第58話
気をとりなおして、昼食会だ。
昼食会は、貴賓館の一階のだだっ広いパーティ会場で行われるらしい。落ち込むセラフィの手を引いて館内に戻ると、昼食会の準備が急ピッチで進められていた。
イザードの専属のメイドさんと思われる人たちが、右から左に大急ぎでカートを引いている。ファミレスとかでときたま見かける、三段のステンレスカートには料理がてんこ盛りになっている。
料理とは関係ないが、イザードのメイド服はスカートの丈が長い。ロング丈の上に純白のエプロン。こういう清純なのも悪くはない。悪くはないのだが。
メイド服はやはりミニスカフリルにかぎる。
俺の中での究極のメイドさんは、アビーさんだ。イザードのメイドさんがいかに可愛くて、清純なエプロンや従順なロング丈でいくら誘惑してこようとも、アビーさんの絶対領域には勝てないのだっ。
「鼻の下、伸びてる」
ぎくっ。
背中の冷や汗を感じながら見下ろすと、セラフィが露骨に嫌そうな顔をしていた。
「もう、浮かれちゃって。エッチなんだから」
「う、浮かれてねえよ」
「嘘ばっか。お料理なんてそっちのけで、メイドさんの衣装ばっか見てたでしょ。そんなのもろバレなんだから」
くっ、なんでそこまで正確に把握できるんだ。刻印術で俺の心を透視してるのか?
しかし、そんなレベルの低い冗談を今のセラフィに言ったら、マジで頬を叩かれそうだ。
あんなことがあったばかりだから、気持ちはわかるけど、カリカリしてるなあ。
「元気出せよ。さっきのは、その、ハプニングだったけど。でも、暗い顔をしていても気分が悪くなるだけだぞ」
「そうだけど……」
セラフィはぶすっと口を尖らせている。こうやって見てみると、歳の近い妹みたいだ。一人っ子の俺に実妹なんていないが。
王女なんていっても、ひとつ年下の女子だからな。大人なシャロと違って、機転をはたらかせて器用に立ち回れるようなやつじゃないんだ。
「これから盛大な昼食会なんだから、せっかくだから楽し――」
なんとなく後ろから気配を感じるので、何気なくふり返ってみた。見たが――。
「どうしたの?」
おぞましいものが目に飛び込んできて、思わず口から悲鳴が漏れそうになってしまった。
俺の視線の先――一階のロビーの端に並んでいる柱の影から、マリオがじっとこちらを見ていたのだ。セラフィに気づかれないように、ぽっちゃり体型を柱に隠しながら、こっそりと。
そうとは知らないセラフィが俺の顔を覗きこんでくる。
「アンドゥ?」
「いや、なんでもない! なんでもないぞ」
「でも、顔色悪いよ? 声も裏返ってるし」
「お俺のことは、気にするな。あ、お前、足疲れたろ。疲れたよな? あっちの椅子で休もうぜ」
「う、うん」
セラフィは軽く引いているけど、そんなことはどうでもいい。
空気が読めない上にストーカーとは、どれだけモンスターなんだ、あのだるま王子は。
* * *
昼食会は椅子に座らない立食パーティだった。
セレブのパーティなんかで、ドレスやスーツで武装した女優や著名人の人たちがシャンパングラスを片手に談笑するイベントがあると思うけど、まさにあんな感じだ。
みんな煌びやかな衣装を着て、優雅に談笑している。
広いフロアには円形のテーブルがたくさん置かれていて、真っ赤なテーブルクロスの上には豪華なイザード料理が用意されている。
朝から何も食べていないから、昼食はむさぼるように食べつくしたかったが、とてもむさぼれる雰囲気じゃないな。
「アンドゥ食べないの?」
そんな俺の気を察知したのか、セラフィが俺の顔を見上げてくる。右斜め後ろから、左手で俺の服の裾をちょんとつまみながら。
セラフィは、パーティがはじまってからも俺から離れようとしない。だから身動きが少しとりにくい。でも今は、無下に追い返せないよな。
「本当は食べたいんだけど、雰囲気的にがっつける感じじゃないからな」
「がっつける……?」
「ええと、まわりを気にしないで、好きなだけ食べまくるっていうことだよ。がつがつ食べるから、がっつくっていうんだよ」
「そうなんだあ」
知らない単語を聞いてセラフィが嬉しそうな顔をするけど、やっぱり元気ないな。
