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第98話

 セラフィは手綱を引っ張る手を止めて、俺をきょとんと見つめていた。


「なんでアンドゥがここにいるの?」

「その台詞をそのまま返す」

「えっ、か、返すのっ?」


 セラフィが真面目な顔で戸惑う。


 お前こそ、なんでこんなところにいるんだ。


 いや、そんなこと、考える必要なんてないじゃんか。こいつだって、イーファさんのために行動したいんだから。


 セラフィが口を止めて、真剣な様子で俺を見つめている。エメラルドグリーンの神秘的な瞳で、じっと。


 思わず息をのむ。静かにしていると、こいつは絶句するほど可愛い。


 あちらの世界の人気アイドルのような顔立ちに、花みたいに白い肌。高貴で艶やかなドレスを着用する姿から、王族の気品が十二分に感じられる。


 普段の奇行やわけのわからない言動のせいで、こいつはなんてはしたない女なんだと何回も思っていたけれど、こいつはやっぱりこの国のお姫様なんだ。


「お前も帝国に行くのか?」


 セラフィのつぶらな瞳が大きく見開かれる。すぐにこくりとうなずいて、


「アンドゥも、行くの?」

「ああ」


 同じことを問い返されたのでうなずく。


「やっぱりな。考えることは同じか」

「うん。だって、あんなこと、もう起こしたくないし」


 イザードで受けたショックは大きかったもんな。


「だからっ、あたしたちでフィオを止めるの! 帝国にいるっていうのが、嘘でもいいからっ」


 俺よりも年下だし、いいとこ育ちのお嬢様なのに、お前は本当に意思の強いやつだよ。


 床には死体が転がり、凶悪な幻妖がひしめくあの凄惨な場所へ自ら行こうというのだから、その生真面目さに敬服するしかない。


 でも、こいつはこの国の唯一の王位継承者だ。そんなやつに危険な旅をさせるわけにはいかないだろ。


「お前はだめだ」


 きっぱりと告げるとセラフィはまた目を大きく見開いた。


「どうして!?」

「どうしてって。当たり前だろ。お前はこの国の唯一の王位継承者なんだぞ。そんなやつに旅なんてさせられるわけないじゃんか」


 セラフィが一瞬だけたじろぐ。だが手綱をつかんでいない左手をにぎりしめて、


「そうだけどっ、あたしは、安全なお部屋でじっとしているだけなんて、嫌なの! あたしだってイーファの敵がとりたいの!」


 果敢に反論してくる。余裕のない表情で。


 お前の気持ちは痛いほどわかる。だけど、それでもお前を死地へ行かせるわけにはいかないんだよ!


「だめだっ。お前のことはシャロからまかされている。だから行かせられない!」

「いやっ! アンドゥがなんて言っても、あたしは行くもん!」


 くっ、今日のこいつはなんてわがままなんだ。こんなに聞き分けが悪いこいつを見るのは初めてだっ。


 しかし、どんなに聞き分けが悪くても俺はこいつを止めなければならない。


 力ずくで止めるのだけは避けたかったが、やむを得ない。俺がこの場で取り押さえる!


