「冒険の書二十八:エーコの真実」
~~~エーコ視点~~~
ある晴れた日の朝。
ベルキアの街の正門前に並んだ馬車の周りには、無数の人が集まっていた。
馬車自体は王都への中間にあたる都市パラサーティアへ行く商人のものだが、人々の目当てはそこではない。
商人の馬車の護衛を兼ねて乗り込み街を後にする、ディアナ一行の見送りのためだ。
街の住民に新聞記者、騎士に法務官、冒険者に冒険者ギルド職員。
彼女と縁のあった、あるいは彼女の活躍を目にした者たちが名残りを惜しむように押しかけた。
パラサーティアまでは馬車で一か月。
その後うまく馬車を乗り継げたとしても、王都まで三か月はかかる長旅だ。
魔族はもちろん魔王軍の残党などが暗躍している道中にはどんな危険が待っているかわからない。
これが今生の別れになるかもしれないと考える者もいて、人々は涙ぐみながら声をかけたり餞別を渡したりしていた。
中でもエーコはボロ泣きで……。
「ううっ、ディアナちゃん元気でねっ。ケガとかしないでねっ」
「わかった、わかったから離せエーコ」
「ルルカちゃんも元気で」
「わぷっ……エーコさんお胸が顔に……っ」
ディアナとルルカのふたりを交互に抱きしめると、エーコは次にチェルチに狙いを定めた。
「あ、あたいにもその窒息攻撃をかまそうってのかい? だけど残念、あたいはそいつらほどノロマじゃないから……ね?」
エーコはチェルチを抱きしめなかった。
といって、特別冷たくしたというわけでもない。
「はい、あんたにはこれね」
エーコがチェルチの首に巻いてやったのは、一本のマフラーだ。
オレンジ色の暖かそうな生地で、紫色のブローチが縫い付けられている。
「これは……?」
「勘違いしないでよね。あんたってばいっつも寒そうな格好してるから、せめて首元だけは暖かくしないと病気にかかって、ディアナちゃんルルカちゃんに迷惑かけると思っただけなんだから」
「え、エ~コおぉぉぉ……っ」
思ってもみなかった優しさ。
根が素直なチェルチは「ドバッ」とばかりに涙を流した。
「まさかあんたが、あたいのことをこんなに気にかけてくれてたなんて~。ただの意地悪オバさんだと思っててごめんなあ~?」
しかしそこはチェルチ。
言わなくてもいいことを言うと……。
「……謝ったら許されると思った?」
「痛い痛い痛い痛いごめん! ごめんなさい! 許して死んじゃう!」
チェルチの頭を「ガシイッ」とばかりに掴むエーコ。
その握力は恐ろしく強く、宙に浮いたチェルチは足をジタバタさせてもがき苦しんだ。
「ま、いいわ。今日だけは特別に許してあげる」
チェルチの頭を離すと、エーコは顔を赤らめて照れた。
「ともかく、死ぬんじゃないわよ。ほら、ぐずぐず泣いてないでさっさと行きなさい」
「うん、わかったっ。あたい、また帰って来るからっ。ディアナの言うように『最強』にはなれないかもしれないけど、王都土産をたくさん持って帰って来るからなっ。エーコも元気でなっ」
「はいはい、行ってらっしゃい」
「またなエ~コおぉぉ~……!」
ゴトゴトと車輪を回して去って行く馬車。
涙ながらに手を振るチェルチとルルカ。
ディアナは黙って見つめるだけだが、その目にはわずかに優しい色がある。
三人娘を見送った人々は、エーコは、後ろ髪を引かれるようにしながら帰途についた。
+ + +
エーコはひとり、冒険者ギルドに併設されている独身女性用の寄宿舎に戻った。
自分の部屋に戻ると、「ドカッ」とばかりに乱暴に椅子に腰かけた。
「……あ~あ、ようやく行ったわね」
その瞳に、いつものような温和な色はない。
鋭く冷たい、ナイフのような光が宿っている。
「ホ~ント、いつまでも長居してさ。こっちの身にもなって欲しいわ」
物騒な言葉遣い、隙のない身のこなし。
部屋の壁にはナイフや弓などの武器類がかけられており、まるで歴戦の軍人が冒険者ギルドの受付嬢に成りすましていたかのような、はてしない違和感が漂っている。
「最高の獲物を前にしておあずけをくらう辛さがわかる? ……まったく」
ボヤきつつ、エーコは懐から水晶玉を取り出した。
それは魔法の水晶玉だ。
紫色の球体の中に、ここではないどこかの風景が映っている。
草原の中をゆく数台の馬車。
その中にディアナたち三人の姿がある。
チェルチがウキウキ顔で、水晶玉をのぞき込んでいるのが見える。
「まあでも、一番扱いやすそうなのに目印をつけることができたのはよかったわね」
エーコの言う『目印』とは、他でもないマフラーのことだ。
チェルチに渡したマフラーに縫い付けられたブローチに『覗き鏡』──遠隔監視用の魔法を付与していたのだ。
「これでいつでも居場所が知れる。つまりはあのお方のお役に立てるってわけね。うふふふふ……」
そんなエーコの思惑など露知らず、チェルチは馬車の乗客に無邪気にマフラーを自慢して回っている。
エーコとの思い出――たいがいは厳しいメイド教育に関することだったが――を、いかにも楽しそうに語っている。
「……ホント、チョロい奴で助かるわ」
エーコが「ふん」とつまらなそうに鼻を鳴らした、その瞬間。
――ドガン!