「お前は食べないのか? 腹が減ってるんだったら、食べた方がいいんじゃないか?」
「う、うん」
とても食べられそうな感じじゃないか。今のは失言だった。
そんなわけで、俺もセラフィも昼食をとれる感じじゃなかったので、隅っこの方で見学していよう。
――と思っていたのに、
「おお、ここにおったのか」
テレンサリーと大臣のキボンヌが、雁首をそろえてやってきた。
「セラフィーナ王女。楽しんでいるかね? 今日のために、各地で獲れる特産物をわざわざ用意させたのじゃ。たくさん食べていってくれないと困るぞ。わっはっはっは」
豪快に笑いながらシャンパンみたいな液体を呑んでやがるけど、正気かよ。俺の後ろに隠れているセラフィが楽しんでいるわけないだろ。
言い方もなんか恩着せがましいし。うざいなこいつ。
キボンヌの方は俺たちの気持ちを察知したのか、必殺の高速ゴマ擦り攻撃をここぞとばかりに披露して、
「陛下。王女殿下は緊張しておられるのですよ。まだお若い方ですから、こういう場に慣れておられないのでしょう」
「おお、そうじゃったのか」
そうじゃったのか、じゃねえっつうの。だったら空気を読んで向こうに行ってくれよ。
本当に面倒くさいな。諸外国との人付き合いって。こんな面倒なものを毎日食らっていたら、着いた初日で帰国したくなるよな。
俺がセラフィの立場だったら、祖母の急死を理由にして会合もパーティもばっくれているところだろうな。こんなやつらにいくら不審がられようが、知ったことではない。
こんな針の筵のような苦痛を我慢しつづけるくらいだったら、自己の人間性を疑われていた方が数倍マシだ。帰国したらもう二度と会わないんだし。
そんな俺の空々しい態度が目についたのか、テレンサが不意に目を細めて、
「それで、さも当たり前のようにいる君は、だれじゃったかな?」
やんわりとした喧嘩腰で吹っかけてきた。心の中でツイートしておくが、あんたなんかににらまれても全然怖くないからな。
「エレオノーラで近侍をやっている安藤悠真という者ですが」
「近侍? では貴公は、セラフィーナ王女の側近なのかね?」
テレンサが、さも意外ですという顔で大げさに驚きやがった。ああそうだよ。文句あるか。
よく見ると、後ろの隅っこの方でシャロが俺たちの方を見ている。イザードの官吏たちから口説かれているみたいだけど、そんなものは無視で、怒りを押し殺したような顔を向けている。
あいつも相当気に入らないんだな。テレンサの態度は条約違反にもほどがあるからな。
あーあ。このうざい会場ごと、きれいさっぱりにふっ飛ばせる刻印術はないのかね。
「あの、俺からも聞きてえことがあるんですけど」
俺が剣呑な目つきでにらむと、テレンサとキボンヌがびくっと反応した。
「な、なんじゃ?」
「マリオ……ト王太子殿下のことなんですけど、あれはどういうことなんですか?」
その瞬間、俺の着ているスーツがきゅっと後ろに引っ張られた。俺の暴走を制止するかのように。
すまない。だが、こんなになめられっぱなしなのは、もう我慢できねえよ。
「あれ、とは、なんじゃ?」
「すっ惚けてんじゃねえよ。さっきの求婚騒ぎのことだよ」
テレンサがわざとらしく惚けたので、俺の中の何かが切れてしまった。
はっきりと言い切ってやると、テレンサとキボンヌは逆切れするかと思いきや、なぜか焦りだして、お互いの顔を見合ったりしながら言葉をつまらせた。
「あれは、その、王太子殿下の恣意でありまして、あの……」
「そうじゃそうじゃ! われらイザードの意志とは反するものじゃ。じゃから、気にするでないぞ」
気にするわボケ! そのせいでセラフィは食事が喉を通ってないんだぞ。とか、もう山ほど言ってやりたかったけど、さすがにそれはできないので堪えてやる。
「では、無効と考えていいんですね?」
「も、もちろんじゃ! セラフィーナ王女との縁談については、日を改めて申し込むつもりじゃから……そんなに怖い顔をするな」
テレンサが「青年よ。腹が減っているのならたくさん食べなさい」と言って、ご機嫌とりとばかりに料理をよそってきたので、仕方なく受けとってやった。
ついでに誓約書まで書かせてやりたかったけど、今日はこの辺で許してやるよ。




