「冒険の書三十五:ボスオルグ」
「なんだなんだ、人が雑魚を相手してる間にこんな面白いのと戦いおって、ズルいぞおまえら」
幌の上から声をかけると、ゴラン・ギランはポカンと不思議そうな顔をこちらに向けた。
オルグの返り血で全身真っ赤になったエルフの小娘がそんなに珍しいのだろうか、まじまじと見つめてくる。
「おーい……あれ? 反応なしか?」
両腕がへし折れているぐらいで戦闘不能もないだろうし、せめて譲る譲らんぐらいはハッキリして欲しいものだが……まあよいか。
「なんだ、もうやらんのか? ひょっとして満腹か? ではここから先は、ワシが美味しくいただいていいかのう? いやあ~、よかったよかった~」
ふたりの気持ちが変わらんうちにと、ワシはボスオルグの前に飛び降りた。
ストンと着地すると、茶褐色の巨体をじろじろと眺めた。
「ほおお~、いいのういいのう。色といいサイズといい、ワシをしてすら見たことがない、珍しい個体だ」
手を伸ばせば届く距離から大好物がじろじろ、じろじろ。
普通のオルグなら我慢できずに襲いかかってくるところだろうが、さすがにボスオルグは違った。
値踏みするように、静かに見下ろしてくる。
「……オマエ、本当に、エルフか?」
「ほおおおお~っ! 喋るか! オルグが人語を解すか! こいつはたまげた!」
人族の幼児程度のたどたどしい言葉遣いではあるが、ボスオルグはたしかに人語を話している。
しかもワシを怪しむという高度な知性すら持っている。
「悪魔貴族……というには瘴気が足りぬか。突然変異したユニーク個体といったところだな。いいのう、いいのう」
「……質問に、答えろ」
「おっと、悪かったな。興奮しすぎた、すまんすまん。エルフというのは確かだ、間違いない。少々訳ありで、魔力を気に変換して戦うことができるという注釈付きではあるがな」
「……だから、その力か」
ボスオルグはいかにも納得したという風にうなずくと……。
「まるで、ドワーフ、そう思った」
想像もしていなかった言葉を、ボソっとつぶやいた。
「ほう……その心は?」
「むかし、見たこと、ある。素手だが、強い、ドワーフ。ノイン、フォートレスで……」
ノインフォートレスは、ワシらが『魔王城』と呼ぶあの城だ。
そして、人類が魔王城に踏み込んだのは人魔決戦が歴史上初。
ということは……こいつが見た『素手だが強いドワーフ』というのは……。
「……ちなみに、そのドワーフの名は?」
「知らん。皆、言っていた。最強の、武人」
「そうか……」
「強かった。独りで、魔王様、の間、への、道、切り、開いた」
どうやら間違いない。
こいつは生前のワシを知っている。
戦いぶりをその目で見て、記憶しているのだ。
ということは、少なくともこいつは五十年以上生きている年老いたオルグということか。
人魔決戦を生き延びた古強者というわけだ。
ワシは知っている。
そういう奴の多くは、自分の現状に満足していない。
戦うべき相手のいない現状を、疎ましく思っている。
他ならぬ、ワシ自身がそうであるように――
「もし今、そいつと戦えるとしたらどうする?」
「戦う」
「全員で襲い掛かるか? それとも……」
「むろん、独りだ」
はたして、ボスオルグは迷いもせずに答えた。
「戦士、は、生きるも、死ぬも、独り。そういう、ものだ。オレは、そいつから、教わった。敵だが、憧れ、だ」
「その割には、集団で人を襲っているようだが?」
ワシの煽りにも、ボスオルグは微動だにしない。
「命令、だ。しかた、ない」
「……なるほど、命令か」
誰の命令かはわからん。
五十年前の命令が生きているのか、あるいは新たな支配者がいるのか。
おそらく聞いても、答えはせんだろう。
ならばチェルチに心を覗かせるか?
いや――戦士の魂を穢してはならない。
「死にぞこないの戦士よ。あの戦いが終わってなお、おまえはくだらぬ命令に縛られているのだな」
こいつは誇り高き戦士だ。
にもかかわらず、集団で人を襲うという役割を背負わされている。
かつてのグリムザールがそうであったように、心ならずも。
「ならばおまえを、その鎖から解き放ってやろう」
ワシが決意した、その瞬間。
「ディアナちゃん! 掩護は!?」
「要らん」
「ディアナさん! 助太刀は!?」
「要らん」
ルルカとリリーナが立て続けに叫んでくるが、ワシの答えは明白だ。
「武人の戦いを、邪魔するな」
ぐぐっと体を沈めるように身構えると、ワシは聞いた。
他の者には聞こえぬような声で、ボスオルグに。
「おまえ、名は?」
「魔戦隊長ヴォルグ」
「魔戦隊長……」
その肩書には聞き覚えがある。
魔王軍の階級の呼称で、将軍クラスが魔戦将。中隊規模の部隊を率いるのが魔戦隊長だったか。
魔戦隊長の部下の数は、百から五百。
実力本位の魔王軍だから、その強さは疑いない。
「……面白い」
ワシは口の端を緩ませた。
「のう、ヴォルグよ。おまえの夢――このワシが叶えてやろう」
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