「冒険の書六十九:大きすぎた代償」
ラーズの喉につま先で蹴り込んだ、その瞬間――火袋が真っ二つに裂けた。
中に充満していた可燃性の液体が、その衝撃で爆発。
辺りに炎をまき散らした。
自らの喉元で爆発の起こったラーズは仰向けに倒れ、そのまま動かなくなった。
顔は黒く煤け、もはや表情すらもわからない。
「くっ……?」
一方のワシも、まったくの無傷とはいかなかった。
爆発にモロに巻き込まれた足先が、ぐちゃぐちゃで血みどろの、とにかくひどい見た目になっている。
「痛っ……さすがに無傷とはいかんか……」
「ディア……ナちゃ……っ」
ワシと同時に限界を迎えたのだろう、ルルカが前のめりに地面に倒れ、動かなくなった。
死んでいるのではなく気絶しているのだろうが、この場でそれは、さすがにまずい。
「ラーズ様がやられただと!? どうする……敵が来る前に逃げるか!?」
「ムカつく奴だったからせいせいするわ! 放っといて逃げようぜ!」
「バカ言え! 仇討ちだ! 仇を討った者が次の魔戦将軍になるんだよ!」
「「「なん……だと⁉」」」
忠誠心のカケラもない親衛隊だが、誰が言い出したのか『仇討ちした者が次の魔戦将軍になれる』という謎の取り決めに目が眩み、一斉にワシらに襲いかかって来た。
「頭目を失って逃げ出すかと思いきや、すかさず跡目争いを始めるとはな。なんとも魔族らしいというか……。ま、この状況ならすぐに決着がつきそうだし、殺してから逃げればいいだけだしな。そういう意味では合理的な発想といえるか」
ルルカは意識がなく、ワシは右足にひどいダメージを負っている上に、魔力も気も使い果たしている。
今なら余裕で殺せるし、魔戦将軍にはなれずともラーズの仇を討った褒章が得られるのなら、この場に踏みとどまって戦う価値はあるというわけだ。
だがこちとら、その可能性も計算済みだ――
「チェルチいぃぃぃぃー!」
「あいよおぉぉぉぉぉー!」
ワシが叫ぶのを待っていたかのように、チェルチが現れた。
今の今まで『魂魄支配』で乗っ取っていたのだろうか、足元にはいかにも弱そうなゴブリンが倒れている。
「ワシはいい! まずはルルカを!」
「言われなくてもわかってらい!」
チェルチは翼を羽ばたかせ低空飛行を始めると、地面に倒れているルルカを引っ掴んだ。
そのまま猛スピードで飛び、たて続けにワシを掴もうと試みたのだが……。
「……なっ⁉」
チェルチに向かって手を伸ばしたワシを、後ろから引っ張る者がいた。
誰だと思って振り返ると、そこにいたのはラーズだ。
「まさかまだ生きて? ……いや、死んでいるのか」
生きているのかと思ったが違った。
ラーズはすでに絶命しているが、伸ばした右の鉤爪だけが、ワシの服に引っかかっていたのだ。
「せめてワシを道連れにしてやろうというわけか……やってくれるっ」
五万もの大軍を率いた魔戦将軍の、最後の意地というべきだろう。
それに気づかなかったのは、ただただワシの間抜けだ。
残心――戦い終わった後も気を抜かず、相手に注意を向ける心構え――を怠ったツケが回ってきたのだ。
「おいディアナ!? なんで……!?」
ワシを掴み損ねたチェルチは、裏切られたような顔になった。
どうしてワシが手を伸ばせなかったのか、当初の計画通りのはずなのに、なぜ?
