第66話
「陛下ァ!」
「きゃあぁァァ!」
火の手のあがるパーティ会場に官吏たちの悲鳴がひびく。恐怖に慄くテレンサの首もとに匪賊のハルバードが振り下ろされる――!
だがそれを、
「シャロ!」
間一髪のところで受け止めてくれた。シャロはテレンサの前で片膝をついて、エクレシアの鞘で槍を受けている。
「なにっ」
意表を突かれたのか、リーダーらしき男が驚いて後退する。その一瞬の隙を突いてシャロが反撃――エクレシアの優美な白刃が瞬く間に一閃して、男の槍を柄から縦に分断する。
「何者だ貴様は!」
高速で剣をふるいながらシャロが問いかけるが、男は答えない。左右から繰り出されるシャロの神速の斬撃を紙一重でかわしている。
あいつ、すごくないか。
シャロの抜刀術はあのフィオスすら圧倒したんだぞ。それなのにあいつは、斬撃の軌道を読んで全部かわしているのだ。バレーの選手みたいな巨躯を瞬発的に動かして。
「ふむ。お主のような腕利きがイザード王の近くにおったとは」
「質問に答えろ!」
大喝しながらシャロが横薙ぎの斬撃を繰り出すが、それも軽々とかわして後ろに跳躍する。空中で一回転してテーブルの上に降り立った。
「予想外の敵の出現により、われの計画に狂いが生じたか。しかし、だからこそ戦は面白い」
「質問に答えろと言っている!」
男の落ち着き払った様子に苛立ったのか、シャロが乱雑に斬りかかる。身体にぶつかった衝撃でテーブルが後ろにたおれて、グラスと皿が音を立てて床に落ちた。
俺は固唾を呑んで見守るしかなかった。
床に着地した直後に、リーダーの男がテーブルを力まかせに蹴り飛ばす。けれどシャロはそれを読んでいたのか、右に跳んでテーブルをかわす。
シャロもやっぱりすごい。なんであんな攻撃を瞬時に察知することができるんだ。
だが、あいつもシャロがかわすことを読んでいたのか、テーブルの陰から間髪を入れずに襲いかかってくる。
槍は穂先と石突きの二本に折れているけど、それを左右の手に持ち替えて、即席の二刀流でシャロに飛びかかった。
「くっ!」
シャロがエクレシアの鞘で男の追撃を受け止める。
「フィオスがエレオノーラを襲撃したときに、凄腕の女剣士にしてやられたと聞いたが――」
二本の柄とエクレシアの鞘がぎりぎりと交差する。
「やつを返り討ちにしたのは、お主か?」
「な……!」
フィオスだって!? じゃあ、こいつらは……。
シャロも動揺を隠し切れない様子だったが、態勢を立て直すためか素早く後退した。
「では貴様は、セイリオスのメンバーなのか」
「ほう、なぜにそこまで洞察することができる」
「それを説明してやる義理はないっ!」
シャロが鞘に納めていたエクレシアを抜き放って斬りつけると、あいつはまた軽々と跳躍して攻撃をかわした。
「やばい。シャロが苦戦してるよ」
状況に耐えかねてセラフィが俺の裾を引っ張ってくる。
でも、俺にどうしろと言うんだ。あんな最強同士の戦いにしゃしゃり出たら、俺の首なんて三秒で吹き飛ぶぞ。
「気持ちはわかるけど、俺たちじゃあシャロの援護なんてできないぞ」
しかも今は丸腰の上に、刻印術の紙も全部客舎に置いてきたんだ。そんな状態で決死の突撃をしたところで、返り討ちに遭うのが落ちだ。
するとセラフィは俺の袖をしつこく引っ張って、
「違うの! これでシャロを助けるの」
そう言ってセラフィが差し出してきたのは、二枚のナプキンだった。四つ折りにされた紙面には風の刻印が描かれている。
セラフィもやっぱりすごい。こんな混乱した状況でも即興で描けちまうのかよ。
しかし今は呑気に感心している場合じゃない。俺はセラフィからナプキンを掠めとって、そのうちの一枚をくちゃくちゃに丸めた。
「シャロ、避けろ!」
