つまらない品でありますが献上したいものがございます」
大僧正が持ってきたのは西方にしかいないとされている貴重なタカや、西海でしかとれないカメを使った鼈甲の彫刻や、乳白色をした磁器などが含まれている。
ハッセは無邪気にそれを喜んで受け取っていた。
まあ、俺が小言を言って機嫌を損ねることもないだろう。水は差さないでおこう。
ハッセは代わりにオルセント大聖堂に布教権と、一部の都市における神税徴収権を認めた。
布教権は王の代替わりごとにあらためて認可される必要があるが、これは名目的なことにすぎない。王の許可を得るまで布教活動をしていない神殿などない。
神税とは、寺院の復興や修理の名目で集められる税金のことだ。教団にとって大きな収入源になる。
王と大僧正の会見があった日の夜。
俺は宴席にカミト大僧正を招いた。俺の側はラヴィアラとケララが同席し、大僧正側も側近二人が参加している。
こちらの仕事のほうがはるかに重要度は高い、向こうもそれはわかっているだろう。
「若き摂政とお会いする日を楽しみにしておりました。この百年でもあなたほど若い歳で権力を握った方はいらっしゃいませんからな」
大僧正は表面上、好々爺のように笑っている。
「権力を握ったつもりはないのですが。陛下が王になる力添えをし、王になられた後はそれを補佐する、王家に仕える者としては当然のことですよ」
「そうでしたな。摂政は王をないがしろにすることなく、政務に励んでいらっしゃいます。それは疑いようもありません」
「それにしても、大聖堂は西側との貿易を上手にやっていらっしゃるようで」
あの献上品の数々は交易で手に入れたものばかりだ。逆に言えば、王都に入る前に城西県のオルセント大聖堂領でそういったものが止まっているのだ。
言うまでもなく、大僧正はオルセント大聖堂の影響力を王に誇示するためにああいったものを贈った。
思った以上に王都近辺の富は城西県に集まっている。
オダノブナガが「サカイに物がたまるのと同じだ」と言っていた。サカイというのは境界ということなのだろうか。たしかに境界は交易の場になりやすくはあるが。
「あれは、敬虔な信者たちが寄進してくれたものです」
お互いに言葉を選んでしゃべっているのがわかる。
「では、これからも青二才の摂政を補佐していただけると助かりますよ」
俺が杯を挙げると、大僧正も杯を挙げた。
建前としてはお互いに相手を認める形で宴席は終わった。
「不気味な人でしたね」
ラヴィアラが宴席がはけた後に漏らした。
「本心は枝の先ほどもしゃべっていませんでした。脅しすらかけてこなかったし、仲良くしようとという意志表示も見せない。あそこまで何のメッセージも出してこない方は珍しいです」
俺もそのラヴィアラの言葉に同意する。それから、ラヴィアラは「こんなに成果がないなんて」と嘆息した。そこだけが俺と違う意見だった。
「成果がないということがわかった。はっきり言って、それは収穫だ。わからないままよりずっといい」
敵か味方か早いうちにあぶりだすことにするか。
俺はノエンとマイセルに部隊がすぐに動けるように調練しておくように命じることにした。
それと、ある程度信頼できる王の直轄軍の一部を王から借りた。王に敵対する敵を倒す範囲では、これも利用できる。
翌月、俺は王都近隣の県のいくつかの都市の税の徴収権を王から獲得し、そこに息のかかった人間を派遣した。意図的にオルセント大聖堂に近しい都市をいくつか入れている。
都市としては俺に支配される形になるから反発は予想されたが、この時点でのはっきりした動きはなかった。
では、次にどうやって動くかだな。
二か月後、俺は王に歯向かった者を匿っているとして王都の西側の領主を攻める兵を出した。摂政の俺みずからが出る本格的なものだ。
先鋒をつとめるノエン・ラウッドには意図的に城をすぐに攻め落とさないように命じた。
「あの……どうして、ゆっくりと攻めないといけないのですか……? 摂政が弱兵と噂されますよ……」
「侮ってもらわないと、ずっと猫をかぶられるかもしれないからだ」