「いやっ、離して! アンドゥなにするの!?」

「うるさいっ。お前の聞き分けが悪いからいけないんだぞ!」

「やめて! 痛いっ。だれか助け――」

「こらっ! こんなところで何をしている!?」


 見知らぬおっさんの怒声が室内に響き渡る。不意打ちだったから心臓が肋骨から飛び出しそうになったぞっ。


 嫌な予感をびんびんに感じつつ、セラフィとともに小屋の出口へ振り返る。視線の先にいるのは、禁衛師士のおっさんひとりと衛士のおっさんっぽい人がふたり。


 おっさんたちは今にもぶち切れそうな剣幕で俺たちを見ていたが、真ん中にいたおっさんが顔つきを変えて、


「セ、セラフィーナ、様」


 セラフィの存在に気づいた。衛士のおっさんたちが驚いて禁衛師士のおっさんに振り向く。


「セラフィーナ様。どうして、あなた様が、このような場所におわすのですか」


 まずいぞ。このままだと大騒ぎになっちまう。


 セラフィを止めて、しかもおっさんたちを納得させる方法はないか。


 しかし、フィオスを追いに行くだなんて迂闊にしゃべれないぞ。そんなことを言えば火に油を注いでしまう。


 夜の静寂が俺たちを包む。セラフィは真実を打ち明けられないことを理解しているらしい。おっさんたちもセラフィの扱いに苦慮しているようだ。


 やがて、おっさんたちの猜疑の目が俺に向け出した。こんな時間にセラフィーナ様をそそのかしたのはお前だな、てか。


 冗談じゃないぞ。そんな容疑で捕まって、この世界へ来たときみたいに宮殿の地下牢になんて入れられてたまるかっ。


 禁衛師士のおっさんが左足を動かした。腰に差した鞘に手をあてて、まるで幻妖に対峙しているみたいじゃんか。


「そこのお前。少し話を――」

「アンドゥつかまってっ!」


 セラフィにシャツを引っ張られた。振り返るとセラフィがシトリに乗りかかって、強引に突っ切る気かよっ!


「ま、待て!」


 そんなことをしたらまずいぞっ。今日はプレヴラの件で大騒ぎになっていたのに、この国の唯一の王位継承者が失踪したら、宮殿はもう大混乱だっ。


 シャロとか陛下の顔が脳裏に浮かんでるけど、今はそれどころじゃねえ! セラフィの肩とシトリの身体にしがみつく。


「セ、セラフィーナ様!」

「うわあっ!」


 俺たちを乗せたシトリが鳴き声を発する。巨大な翼を広げて、おっさんたちにかまわず直進する!


 おっさんたちはシトリにぶつかる直前でかわした。怪我させなくてよかった。


 俺たちは満天の星空の下へ飛び立った。たくさんの面倒な問題を宮殿へ残して。


「ああ。ついにやっちまった」


 成り行きにまかせた結果とはいえ、俺はとんでもないことをしてしまった。近侍の職はくびは確定だ。


 いや、くびどころじゃない。セラフィをけしかけたのは俺だと、あのおっさんたちから陛下へ報告されたら、俺は処刑だっ。


 ああ、やべえ。やっべえぞ。今ならまだ戻れるんじゃないか。セラフィの身体にしがみつきながら考える。


「アンドゥ、だいじょうぶ?」


 セラフィが申し訳なさそうに苦笑している。


「だいじょうぶじゃないだろ。陛下に誤解されたら俺は殺されるんだぞ」

「陛下? お父様がアンドゥを殺すの? どうして?」


 お前はエレオノーラの未来を担う大事な存在なのに、事の重大さをまったく理解していないんだな。心の底からため息が漏れる。


「もういいや。陛下に疑われたら、お前にちゃんと説明してもらうからな」

「よくわからないけど、アンドゥは悪くないよってお父様に言えばいいの?」

「そう。下手したら俺は陛下に処刑されちまうからな」

「お父様がアンドゥを処刑するわけないじゃん! アンドゥってば、心配性なんだからあ」


 俺が余計なことを考えすぎているのは否定できないけどな。この場合は、どちらかというとお前が無鉄砲なんだと思うぞ。


「っていうか、なんでわざわざシトリに乗ろうって思ったんだよ。お前は化生術を使えばラウルを生み出せるじゃんか」

「ラウル?」


 セラフィが間抜けな顔で首をかしげる。「あっ!」と声を上げて、


「そうだね。全然思いつかなかった」


 化生術をすっかり忘れてたのかよ。こういうときのために覚えたんだろ。


「お外に出ることしか考えてなかったから、あの子のこと全然考えてなかった」


 お前も俺と同じで余裕がないんだな。それならミスしても仕方ないか。


「ラウルは速すぎて乗用で使えないから、安全に旅をするんだったら師獣に乗った方がいいか」

「アンドゥはあの子が苦手だもんね」


 セラフィが声を出して笑った。


「アンドゥに見せたいものがあるの」


 セラフィが左手を離して、肩にかけている鞄を開けようとする。


「手綱を離したら危ないぞ。鞄は俺が開けてやるよ」

「うん。お願い」


 セラフィの鞄を少し開ける。入っているのは化粧ポーチに刻印術を使うための紙や道具。ハンカチなどの日用品。そしてノートらしき本だ。


「何がほしいんだ?」

「そこにイーファの日記が入ってるんだけど」


 イーファさんの日記!?


「イーファの日記だけは絶対に持っていきたいって思ったの。アンドゥにも見せたいんだけど、今は日記を広げたら危ないね」


 あの人の日記を持ってきたのか。よほど大事なんだな。


「ああ、サンキューな。後で見させてもらうわ」

「うんっ!」


 セラフィが大きな動作でうなずいたから、シトリが少し動揺して俺は落ちそうになった。


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