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第44話

この章はフィオスの視点による番外編です。次話以降のネタバレが含まれているので、気に入らない方は読み飛ばしてください。


 私は大きな間違いを犯してしまった。


 天穹印がイリスの大陸を浮かす中央装置であり、あの恨めしきゼインを生み出す諸悪の根源であることは、彼女が調べ上げた結果からわかっていた。


 そして各国の首都の最下層に位置し、代々の王族たちによって護られていることも周知の通りだった。


 天穹印までの道を閉ざす扉を開けて中へと侵入する。そして、私のディナードで天穹印を破壊する。――そこまでは間違っていなかった。


 私は、アラゾン人たちの狡猾さを心のどこかで軽んじていたのかもしれない。


 荒廃していない陸地を切り取って天上へと浮かせる技術力をもつのが彼らだ。その彼らが、外敵の侵入を想定していないはずがなかったのだ。


 天穹印の扉の開け方はわかった。次はあの防衛装置の対処方法について調べなければ、私の願いを叶えることはできない。


 天穹印の扉をすぎて地上への階段を一気に駆け上がる。階段と地下牢のフロアに官吏の姿は見えない。


 私が叛逆者であったことは、王宮のすべてにはまだ伝わっていないようだ。これならば逃亡するのは容易だろう。


 王宮の門を越えれば、師獣を飼育する小屋がある。そこまで辿り着ければ、逃亡は成功したも同然だ。


「待て!」


 外廷の廊下でひとりの官吏が私の前にあらわれた。剣を差しているところを見ると、禁衛師士のひとりか。


「お前、急いでどこに向かうつもりだ。今は、仕ご……」


 師士の男が、私の服についた返り血に言葉をなくす。そして、私が手にする剣を見て事態に気づいたようだ。


 ディナードは天穹印の強固な障壁によって折れてしまった。だが今は一国の猶予も残されていない。


 この剣はユウマ殿から借りた剣だから、無闇に血で汚したくなかったが、仕方ない。


「貴さ――」

「ちっ」


 男の首を正面から斬り払う。男は血しぶきをあげて絶命した。


「キャア!」


 脇の廊下にいた女官が悲鳴をあげる。まわりに気づかれる前に早く王宮から出なければ。


 すれ違う官吏たちをすり抜けて外廷を飛び出す。王宮の内側の門を司る衛士えじたちを斬り殺して、門の向こうへ到達した。


 人気ひとけのない小屋に押し入り、房に入れられている師獣たちを端から物色する。


 奥の房に三頭獣のケレブスが巨躯を丸めて休んでいる。ケレブスは、イリスの中で飛行能力が高い師獣だ。


「待てっ。ケレブスを勝手に出してはいかん!」


 この小屋の責任者だと思わしき人物を物言わぬしかばねにし、ケレブスで王宮を飛び立つ。王宮の門から数人の官吏たちが飛び出してきたが、もう遅い。


 命かながら逃げ出すのは私の流儀に反するが、つまらない意地を張っていても私の願いは叶わない。折れてしまったディナードを修復するためにも、一度本国へ帰還しなければ。


 そんなことに思いを馳せていると、前方に屈強な航空兵たちの影が見えた。


 タイミングからしてエレオノーラの刺客ではないはずだ。しかし相手にも気づかれたようだから、ここで不自然に軌道を変えたら彼らに怪しまれてしまう。


 私は手綱をにぎりしめて、彼らの脇を通りすぎようとした。だが彼らは、私のよく見知っている者たちであった。


「あ、フィオス様」


 師獣に跨り黒の忍び服で身を包んだ男が私に敬礼する。


「どこの隊の者だ」

「は。われわれは王弟殿下の部隊です」


 叔父上の部隊がこんな近くの空域を流浪しているとは思わなかった。しかし、ちょうどいいタイミングだ。


「叔父上はいるか?」

「は。隊の後ろで休んでおられます。お呼びいたしましょうか」

「いや、私が行かねば失礼にあたるだろう」


 従順な男を労い、部隊の後ろへと向かう。二十名程度の少数部隊だが、叔父上の直属の部隊は兵法と武術に長ける者たちばかりだ。


 叔父上は私の姿を見ると、眉間をわずかに動かした。


「叔父上」

「フィオスか。その身なりでは、天穹印の破壊はどうやら失敗に終わったようだな」

「は。仰せの通りです」


 叔父上は私の戦略を否定している人だ。自論の有益性を示すためにもエレオノーラの天穹印はなんとしても破壊しなければならなかったが、失敗した今となっては元も子もない。


 叔父上は顔をしかめて言った。


「単身で敵国に乗り込むなどと無茶なことはいたすなと、あれほど教えてやったというのに、何たる様だ」

「申し訳ありません」

「己は才気があり、先を見通す力も備えているが、少しばかり才気にはしりすぎるきらいがある。肝に銘じておくんだな」

「は」


 私は叔父上に頭を下げた。


「ですが、叔父上。怪我の功名ではないですが、敵国を直に視察できたのは非常に有益でした」

「ほう。然るに、何が有益だったと申すか」

「は。天穹印については語るに及びませんが、エレオノーラの官吏たちの中にも強敵が潜んでおりました」

「ふむ。強敵とな」


 叔父上は屈強な人間を好む。あの女の話は土産話にはうってつけだ。


「その者は女ですが、女ながらに卓越した剣術を習得しておりました。天穹印の間で幾度と刃を交えましたが、私では太刀打ちできませんでした」

「お主を苦戦せしめるほどの腕前か。女というのが残念だが、ぜひお手合わせ願いたいものだ」

「は。その女はエレオノーラの禁衛師士で、奇妙な抜刀術を使います。叔父上が対峙されることはないかと思いますが、対峙されたときはご注意ください」

「わかった。覚えておこう」


 叔父上が目を細めて顎をさすった。


「それと、イリスとは異なる世界から来たという者にも会いました」

「ほう。異世界から来たと申すか」

「は。名はユウマと言いまして、黒い目と髪をもつ不思議な人間でした。武術はさほど長けていませんでしたが、われわれの及びつかない知恵と技術をもっているようです」

「黒い目と髪をもつとは、なんと不吉な。まるでイリスの落日を象徴するかのようだ」


 叔父上が空の遠い先を眺めて苦笑する。


「お主は、そのユウマという人間の方が興味あるようだな」

「わかりますか」

「お主は変わった者が好きだからな」


 そう言うと叔父上は声を出して豪快に笑った。


「さて、ここで無駄話をつづけているわけにもいくまい。わが隊にくわわるというのなら、止めはせんが」

「そのお気持ちはありがたいのですが、私は一度本国に帰らなければなりません。戦いでディナードが折れてしまいましたので」

「そうか。ならば兄によろしく伝えてくれ」

「は」


 叔父上が部隊に指示をあたえ、武装した部隊が厳かに動き出す。その壮烈な後ろ姿を見送る。


 叔父上は術法をつかわずに、屈強な兵と力でイリスの他国を攻め落とすのだという。天穹印など破壊せずとも、国を攻め滅ぼせばよいと考えているのだ。


 私と最終目的は同じだが、そこに至るまでの思想が大きく異なっている。


 私の戦略と叔父上の戦略、どちらが先に功を奏すのか。楽しみではあるか。


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