「冒険の書八十六:星に願いを」
「できることなら『一般人として、皆さんと旅を続けたい』ですわ」
ここまでひた隠しにしてきたはずの本音を口にしてしまったリリーナは、ハッと顔色を変えた。
自らのやらかしを恥じ、狼狽えた。
チェルチは気づかなかったようだが、ルルカは「あれ?」というような顔をしたし、ララナ・ニャーナのふたりは「あちゃ~……」とばかりに顔を手で覆った。
「い、今のは言い間違えですわっ。『一般人を装って皆さんと旅をするの、密偵みたいで楽しかったですわ』と言いたかったのですわっ。それ以外の何ものでもありませんわっ」
リリーナは少々無理のある言い訳をした。
その後も余裕あるフリをして取り繕っていたが、語尾の震えは隠せていなかった。
実際、リリーナはこう思っているのだろう。
『王族ではなく一般人として、冒険者として生きていきたい』と。
だが立場上そんな風には言えず、かといって楽しい慰労会をおかしな雰囲気にもしたくなくて、だからこそ……。
「さ、皆さん。そろそろ上がるとしましょうか。美味しいお食事が待ってますわよっ」
せいいっぱい明るく振る舞い、誤魔化し続けた。
それは夕食の席でも同じだった。
個室に運び込まれた豪華な酒食を大げさに喜び、大げさに褒めたたえ、誰より多く食べ、無理やり酒を飲んで、ひどく酔っぱらった。
普段のリリーナからは想像もつかないような立ち居振る舞いに、ララナ・ニャーナのふたりは終始気を揉んでいたようだった。
+ + +
やがて個室に六人分の寝具が敷かれ(ベルトラはもちろん別室だ)、皆は枕を並べて横になった。
ここまでの旅の疲れもあってか、あれほど盛り上がっていた『流星への願い』や『恋バナ(?)』に興じることもなく、皆はストンと落ちるように眠りについた。
「……ん?」
ワシが目を覚ましたのは夜中のことだ。
カーテン越しに星明かりの差し込む中、六人分ある寝具のひとつが空になっているのに気がついた。
「……リリーナ? どこへ行ったのだ?」
厠に行っている程度ならいいのだが、何せあやつは王女だ。
万が一のことがあってはまずいと、ワシは布団をはねのけ立ち上がった。
「いくら高級宿とはいえ、どんな奴が潜んでいるかもわからんしな」
方々を探し回った結果、リリーナを見つけたのは宿の屋上だった。
普段は洗濯物などを干しているのだろう一角に従業員向けの休憩所のようなスペースがあり、リリーナがひとりでベンチに座っていた。
「おいリリーナ、探したぞ」
「まあ、ディアナさんっ?」
ワシが探しにきたことが嬉しかったのだろう、最初はパッと顔を輝かせて喜んでいたリリーナだが……。
「ごめんなさい。護衛対象なのに勝手なことをしてしまって……。ホントにダメですわね。今日は最初から最後まで、ずーっと空回りで……」
ハアとため息をつき、落ち込むリリーナ。
傍らには水の入った瓶がある。
酔い覚まし兼、ひとり反省会でもしていたのだろうか。
「風呂でのことなら、ワシにはようわからん。というか、もともと人づき合いが苦手だから、良し悪しがそもそもわからん」
「……それは、ディアナさんが武人だからですか? それともエルフだから?」
「どっちもだ。戦って勝つ、戦って勝つ。人族よりも長い人生を、ただそのためだけに費やしてきた。そのせいで他人の感情の動きには鈍くてな。やらかしてしまったことも数えきれん」
そのせいで、あれほど明白だったアレスたちの思いにも気づけなかったぐらいだ。
「そういう意味で、おまえはすごいと思うよ」
リリーナの隣によっこらせと座ると、一緒になって空を眺めた。
夜空には満天の星々が輝き、高所特有の冷涼な風が心地よい。
「人づき合いをどこまでも大切にしている。本当はしたくないのに、全部を放り出して逃げたいのに、王女としての重責を果たそうとしている。泣き言だって、そりゃあ出るだろうよ。それを責めるのは、さすがに違うだろう」
「ディアナさん……」
ワシの言葉が呼び水となったのだろうか、リリーナはポツリポツリと、自らの過去を語り出した。
生まれつき自由に憧れていて、男勝りで、子どもの頃に大好きだった遊びは『冒険者ごっこ』だったこと。野山や川が友達だったこと。
王族として生きるのが嫌で、見知らぬ男と政略結婚させられるのが嫌で、何度も家出を繰り返したこと。
そのつど連れ戻され、手を焼いた父親から折衷案として『勇者学院を卒業するまでの期限付き自由』を手に入れたこと。
パラサーティア防衛戦のせいでその期間が半年近くも縮まってしまったことについては、とうとう触れなかった。
それを言えばきっと、『ワシのためになりふり構わず動いた』のだと言わざるを得なかったから。
それはきっと、ワシを傷つける結果に繋がるからだろう。
「王女なんていう皆さんが羨む地位なのに、贅沢が過ぎると言われてもしかたがないですわよね」
そうは言いつつも、悔しいのだろう、辛いのだろう。
その証拠に、浴衣の裾を掴むリリーナの指が、力の入りすぎで真っ白になっている。
「ホントにわたくし、どうしようもないダメな女で……」