いくつもの声にならない疑問を、表情に浮かべた。
しかし、その場に留まっているわけにもいかないので上昇を開始。
ある程度の高さまで上昇した後も、旋回しながらワシを見下ろしている。
気遣い自体はありがたいが、そのままだと飛行可能な他の魔族に捕捉される可能性がある。
チェルチ自身に戦闘能力はほぼ無く、このままではルルカまでも一緒に殺されかねない。
なので、ワシは叫んだ。
「すまん、先に行け!」
「だって……その状態じゃ!」
「すぐに追いかける! いいからワシを信じろ!」
チェルチはしばらく悩んでいる様子だったが、飛行能力を持つ魔族が集まって来ているのに気がつくと、慌てて逃げ出した。
「助けを呼んでくるから! それまで絶対生きてろよ!」
「ふん、大丈夫だと言っておろうが!」
強がって言い返したが、もう終わりだということは自分自身が一番よくわかっていた。
「……な~んてな。『精髄』が焼き切れてしまっては、魔力も気も、満足には扱えまい」
三分でラーズを殺すためとはいえ、魔気変換三十倍はやりすぎた。
おかげで精髄が壊れてしまった。
精髄とは、人の体の中を流れる力の流れだ。
心臓から血管を通り、全身へと至る力の流れだ。
それ無くしては魔力も操れない、気や聖気だって操れない。
つまり、今のワシには何もない。
足を怪我して魔力も使えない。正真正銘、ただのエルフの小娘だ。
「……さすがにこれは助からんか」
ひとり取り残されたワシを目掛け、親衛隊がにじり寄ってくる。
じりじり、じりじり。
逃げ場のないよう取り囲んでおきながら、焦れったくなるほどの亀の歩みだ。
まだワシに戦う余力が残っているのではないか、手痛いしっぺ返しを食らうのではないかと恐れているのだろうが……。
「はっ……はっ……はっ……」
ワシは笑った。
親衛隊どもの惰弱さを。
これから訪れるだろうワシの結末と、無様な死を。
望んだ形とは異なる、二度目の最期を。
「ま、よくやったほうではあるかな。不慣れぬ体で、性別で、よくも、ここまで」
笑いながら、言葉を重ねた。
「リリーナは無事だし、ルルカも助けられた。チェルチもきっと、まともな娘に成長するだろう。ゴラン・ギランも、ベルトラも、エーコも、ベルキアの皆も、悲しみはするだろうがすぐに受け入れ、前向きに生きていくだろう。勇者パーティのいない世界で、しかし懸命に、『闇の軍団』に立ち向かっていくことだろう。思い残しは最強の武人になれなかったことと………………そうだ、あれがあったか」
まだ、グリムザールに会えていない。
『互いに転生し、新たな生を得た後また相まみえ、今度こそ一対一で決着をつける』
剣魔とまで呼ばれた男が人生をやり直してまで望んだ願いを、まだ叶えてやっていない。
ワシが再び死んだとなれば、奴はさぞ怒るだろう。
目を血走らせ、口汚く罵るだろう。
それこそ墓をあばき、アンデッドにして『再戦しろ』ぐらいのことは言いかねん。
「……ならば少しは、あがいてみるか」
薄く笑うと、ワシは地面に両手をついて腰を浮かせた。
左足で地面を蹴ると、その場にひょいと立ち上がった。
「おい、立ったぞ!」
「……まだやれるのか?」
「気を抜くな、まずは遠隔攻撃で……!」
トントン、トントン。
片足立ちで跳ねるように、ワシは前に進んだ。
「……ふん、足が無いなら無いなりに、気が無いなら無いなりに戦うのみよ」
頭を低くし、敵の懐へ潜り込むように動いた。
拳を伸ばし、敵の水月を思い切り打とうとしたところで――
――ズザザザンッ!
ワシの頭上を、刃が躍った。
雷光を思わせるような剣線が親衛隊数匹の首を斬り飛ばすと、「ガチン!」と鞘に納まった。
「……ちっ、ラーズのバカとエルフの小娘が面白い戦いをしてると聞いて駆けつけてみれば、もう終わったところか。ラーズはとっくに死んでいて、エルフの小娘は瀕死の重傷で? 本当に我はツイていない……」
八歳ぐらいの小娘が、忌々し気にボヤいている。
ちんまい手足、平らな胸と尻。長い白髪の間からは笹穂のように尖った耳が覗いている。
赤銅色の肌を護るのは、漆黒のマントと軽装鎧。背には身の丈に合わない大剣を背負っている。
「助かった? しかしダークエルフが、なぜワシを……?」
ダークエルフは闇に堕ちたエルフの一支族だ。
今回で言うなら明らかに『闇の軍団』側であり、ワシを親衛隊の手から護る必要などないはずだ。
なのになぜ……。
「ふ、ふん、勘違いするな。別に貴様を助けたわけではない。我は徒党を組んで弱者をいたぶる奴らが嫌いなだけだっ」
礼を言われたのが恥ずかしかったのだろうか、ダークエルフは照れたようにそっぽを向いた。
「武人なら、一対一で正面から。それが美学というものだからなっ」
うんまあ、それはよくわかる。
「美学をわきまえぬ不心得者どもには罰を与えねばな。と、いうわけでっ」
ダークエルフは大剣を抜くと、口元を笑みの形に歪めた。
「『闇の剣士ギイ・マニュ・ミルチエール』。推して参る――」
自らを『闇の剣士』と名乗る痛い子ギイとの、それが最初の出会いだった――
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