天井に投げつけて念じるとナプキンは五つの真空の刃へと変化する。上空の黒い空気を切り裂いて、男の頭上へと襲いかかる。
「なにっ」
驚愕しながらもあいつは冷静に床を蹴って後退する。かわされた刃は虚空をむなしく切断した。
回避率の高さは物理攻撃だけじゃないってことかよ。かすり傷のひとつくらいは負わせると思っていたのに。
だが、紙はまだもう一枚あるんだ。避けられる可能性が高かろうが一気呵成に攻め立てるぜ。
「まだまだ!」
風の刻印が空中で消失して八つの真空の刃へと変化する。それが男の頭上に容赦なく降り注ぐ。
あいつは槍を盾にして防ごうとするが、八つの刃のすべてを避け切ることはできないみたいだ。槍は真空刃でばらばらに切断されて、乱切りにされた胡瓜みたいになった。
二つの刃があいつの顔に飛びかかる。あいつは首をひねって刃をかわしたが、一本の刃があいつの頭巾をかすり、その黒い布をびりびりと破いた。
俺は息を呑みこんだ。
黒頭巾は薄い和紙みたいにあっさりと破れて床に落ちる。頭巾が破れても、あいつは顔を隠そうとしなかった。
頭巾の中からあらわれたのは、白髪のような桜色の髪と、屈強な壮年男性の顔だった。
イリスの人々の髪の色は赤や青など、オンラインゲームのキャラみたいに色とりどりだが、桜色のような薄いピンク色の髪を生やした人は、フィオス以外に見たことがない。
顔から察するに、年齢は四十代後半ないし五十代の前半くらいだと思われる。肉付きがよくて精悍だが、額や目尻に深い皺が入っていた。
短く切られた髪は無造作に後ろへと流しているだけで、中年男性の髪型そのものだった。大企業で部長などをやっていそうな感じだが。
あんたは、一体だれなんだ。
「陛下!」
「ご無事ですか!?」
俺とシャロが絶句している隅で、革の胸当てをつけた兵士たちが燃え盛る扉からなだれ込んできた。
彼らは床にうずくまるテレンサを発見すると、危険を顧みずに飛び込んでくる。
イザードの衛士か師団の人が救援にかけつけてくれたんだ。これでなんとか脱出することができる。
よく見ると、後ろの方にフィオスの討伐隊の人たちもいる。あの人たちも合流していたのか。
入り口を包囲している衛士を見て、ピンク髪の男が顔をわずかにしかめて、
「作戦は失敗したようだ。みなの者、撤退だ」
機械のように冷然と言い捨てて俺たちに背を向けた。
「待て!」
シャロがとっさに斬りつけるが、おっさんは駝鳥のような瞬発力でその場を後にする。
正面で迎え討つのは、イザードの衛士たちだ。
「止まれ!」
「止まらんと斬り捨てるぞ!」
衛士たちは声を張り上げて威嚇するが、おっさんは上体を下げたまま突撃する。
そして、懐に隠しもっていた剣を抜き放って一閃。――数回斬り払っただけで衛士の人たちをあっさり惨殺した。
くっ、あんな人間凶器みたいなやつをこのまま逃がしてたまるか!
「セラフィ! 次の刻印は!?」
「まだ用意してない。ちょっと待って!」
ちょっと待てねえよ! 俺が歯を食いしばっているうちに、おっさんは血路を斬り開いて逃げちまいやがった。他のやつらも、ああくそっ、待ちやがれ!
「ユユユ、ユウマ、さん!」
後ろからまた俺の袖を目一杯に引っ張ってくるのは、マリオだった。今度は何があったんだ。
「ひ、火が、火が……」
マリオがひくひくしながら後ろを指すので、仕方なくふり向いてやると、火がマリオの言うとおりに廊下から轟然と吹き出していた。
火は壁を燃やし、床の絨毯やテーブルまでも容赦なく燃え尽くす。これは、かなりまずい状況じゃないか。
「まずい、俺たちも逃げるぞ!」
「う、うん!」
「パパあぁ!」
気丈にうなずくセラフィと泣き喚くマリオの手を引く。俺たちも命からがら貴賓館を後にするのだった。




