第42話
紅蓮の騎士は化生だから、あいつの心臓部分に触れて熄滅と唱えれば、あいつを破壊することができる。
だが、そのためには、あいつに近づかなければならない。
幸か不幸か、縄で動きを止める術法を知っている。あいつの動きを一瞬でも止めることができれば、その隙に近づいてあいつをたおすことができるのだ。
何度も熟考したけど、やはりこの方法しかない。
気がかりなのは、術をかわされる可能性があるということだ。
刻印術は紙や土などの媒体に刻印を正確に書かなければならないという制約があるため、戦闘中に刻印をフリーハンドで書くのはほぼ不可能に近い。だから刻印は事前に用意しないといけない。
俺が持っている縄の刻印の枚数は、二枚だ。一回かわされてもワンチャンスがあるが、それはあまり期待できない。
一回目をしくじれば、二回目は警戒されることになる。だから、実質的には一回であいつを確実に縛りあげなければならないのだ。
しかし、あの騎士は疲れを知らない生物兵器だから、馬鹿正直に正面から攻めたらかわされてしまう。
俺はどうやって攻めたらいいんだ。
「シャロ!」
俺が声をあげると、シャロは騎士の相手をフィオスにあずけてすっ飛んできた。
「どうした」
「あいつをたおす作戦を思いついたんだが、俺一人じゃ絶対に失敗する。すまないが俺に力を貸してくれ」
縄の術法で動きを止める作戦をシャロに伝えた。冷静に考えるとかなり単純な作戦なので、シャロにどんな顔して罵られるのかと覚悟してたけど、
「勝算はあるのか?」
シャロは真剣な顔でそう聞き返してきた。
「作戦は無駄に複雑なものよりも、単純なものの方が成功しやすい。単純だと嗤う者がいるのなら、後で勝利の凱歌を耳に穴ができるまで聞かせてやればいい」
小難しい比喩表現をつかっているが、俺の考えに同意していると思っていいんだよな?
「協力してくれるのか?」
「そんなこと、この期に及んで確認することでもあるまい。それでどうなのだ? 勝算はあるのか」
勝算はある。というか、この方法しか思いつかない。
俺がこくりとうなずくと、シャロはくるりとふり返って俺に背を向けた。腰に差したエクレシアをにぎりしめて。
「わかった。われわれが囮となって、あいつの足を止めればよいのだろう?」
シャロは踵を返してフィオスたちのもとへと戻っていった。そしてすぐに作戦を伝えたみたいで、フィオスは俺に手で合図を送ってきた。
これで準備はととのった。あとは機会をうかがって術をつかうだけだ。
本来なら騎士が疲弊するまで待ちたいところだが、それは期待できない。むしろ時間が経過するたびにシャロとフィオスが疲弊して、俺たちがどんどん不利になってしまう。
だから、そんなに長い間待っているわけにはいかない。タイミングを計るのも難しいぜ。
「くっ!」
そうしているうちに、槍の穂先がシャロの腕をかすめてしまった。フィオスにわたした剣も、遠目でもわかるくらいに刃がぼろぼろに砕けている。
一方の騎士はまだ全然余裕そうだ。シャロとフィオスがふたりがかりでかかっているのに、なんで平気なんだ。あんなの卑怯だぜ。
フィオスはともかく、シャロをむざむざと見捨てるわけにはいかない。ここまでなのか。
我慢できなくなって、俺は紙をにぎりつぶした。
そのとき、向こうからシャロが俺に視線を送ってきた。
少し切れ長だけど、改めて見てもやっぱりきれいな目だ。青く透き通った目は神秘的で、心を惹きつける特別な力がある。
そして何を語る風でもなく、シャロはまた騎士の方に向き直って攻撃をかわしていた。
――好機はもうすぐ到来する。だから貴様はそこでじっとしていろ。そんな言葉をかけられたような気がした。
それから十分くらい経過していたのだろうか。固唾を呑んで粘っていた後に、
「は!」
シャロがあいつの槍をかわしながら足もとに潜り込み、瞬時に抜刀したエクレシアで一閃した。
燕が落ちるような速さで斬り払われた白刃が、騎士の左の膝を真横に切断する。
足の支えをなくした騎士は床に横転して、背中をつけて仰向けに倒れた。
――今だ!
