第70話
人見知りしていたアビーさんも次第に打ち解けて、結局夜までイーファさんの部屋にお邪魔してしまった。
美女三人(うち約一名は変態だが)に囲まれて、半日もの長い時間をうはうはハーレムエリアですごすことができたが、意外と疲れてしまった。
一般的にハーレムと言うと、美女に囲まれて、少しエッチな体験もできちゃうかもしれない珠玉の世界だけど、そんな男の大半が妄想するようなものではなかったのだ。
言うなれば、女子会に男ひとりで参加した感じだろうか。
女子三人によって矢継ぎ早に交わされるガールズトークを、部屋の隅っこでただ聞いているだけ。
会話のペースが早い上に、交わされる内容も「あれ可愛い」だの、「あのケーキがおいしい」だの、男では入りづらい話題ばかりなので、すぐに置いてけぼりにされてしまうのだ。
見た目は華やかだけど、女子に囲まれる生活って、あんまり面白くないな。というか窮屈だ。身のやり場に困る。
「ああ楽しかった」
夕飯の頃合いになったので、イーファさんにお暇を告げて俺たちは部屋を後にする。セラフィは夕飯前だっていうのに、もうお腹いっぱいですという顔をしている。
「すごく素敵な方でしたね、イーファさま」
嬉しそうに相槌を打つアビーさんは、変化を解いて小犬の姿に戻っている。幻妖であることをイーファさんに見破られていたので、会話の途中で姿を戻したのだ。
アビーさんが言うには、幻妖の姿でいる方が楽なのだそうだ。
そして今は、俺の左の肩に乗っかって首にくっついている。小犬姿のアビーさんの身体は柔らかい毛がふさふさしているから、首に巻いているとなんだか上質のムートンみたいだ。
セラフィが得意満面でアビーさんに微笑みかける。
「ね、いっしょに来てよかったでしょ」
「はい! あ、ありがとうございます。セラフィーナさま」
俺はかなり居づらかったけどな。でもイーファさんの素性がまたひとつ明らかになったから結果オーライにしてやるよ。
さっき聞いた話によると、イーファさんには歳の離れた妹がいるらしい。セラフィとだいたい同じくらいの歳で、雰囲気もセラフィに似ているようだ。
セラフィと話しているとなんだか妹と話してるみたいで、気持ちが落ち着いてくるらしいが、本当だろうか。
イーファさんはたしかにお姉さんって感じだよな。控えめでしっかりしているから。母性もなんだか優れていそうだ。
「イーファさまには妹さまがいるんですね」
耳もとでアビーさんが囁きかける。
「そうらしいな」
「一体どんなお方なのでしょうか。イーファさまに似て、とてもおきれいな方なのでしょうか」
大変おきれいなのは間違いないだろうな。
左手で頭をそっとなでてやると、アビーさんは恥ずかしそうに身体を縮こませた。
* * *
わずか三日分しかないという城の備蓄の一日分を食い尽くしたその日の夜。
昨日から宛がわれている部屋に戻ってまったりしていたが、すぐに寝つけそうになかったので、また廊下をぶらぶらと散策している。
今の時間は夜の八時。ミズーラ城の中は明かりの弱い常夜灯しかついてないから、廊下はほとんど暗闇だ。
夜の学校の廊下を懐中電灯で十メートルくらいの間隔で照明すると、今の感じに近づくかもしれない。
城内はエレオノーラのアリス宮殿ほどじゃないが、それでもだいぶ広いので、来た道をちゃんとおぼえておかないと後で迷いそうだ。夜の城内で迷子になったら、いろんな意味でシャレにならないぞ。
この城の広さはうちの高校の何個分くらいの規模なのだろうか。五、六個は軽く入りそうだが。
廊下はまっすぐに整然とつくられているけど、細い回廊が無数に枝分かれしているから、迂闊に足を踏み入れたら大変なことになりそうだ。
歴史ある城らしいから、薄暗い地下の一室で惨たらしい何かも行われているのだろう。お互い、余計な詮索はしない方が身のためだよな。