「いや、そうは思わんよ。だって、考えてもみよ。もしワシを縛り付けようとする者がいるなら、力ずくで殴り倒すだろう。包囲があるいなら喰い破って、無理やりにでも脱出するだろう。それはもちろん、ワシが一般人だから言えるセリフではあるが……」
それはもちろん、ワシが人族ではなくドワーフで、王女ではなく武人だから言えるセリフではあるが……。
「ここではないどこか遠くへ行きたい、束縛から逃れ自由になりたい。それ自体はごく普通の、ごく当たり前の、人としての望みだろう。おまえが恥じることなど、一切ない」
「ディアナさん……」
今の地位を捨てて逃げろと勧めているわけではない。
それにきっと、勧めたとしてもリリーナは逃げないだろう。
これまで一緒に旅してきたからこそ、わかるのだ。
この子は真面目で、賢い子だ。
民を統治する、民のために体を張る、真の王族としての資質を持っている。
それでも悩んでいるのは、苦しんでいるのは、この子が子どもから大人になろうとしている真っ最中だからだろう。
ならばこそ、今のワシにできることはそれほど多くない。
この子の悩みを聞いてやること。
苦しさを理解し、受け止め、時にすがりつかせてやること……それぐらいだ。
「ディアナさん……っ」
はたして、リリーナはワシの肩に顔をうずめてきた。
嗚咽を堪えるように唇を噛み、ポロポロと涙をこぼした。
そんな時間が一分過ぎ、二分が過ぎ……。
とうとうリリーナは、これまで己の内に押し込めた言葉をぶちまけ出した。
「わたくし、王女になんてなりたくない」
「うむ」
「一般人として、ただの冒険者として生きていきたい」
「そうだな」
「できれば、このまま、ディアナさんと……」
「わかっておる」
ワシはリリーナの頭を抱き寄せた。
手が短いので背中までは届かなかったが、代わりに何度も頭を撫でた。
自らの子にそうするように……もちろんワシに、子どもはいないけども。
「リリーナ、おまえはよくやってる」
「はい」
「おまえは偉い」
「ありがとう……ございます」
慰めるうち、ズキンと胸が痛み出した。
ズキン、ズキンと、継続的に。
それはきっと、心因性の胸の痛みだ。
人づき合いに悩むなどという慣れないことをしているから、心臓がビックリしているのだろう。
痛みと共に、昔を思い出した。
人魔決戦に向かうアレスの背中を見送るルベリアの、あの辛そうな眼差しを。
立場上、共に戦場に向かうことのできない賢姫の、痛みに満ち満ちた表情を思い出した。
「リリーナ、ひとつおまえに約束しよう」
「……約束?」
リリーナが、涙でぐしょぐしょになった顔をワシに向けた。
「これから激しくなるだろう『闇の軍団』との戦いの、常に矢面に立ってやる。奴らの思惑を粉砕し、本拠地をぶっ壊し、数多の功績を挙げてやる」
「功績を……」
「そうすればおまえたち王族も、ワシを表彰せねばならぬだろう? そのたび王の間へ招き、褒め称えばならぬだろう? その場にはきっと、ずらり王族が列席していて、当然だがおまえもいて……」
「ディアナさんの方から……会いに来てくださると?」
「さすがに『勇者』になるとは言えんから、今はまだ『武人』としてだがな」
戦うことしか知らぬワシに、『勇者』はまだまだ、荷が重い。
そう思ったワシが釘を刺すと、リリーナがこれまでとは比較にならぬ量の涙を流し出した。
ボトボトッ、ボトボトッ、膝に大量の滴が落ちた。
「もう、そんな、ずるい、ですわ。そんなこと、言われたら、わたくし……っ」
嬉し涙なのだろう、顔を笑みの形にしながら泣くリリーナ。
「期待、しちゃうじゃ、ないです、か」
「うむ、期待しておれ」
「そういう意味じゃ、ないん、ですけどっ。ないん、ですけどっ、もうっ」
なぜか怒り出したリリーナは、パチリパチリとワシの二の腕を叩いた。
まったく痛くない、じゃれつくような叩き方で。
「なぜ怒る……?」
ううむ……女心とはわからぬものよの。
そんな風にワシが戸惑っていると……。
「わあ! 見て見て!」
「流星だ! しかもひとつじゃない、流星群だ!」
誰かの叫びが、宿中にこだました。
「流星っ? ホントだっ、わあぁぁぁ~っ、すごいっ、ホントに見れたっ。すごいすごいっ」
子どものように手を叩いて盛り上がるリリーナの目線の先には、まぎれもない流星があった。
黄金のホウキのような尾を引く、まばゆい流星。
それが群れを為して降り落ちてくる。
「おお~、なかなかすごい量だのう。これはご利益がありそうだわい」
流星群が去ってひと息ついた後、ワシは改めてリリーナに訊ねた。
「それでおまえは、何を願ったのだ?」
さっきあんなことがあった後だから、確認の意味もこめて。
しかしリリーナは、素直には答えなかった。
涙でぐしょぐしょになった顔を拭うと、花が綻ぶように笑った。
「ふふふ……それは秘密です♡」
人差し指を唇の前に立てると、意地悪を言った。
実に嬉しそうに、子どもが大人をからかうように。
さきほどまで絶望にうちひしがれていたはずの娘はもう、そこにはいなかった。
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