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天空の刻印師  作者: 夏坂ひなた(旧:二条 遙)
深淵からの使者
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第86話

 その後、逃亡したグレンフェルの捜索が丸一日かけて行われたが、結局あいつは発見されなかった。


 あいつが逃げたと思われる西門がこじ開けられていた上に、警備兵が無残に殺されていたので、西門から逃げたのは間違いないが。


 森の中に逃げられてしまったから、これ以上の捜索は不可能かもしれないと、シャロが血量の少ない顔で語っていた。


 城は幻妖の被害を受けて壊滅的な被害を受けてしまったけど、その辺りはテレンサとイザードの官吏たちにがんばってもらうしかない。


 冷たい言い方になるが、他国の城の修復まではできないからな。


 そんなことよりも心配なのはイーファさんの処遇だ。


 イーファさんはセイリオスのメンバーとして地下牢に連行されてしまったので、これから尋問が行われるのだ。


 さらにイーファさんは帝国の術師と身分を偽っていたので、罪はかなり重くなるのではと言われている。


 しかし、ふと考えるとアビーさんのときと状況が似ているので、もしかしたら比較的に軽い罪で助かるんじゃないか? そう思ってシャロに聞いてみたが、残念ながらそうはいかないようだ。


 アビーさんはフィオスに脅されていただけでセイリオスのメンバーではなかったので、罪状を軽くすることはかなり容易だったらしい。


 だがイーファさんはセイリオスのメンバーだ。そして確固たる意思で悪事に加担したのだから、俺やセラフィが声をあげたところでイザードの司法を曲げることはできないのだ。


 イーファさんはフィオスやグレンフェルのことを詳しく知っているはずだから、尋問は苛烈なものになるかもしれん。――そう告げるシャロの険しい表情を目の前にすると、なんかもう絶望しか感じなくなってくる。


 一応、拷問や暴力的なことだけは絶対にしないでくれとイザードの法吏に訴えたけど、焼け石に水だろうな。


「イーファ」


 イーファさんが連行されてから、セラフィは朝からずっと、地下に続く階段の前で立ち尽くしている。地下牢に入れるなとシャロに厳命されているから、俺とアビーさんでセラフィを監視しているのだ。


 今のこいつは目を離した隙に地下牢に行きかねないから注意が必要だ。


 それにしても、セラフィがこんなに剛情だとは思わなかった。朝から朝食も食べないでイーファさんのことを心配しているんだぞ。


 マリオが「あ、あのっ」と気持ち悪く声をかけてこようが、シャロが見かねて「セラフィーナ様」と渋い顔を向けてこようが関係ない。動くのはトイレのときだけだ。


 気持ちはわかる。でもご飯まで抜いたら身体に障るだろ。


 さすがに見ていられなくなったので、


「そんなに心配しなくても、だいじょうぶだろ。シャロもついてるんだから」

「そ、そうですよ。イザードの方だって、その、ひどい方ばかりではありませんから。……わたしのときのように、きっと」


 アビーさんも言葉を添えてくれたが、セラフィはやはり答えない。人形みたいに小さい拳をぐっとにぎりしめたままだ。


 こうなれば、仕方ない。とことん付き合ってやろう。アビーさんと顔を見合わせて、俺はため息を洩らした。



  * * *



 しかしこの廊下の待機は予想よりも早い、その日の夜に終焉を向かえた。


 いよいよ夕食まですっぽかされて、俺の腹からいい感じのフォービートが叩かれはじめた頃に突然、地下から絶叫が聞こえた。


「な、なんだ今の!?」


 ずっと立ちっぱなしだったから廊下で三人で座っていたが、思わず総立ちになってしまった。


「なななな、何が、起こったんですかっ」


 アビーさんがお化け屋敷よろしくの怯えっぷりになるが、それはさすがに驚きすぎなんじゃないか。


「まさか」


 一方のセラフィははっと顔を上げて、階段の降り口を愕然と見つめる。


 そして思い詰めるような表情になって、いきなり飛び出そうとしたので、


「アンドゥ!?」


 俺はセラフィの手を咄嗟につかんだ。


「だめだ! お前は行くな」

「でもっ!」

「お前のことはシャロからまかされてるんだ。だから行かせられない」


 俺も真剣に訴えるが、セラフィは強い力で俺の手を引き離そうとする。背の低い中学生みたいな身体のどこからこんな力が出るんだ?


 しかし腕力なら俺の方が上だ。俺はセラフィを羽交い締めにして強引に抑えた。


 暴れるセラフィをアビーさんにあずけて、地下牢を見やる。悲鳴は男の声だったけど、下で一体何が起こったんだ。状況はちゃんと把握しなければならない。


「わかった。俺が下に行く」


 そう告げると、セラフィとアビーさんが心配そうに俺を見てきた。こういう役は男がすべきだ。


「だからアビーさん。セラフィをたのんだぞ」

「は、はい」


 高鳴る鼓動を抑えて階段を一気に駆け下りる。正直に告白すると俺もかなりびびっているが、それ以上にイーファさんのことが心配だ。


 イーファさんにもしものことがあったらどうする? または我を失ってとんでもない行動を起こしていないか。


 召喚術で幻妖を召喚されたらまた大変なことになるぞ。


 そんなことを考えると、とても落ち着いてなんていられなかった。


 明かりの乏しい地下牢には、イザードの法吏と看守がその辺をうろうろしている。だれも仕事しないで野次馬しているみたいだ。


 しかし、慌しくなってること以外に大きな変化は見当たらない。幻妖を召喚されていなくてよかった。


 通路の奥にシャロの姿が見えたので肩をつかんでみると、あいつも驚いてビクッと反応した。


「貴様! どうしてここに――」

「だいじょうぶだ。セラフィは上でアビーさんが見てくれてる。それより何が起きたんだ」


 かまわずに反論すると、シャロは何も言わずに奥の牢屋を指さした。


 とてつもなく冷たい汗が背中を伝う。ものすごく嫌な予感がするが、外れてくれよ。


 俺は意を決して奥の牢屋に足を向けた。


 イザードの官吏たちが蝟集いしゅうする牢屋の前。その牢屋には、おそらくイーファさんが収容されているのだ。


 彼らを掻き分けて、かび臭い鉄柵の向こうに目を向けて――。


 そして絶望した。


 堅く閉ざされた鉄柵の奥で、イーファさんが手首から大量の血を流してたおれていたのだ。

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