話は変わるが、セイリオスの連中はまだ見つかっていないらしい。イザードの師団とうちの討伐隊が夜まで必死に捜索しているみたいだが。
やつらは奇襲だけでなく埋伏するのもうまいようだ。
われわれも昼夜を徹して尽力しているのですが――と、ミルドレッドさんが八十年代の刑事ドラマの主役みたいな、ダンディズム溢れる顔つきで語っていた。
やつらが森を隠れ蓑にして潜伏しているのは間違いない。今ごろ塀の向こうで夜襲の準備でも進めているのだろうか。
そんなことを思うともっと寝つけなくなりそうだ。
しかし、こちらも夜襲くらいは予測しているので、城の警備は朝まで入念につづけられている。そうしろとテレンサが高圧的に命令したからだ。
わが身に危険が迫ったから、テレンサもさすがに遊んでいられなくなったのだろう。
命がほしいんだったら、人目のつかない地下室にでも篭っていてほしいものだ。
目的もなく出歩いても仕方ないので、ぼちぼち部屋に戻ろう。そう思って身をひるがえしたときに二十メートルくらい先に人影が見えたので、わずかにだが驚いてしまった。
「では……を運び……ミングで……」
「……だ。……城内で……」
だれだ、こんな時間にこそこそ立ち話をしているのは。
距離は遠くないが、暗いので相手の顔が見えない。二人いるのはわかる。
なんとなく気になるので、忍び足でそっと近づいてみる。
あそこにいるのは、キボンヌか? あのうだつの上がらない小太り禿げはきっとキボンヌだ。何をやってるんだ。
もうひとりの人は、まったく知らない人だ。鎖帷子の上に胸当てをつけているから、師団の人じゃないだろうか。
「……忍び……明日の夜に……」
「そう……陛下の……のちを……」
いい歳した中年のおっさん二人が、夜の暗い廊下で顔を近づけて何を話してるんだ。BL的なものだけは本当に勘弁してほしいぞ。
しばらくしてキボンヌが俺の気配に気づいたのか、びくっと反応してふり向いた。まるで幽霊を見ちまったような驚きっぷりだが。
「何、やってるんですか」
若干気まずいがたずねてみると、キボンヌは件のゴマ擦りをわざとらしく開始させて、
「おや。いかがされましたかな」
問いの上に問いを返されてしまった。
「別に。寝られないからぶらぶらしてただけですけど」
キボンヌの笑いを誘っても内申点は上がらないので適当に答えるが、その間にキボンヌは師団の人に不機嫌そうな顔を向けて、「早く行けっ」とひそひそ声で追い払っていた。
静かなときのひそひそ声って、通常の声よりも聞きとりやすい気がするが、そう思っているのは俺だけか?
「さっきの人は捜索隊の人ですか?」
「え、ええ。捜索の仕方が甘かったようなので、明日の指示を出していたところです」
両手のゴマ擦り機能がマッハ2を超えそうな速さになっているが、それ、熱くないのか?
「ええと、あなた様は、たしか……」
「ああ。ユウマです。ユウマ・アンドウ」
「そうでした。ユウマ様ですね。大変失礼いたしました」
名前忘れるなよ。俺だって一応エレオノーラの使者なんだから。
キボンヌは顔に汗をにじませながら愛想笑いを浮かべる。
「寝られないのでしたら、お部屋にお飲み物でも運ばせますが、いかがいたしますか」
「いや、いいです。喉はかわいてないんで」
「そ、そうですか。何かありましたら、近くの者に遠慮せずに言いつけてください。それでは、失礼します」
そう言うとキボンヌは浅く会釈して、俺の脇を通りすぎていく。足早に。
なんだか必死につくり笑いしてたみたいだけど、俺はそんなに嫌われていたのか? テレンサに暴言を吐いたこと以外はとくに目立っていないつもりだが。
学校では目立たない、学力、ルックス、運動神経どれをとっても平均的な、平成の模範的な生徒だったんだけどな。
日本では普通だった高校生が異世界に迷い込んだ直後から目立ちはじめるのは、どの異世界でも共通なのかもしれないな。




