第87話
イーファさんは事の発覚を恐れて自殺したのではないかとシャロは言っていた。
あれからすぐに牢屋を開けてイーファさんを抱き起こしたけど、手遅れだった。イーファさんの心臓は完全に停止していた。
イーファさんのあの冷たい感触は今でもはっきりと残っている。まさか、こんなことになってしまうなんて。
尋問は昼から行われていたらしいが、イーファさんは何もしゃべらなかったようだ。
イザードの法吏たちが執拗に問い詰めても一切口を開かないものだから、法吏の方がむしろ根をあげたみたいだが、牢屋に戻して数分も経たないうちに事故は起きてしまったらしい。
看守が目を離した隙にイーファさんが匕首をとり出して、それに気づいた看守が悲鳴をあげた。――そんな経緯だったようだ。
セラフィとアビーさんには結果だけを伝えたが、泣いていた。ふたりとも。セラフィなんか大声で泣き叫んで。
俺は、涙腺を閉めて耐えた。けれど、胸は悲しさでいっぱいだった。泣きじゃくるふたりの姿が、俺のいい加減で無責任な心をこれでもかというほどに締めつける。
なあ、イーファさん。他に方法はなかったのかよ。
* * *
翌朝、シャロに呼ばれて俺は、イーファさんが泊まっていた部屋へと向かった。
イーファさんの部屋にあった物品はあれからイザードの官吏たちによって押収されてしまったので、部屋の中は新築の部屋みたいにがらんとしていた。
ついこの間まで人がいたのに、こういう光景を見ると寂しくなってくるよな。
「これだ」
シャロが窓際の机の引き出しから一冊のノートをとり出して、俺に差し出してきた。なんの変哲もない大学ノートみたいな感じだが。
ノートを受けとって、適当にぱらぱらとページをめくってみる。補助線のない紙面には、細かい字で文章が綴られている。
字は丁寧だけど角が少し丸くなっている。女性特有の丸文字だが、イーファさんが紡いだものだろうか。
「これは?」
「あの女が残していった日記だ。他の遺品はイザードの連中に押収されてしまったが、これだけはわたしが無理を言って残してもらった。貴様からセラフィーナ様にわたしてやってくれ」
そういうことか。なら絶対にわたしてやらないと。
イーファさんが残した日記か。イーファさんはセラフィと接しながら、どんなことを想っていたのだろうか。
そしてフィオスやグレンフェル、セイリオスの連中について。気にかかることは山ほどある。
「俺が読んでもいいのか?」
「いいんじゃないか? 貴様も今回の事件の当事者なのだからな。わたしも事件を検証するために目を通したが、有益な情報はあまり残されていなかったからな」
だからイザードの官吏たちも重要視しなかったのか。
シャロが「それに」と言葉を添えて、
「貴様とて、昨日のことについては色々と想うところがあるのだろう? わたしはあの女とほとんど面識はなかったから、セラフィーナ様のお気持ちを察することはできないが、貴様は別だ。だから、貴様からセラフィーナ様にわたしてほしいのだ」
そうだな。アビーさんにも見せてあげよう。
とはいえ、書かれているのは例のイリス公用語に近い言語だったので、情けないがシャロに通訳してもらった。
× × ×
月長の月二十八日
天穹印の調査が行き詰まってしまったので、外を散歩していたら、エレオノーラの王女様と出会った。
お名前はセラフィーナ様。とても人懐っこい子で、面影がどことなくサリファに似ている。
エレオノーラはフィオス様が襲撃に失敗された国だ。フィオス様はご無事だろうか。
月長の月二十九日
図書館で天穹印の古い文献が二冊見つかった。刻印術のコーナーを諦めずに探して正解だった。
帰りにセラフィーナ王女と会った。今日は両国の会合が開かれていたはずだけど、ユウマさんと抜け出してきたのかしら?
月長の月三十日
グレンフェル様の部隊がイザードの施設を襲撃したようだ。施設にはセラフィーナ様もいたはずだけど、ご無事だろうか?
助けに行きたいけれど、グレンフェル様に近づいたら足がついてしまう。それだけは絶対に避けなければ。
紅焔の月一日
セラフィーナ様も城内に避難しておられたようだ。少し疲れておいでだったけど、ご無事なお姿が拝見できてよかった。
それから幻妖の女の子ととても楽しい時間をすごせた。側近のユウマさんだけは退屈そうにしていたけれど、女の子同士の会話なんて男の人には退屈よね。
紅焔の月二日
一冊目は的外れな内容だった。文献の解読が予想より長引いているから、二冊目は大急ぎで解読しなければ。
グレンフェル様は近いうちに城内へ攻め込まれるだろう。そうなれば解読する時間はとれなくなってしまう。
紅焔の月三日
やっと天穹印の秘密を解き明かすことができた。これでフィオス様のご期待に応えることができる。
でも、こんなことをして本当にいいのだろうか?
この結果を報告すれば、何百万というイリスの人間が死に絶えることになる。わたしはその片棒を担いでいるのだ。
フィオス様には正義がある。わたしも祖国のために尽力したいと思っている。
しかし、この方法はあまりにも……。
グレンフェル様の部隊が城内に侵入されたようだ。セラフィーナ様をだましているのは心苦しいけれど、祖国を裏切るわけにはいかない。くれぐれも気取られないように注意しなければ。




