第82話
「なんでだ。……なんであんたが、ここにいるんだよ」
セラフィを抱きかかえる肩が、ひとりでにふるえる。
「あんたは……イーファさんは、帝国から来た術師なんじゃなかったのかよ。それなのに、どうして」
だめだ。唇がふるえるから、言葉がうまくつながらない。
なんで口と身体がこんなにふるえているんだ? 戦う前からグレンフェルを恐れて、縮みあがっているのか。
いや、違う。恐怖とか危機感だとか、そういう類の感情なんかじゃない。
俺は許せないんだ。ずっと仲間だと思っていたイーファさんが敵と通じているという、この目の前の現実が。
だってそうだろ。イーファさんは会ったときからいい人で、無表情でミステリアスだけど心の優しい人で、そしてセラフィの実のお姉さんみたいな人だったんだ。
それなのに、なんで凶悪殺人鬼のグレンフェルなんかと手を組んでいるんだ。こんなの、認められるわけないじゃないか。
俺の問い詰めるような視線に耐えられないのか、イーファさんが無表情のままわずかにうつむくが、
「ふむ。出し抜けに何を言うかと思えば、実に珍妙なことを聞く」
口を開いたのは、しゃがれ声のグレンフェルだった。
「こやつはスビアに仕える召喚術師であり、フィオスの忠実なる腹心である。即ち、われらの同胞である。同胞が同胞の支援をしているだけなのに、お主は理由が必要だと言うのか?」
なんだと?
それじゃあ、イーファさんは、最初から俺たちの敵だったというのか。
返答しかねている俺を見かねたのか、シャロが俺の前に出てきた。
「貴様の言う、スビアというのはなんだ。貴様らはセイリオスのメンバーなのではなかったのか?」
するとグレンフェルは顎に手をあてて、
「どうやらフィオスは何もしゃべっていないようだな。相変わらず用心深い男だ」
言いながら、感心するように何度かうなずいた。
「仇敵であるお主らに、われらのことをむざむざと教えてやる義理はないが、まあよい。もはや風前の灯なのだから、悔いが残らぬように教えてやろう」
「グレンフェル様」
イーファさんが不意に咎めるような声をあげるが、グレンフェルは意に介さない。
「よいではないか。こやつらがわれらの正体を知ったところで、われらの元に辿り着くことは到底叶わん。ならば、死に行く前に真実を教えてやるのが、せめてもの手向けというものだ」
こいつ。……俺たちを完全になめくさっていやがる。
「スビアとは、われらの仕える国のことだ。お主らアラゾン人が奈落と蔑む世界、その一帯を支配圏としているのが、われらゲルフ人の祖国であるスビアだ」
グレンフェルの低い声が王の間に響きわたる。
「われらゲルフ人は、お主らアラゾン人が築いたこの天空の世界を破壊し、世界全体の真の調和をもたらすために戦っている。それを最初に提唱したのがフィオスであり、われらセイリオスのメンバーであるのだ」
グレンフェルの口から出てくる意味不明な単語の連続に、俺もシャロも言葉が出ない。
「われはスビア王国の王弟。グレンフェル・アンブローズ。そして、お主が仲間だと抜かしたこの女。イーファ・アドマンティアは、スビアの名族であるアドマンティア家の息女だ」
そんな、嘘だろ。
じゃあ、やっぱりイーファさんは、俺の……。
「その女がイザードに潜んでいたと、ついぞ知らなかったが、われの腹心がその女の所在を知らせてきたのでな。利用させてもらった。この女の召喚術はスビア随一であるからな。……お主も、われの意向に異存はないな?」
「……はい」
イーファさんが白い顔でグレンフェルに同意する。その静かな表情の奥に感じられる強固な意志が、俺に明白な敵意を訴えてくる。――わたしは敵なのだ、と。
もう、だめなのか。俺と……いやセラフィとイーファさんは、このまま袂を分かつしかないのか。あんなに、実の姉妹のように仲が良かったのに。
「話は終わりだ。異世界から来た少年」
グレンフェルが突然に姿勢を変えて、猛然と突進してきた。巨大な剣をたずさえて向かってくるあいつを、シャロがエクレシアで迎え討つ。
「イザード王のお命を奪わせやしない!」
シャロは血の気の少ない身体で、グレンフェルの両手剣をかわす。エクレシアを抜き放ちながら、俺の方を一瞬だけ見て、
「その女の相手は貴様がしろ!」
身体から力を振りしぼったような声で言った。
俺は生唾を呑んでイーファさんを見やる。イーファさんは白い顔を向けたまま、静かにたたずんでいる。剣などの武器は、持っていない。
イーファさんは召喚術の使い手だ。それも相当なレベルの。
召喚術は刻印術の一種だから、もしかしたら他の刻印術もマスターしているのかもしれない。
でも、そんなことは問題なんかじゃない。
「イーファ……」
セラフィの弱々しい声が胸に突き刺さる。セラフィは俺に抱きついたまま、俺のシャツを強い力でつかんでいる。
こんな残酷な結末、見ていられねえよ。
イーファさんの琥珀色の瞳も、わずかにゆれ動いている。イーファさんは今、セラフィと真正面に対峙して、どんなことを想っているのだろうか。
「セラフィ。危ないから、お前は下がってろ」
俺はセラフィを下がらせて一歩を踏み出す。
戦いたくはない。けど、避けることはできない。
「ユウマさん」
イーファさんは変化のない表情のまま、わずかに眉根を寄せる。右手の袖口から整然と差し出されたのは、刻印がきざまれた透明な水晶。
「お命、頂戴いたします」