俺はすべての雑念をかなぐり捨てて、刻印を放り投げた。
刻印は空中ですぐに姿を消して、三本の縄を具現化する。それらが蛇みたいにくねくねとうねりながら、高速で騎士に迫って足と腹と胸部に巻きつく。
同時に俺は全速力で駆け出していた。術法の成否も、紅蓮の騎士が槍を持っていることも、関係ないっ。
「熄滅アァ!」
絶叫しながら跳躍。ふりかぶった右拳を着地と同時にあいつの心臓に叩きつけた。
騎士は青白い光を発して、ばちばちと紫電を放ちはじめた。セラフィがラウルを熄滅させたときと同じように。
騎士が意志のない人形みたいにぐったりとたおれる。右足の付け根と槍の穂先が灰のようにぽろぽろと砕けはじめて、白い空間へと静かに消えていく。
「終わった、のか」
騎士から離れて、呆然とその様子を見守る。シャロとフィオスも俺の後ろで固唾を呑んで見守っているのだろう。
そして数分と経たないうちに、役目を終えた騎士は俺たちの前から姿を消していった。
* * *
「けっこうぎりぎりだったな」
戦いが終わって、張り詰めていた緊張が弦をゆるめるように解ける。途端に身体の疲れが襲ってきて、俺は床にへたりこんだ。
「化生が出てきたときは、お先真っ暗だったけどな。まあ、結果的には五体満足で帰れるんだから、何気に俺たちの完全勝利だったんじゃないのか」
そんなことを言ってみると、そこに立っているシャロが「ふふん」と鼻で笑った。
「そのわりには精魂尽きてますっていう顔をしているな。まったくどこのどいつだ? 早まって術を使おうとしていた馬鹿者は」
「うるせえな。お前が今にも死にそうですっていう顔をしてたから、己の信念を曲げて助けてやろうとしたんだろ? あそこはむしろ褒めるところだろ」
シャロは相変わらず癇に障るやつだが、今は全然いらいらしない。むしろこいつの小言が聞けて嬉しいくらいだ。
そんなことを思うと、腹の底から笑いがこみあげてくる。俺とシャロはいつも敵対しているのも忘れて笑った。
笑いがいくらか収まってきたころに、シャロが「まあ」と口を切って、
「かなり危ういときもあったが、貴様の言う通り、結果的には何事もなくてよかったな。天穹印も無事に守り通すことができたし、暴れ狂うガーディアンを鎮めることもできた。これもすべて、貴様とフィオス殿のお陰――」
そこではたと口を止めて、シャロが石のように硬直した。そして、
「そうだ、フィオス殿はどこへいったのだ!?」
いつになく狼狽して天穹印の方を見やった。
そうだ。さっきまで化生と共闘していたからすっかり忘れていたけど、元はと言えばフィオスが諸悪の根源だったのだ。
そうとわかれば、こんなところでぐったり休んでいる場合じゃねえ。身体はものすごくだるいけど、フィオスを早く探して捕まえなければ。
そう思って天穹印の方に俺もふり向いてみたが、そこにフィオスの姿はない。裏に隠れているのかと思って確認してみたけど、そこにもフィオスはいなかった。
「あそこだ!」
シャロの悲鳴のような声が聞こえたので、急いで戻ると、真っ白な空に一台のリフトが浮かんでいた。
リフトはゆっくりと上がっているが、リフトの上にフィオスがいた。あの野郎、尻尾を巻いて逃げる気だ。
あいつは折れたディナードと俺が貸した剣を腰に差して、余裕ありげな表情で俺たちを見下している。待ちやがれっ。
「今回は私の惨敗です。なので誠に残念ですが、今日は潔く身を引きましょう」
「待て!」
シャロが目一杯に叫ぶが、上昇したリフトは止まらない。俺は苦しまぎれに縄の術法を放ったが、それも俺の剣であっさり斬り捨てられてしまった。
フィオスは俺の剣を見せびらかせて、不敵な笑みを浮かべた。
「せっかくですので、この剣はしばらくお借りします。いつか必ず返しに参りますので、そのときまで待っていてください。それでは」
そう言い残して、フィオスは天穹印の間から去っていった。




