「冒険の書八十七:ヴァネッサは星に願わない」
~~~ヴァネッサ視点~~~
ディアナとリリーナが流星群に見惚れていた頃……。
温泉町リメイユの一角――最も安い宿の一室に、ヴァネッサはいた。
といって、観光を楽しむとか料理に舌鼓を打つとかではない。
いかにもボロい部屋の中、小さなテーブルに載せられた書類の束と、必死になって格闘していたのだ。
「ああもう、全然終わらないじゃないっ。何よこれっ」
書類に書かれているのは『闇の軍団』の被害報告だ。
パラサーティアの戦いで失った兵士、装備、食料の報告がまだ終わっていないのに加え、最近では王都攻略用の補給基地の被害報告までしなければならなくなっている。
この宿をとってからすでに一週間が経過しているが、報告書作成はまったく終わる気配がない。
ヴァネッサの顔には焦りと疲れの色が浮かび、目の下には濃い隈ができている。
「たしかに補給基地に兵士は置いてなかったし、擬装もそれほど上手じゃなかったけど、あの勢いで見つかって潰されまくるのはさすがにおかしいでしょっ」
一般市民からの情報提供を受けたディアナたちは、ただちに現地に急行。チェルチの空からの偵察とベルトラの召喚したアンデッドによる人海戦術で、瞬く間に多くの基地を発見、潰しまくった。
「水や食料はもちろん、基地建てるのだってタダじゃないのよ? 『闇の軍団』のお財布事情も考えて欲しいわねっ」
ヴァネッサは『闇の軍団』の作戦参謀の他、経理も担当している。
最近のディアナたちの活躍のせいで、その負担はもうえげつないことになっていた。
「ああもうこんな気持ちよさそうな顔して寝やがって……ああああもうっ!」
覗き鏡の魔術のこめられた水晶玉には、気持ち良さげに鼻提灯を作るチェルチの寝顔が映っている。
浴衣の前をはだけて腹を出して、「むにゃむにゃ、もう食べられないよ~」とベタな寝言を口にするその姿には、さすがのヴァネッサも殺意を覚える。
なんだったら今から行って縊り殺してやろうかと思うぐらいだが、魔王のママになるかもしれない娘をまさか殺すわけにはいかない。
「うううぅ~……せめて温泉とお酒だけでも楽しみたいわっ。『流星祭り』の期間だけ秘蔵の酒が提供されるとかいうし、こんな仕事とっとと終わらせて飲みにいかないと……っ」
酒好きなヴァネッサが秘蔵の酒をモチベーションにして書類と格闘していると……。
「おお~い、ヴァネッサ生きてるかぁ~? 我が帰ったぞおぉ~いっと♪」
調子はずれの鼻歌を歌いながら、ギイが帰って来た。
顔を真っ赤にして、千鳥足で、しかもずいぶん酒臭い。
「……ギイ、あんた防衛施設の偵察に行ったはずよね? いずれ来たる『大侵攻』のための。なのになんでそんなに酒臭いの? はっ……まさかまさか……っ?」
「そりゃもちろん、偵察ついでにそこの屋台で一杯ひっかけてきたのだ。美味かったぞ、あっははは~♪」
いかにもご機嫌、ご満悦といった様子のギイは、ベッドの上に寝転がると子どものようにパタパタと足を動かした。
「一杯ひっかけてってあんた……ダークエルフのくせに人前に顔を晒したの?」
「ああ~? 別に皆、気にしてなかったぞ? 肌の浅黒い子どもぐらいに見えたんじゃないのか?」
「そりゃこんな町中にダークエルフがいるとは思わないでしょうけど……というか、こんな夜中に屋台でいっぱいひっかける子どもってのもどうかと思うけど……。これも祭りテンションってやつかしら、勢いでなんでも許しちゃうっていうあの……」
色々ツッコミたいところはあるが、この際それは後回しだ。
「……あんたちなみに、お酒って何を呑んで来たの?」
「『りゅうせい』ってやつ。祭りの間だけ売ってる特別な吟醸酒? とかなんとか言ってたが……」
このひと言が、かろうじて保っていたヴァネッサの理性の糸を断ち切った。
「美味いしかったっ? 美味いしかったっ? というかまだあったっ? 期間限定の貴重なお酒らしいのよ!」
「ああ~? もうすぐ終わりって言ってたな~。この調子だと朝までもたないかもって~」
「――行くわよ」
「ええ~? 仕事はあ~?」
「剣バカのくせにまともなこと言うんじゃないわよっ。あのね、それはきっと、『明日のわたし』がやってくれるからいいのっ」
「そうゆ~の、ダメな大人の言うセリフだって屋台の親父が言ってたぞ~?」
「いいから、早くその屋台に案内しなさいっ。ほら急いでっ。立てないならおぶってあげるからっ」
ぐでんぐでんになっているギイを背負うと、ヴァネッサは安宿を後にした。
目的地は深夜でも営業している屋台と吟醸酒『りゅうせい』。
外に出ると、流星群を見たとか見ないとか願いをしたとかしないとか言っている連中とたくさんすれ違ったが、そんなものはどうでもいい。『あの方』の指示のもと魔王復活のために奮闘するヴァネッサは、星になんて願わない。
「とにかく酒よ酒! 待ってなさい『りゅうせい』!」
この後その表情が絶望に変わることを、ヴァネッサはまだ知らない……。
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