部屋の扉が、前触れもなくぶっ飛んだ。
そのままどかどかと入り込んで来たのは四人の騎士だ。
「あらら~? どうしたの坊やたち~? お姉さんに何か用~?」
緑褐色の皮鎧は、ハイドラ王国の『特務騎士』の装備。
他国の間諜や国家転覆を図る狂人など、国の指定する危険人物を取り締まるための特殊部隊が襲撃して来たのだ。
「大人しくしろ! エーコ・デオドラ!」
特務騎士のリーダーと思しき人物が、長剣を引き抜きエーコに向けた。
「国籍、出身地、学歴はもちろん身分証明書まですべてが偽物! エーコ・デオドラなる人物はどこにも存在しないことになっている!」
「へえ~、そうなんだ? 怖~い」
甘ったるい声を出すエーコ。
しかし口調とは裏腹、まったく怖がっていない。
「いったい貴様は何者だ!? なんのために冒険者ギルドに潜り込んだ!?」
「わかんな~い、何かの手違いじゃないかな~?」
「それだけではないぞ! ギルドマスターの名を騙り、王都のギルド本部から機密情報を取り寄せた罪も明らかになっている!」
「あっはっはっは、偉い偉い。いい仕事したねえ~」
追い詰められたエーコは、しかしいかにも楽しげに手を叩いた。
パチパチという乾いた音が、部屋の中に響く。
「そうか~、バレちゃったかあ~。田舎の冒険者ギルドは機密保持の『き』の字もないからけっこう好き放題できたんだけど、ついにかあ~」
エーコはゆらぁり……とばかりに立ち上がると、特務騎士たちに笑いかけた。
「ねえ、ついにの意味わかる? 五十年よ? わたしがこの任務についてから五十年もたつの。エーコだった時もあったし、そうでない時もあった。姿を変え、身分を変え、今までやってきたの。そういう意味でもね、けっこう感慨深いものがあるわけよ」
「ご、五十年だと……っ?」
エーコの言葉に、特務騎士たちが驚きの声を上げた。
「超~年増じゃん!」
「うわ残念、俺けっこうタイプだったのに!」
「ババアだババア!」
「――誰がババアか!」
怒りが瞬時に頂点に達したエーコが悪鬼の形相で手を振ると、一番ひどいことを言ったリーダーの手の甲に投げナイフが突き刺さった。
「ぎゃあああ~!?」
「「「リーダあぁぁぁぁー!?」」」
リーダーに制裁を加えたエーコは心の落ち着きを取り戻すと、薄く笑みを浮かべつつ話に戻った。
「まあそういうわけでね。わたしにも涙ぐましい努力があったわけよ。『あのお方』の復活のために孤独に暗躍してきたってわけ」
「あのお方……復活……?」
特務騎士たちは怪訝な表情を浮かべる。
「五十年もかかって……まさかっ?」
「あら、さすがはリーダー、勘がいいわね」
「ボケてすべきこと忘れちゃったとか?」
「――ボケ老人扱いすんな!」
「ぎゃあああ~!?」
「「「リーダあぁぁぁぁー!?」」」
エーコは手を振り、的外れなことを言ったリーダーのもう片方の手にも投げナイフを突き刺した。
「ハア……ハア……ッ! ホントに勘の鈍い連中ねっ! ここまで言ったらわからない⁉ 魔王様よ! 魔王様! わたしぐらいの妖艶なバリキャリ美女ですら復活に苦労するといったら当然それぐらいの格のお方になるでしょうが!」
「くっ……まさかそんな大それたことを考えていようとは……っ?」
リーダーが驚きと痛みで顔を歪める。
「もうここまで来たら言っちゃうけどねっ! わたしは魔王様の母胎となり得る娘を探していたの! 魔力に気、聖気に瘴気、そういった力に満ちた、魔王様のママになるべき美幼女を!」
「魔王のママだと……!?」
「そうよ! 選ばれた娘に魔王様を産んでもらうの! 最高の住環境と最高の食事と最高のおもてなしをした上で魔王様を! そして魔王様のママということはわたしたちのママにもなるってことなの! ああママ! わたしのママあぁぁぁ~!」
自分で言って自分で興奮し始めたエーコは、頬を染めウットリと宙を見つめた。
「うわ怖っ」
「後半完全に自分の願望じゃん」
「ババアのくせに幼女好き? 引くわ~」
「――黙りなさい! 可愛いは正義! 可愛いは最強なの!」
妄想に耽っていたところを邪魔されたエーコは悪鬼の如く怒り、リーダー以外の特務騎士全員の両手に投げナイフを突き刺した。
「「「ぎゃあああ~!?」」」
「お、おまえたちいぃぃぃーっ!?」
これで特務騎士全員の手に投げナイフが突き刺さったことになる。
つまりもう、武器は使えない。
相手の抵抗力を奪ったのを確信したエーコは、にちゃあぁぁりと粘っこい笑みを見せた。
「さあ~て、どうしてわたしがここまで話したと思う? 知られれば王都に激震が走り、討伐のため騎士団が派遣されるぐらいの大悪事を、なぜなぁぜ?」
「そ、それは……」
リーダーは言葉に詰まった。
わからないのではない、それを口にすることによって未来が確定してしまうのが怖いのだろう。
エーコがここまで喋った理由、それは言うまでもないことだ。
悪党が弱者を前に自分語りをする理由など、ひとつしかない。
「もちろんすべて、漏れないようにする自信があるからよ」
そう告げたエーコの手には、すでに二本のナイフが握られている。
「くっ……いったいどこから武器を出しているんだ……っ?」
「これ? 『暗器』よ。バレないよう巧妙に体に隠してるの。人魔決戦の時とか大活躍だったんだから。一般兵士に成りすまして人類連合軍の要人を暗殺しまくってね。いつの間にか忍び寄って命を奪うやり口から、『黒蜘蛛』なんて呼ばれたりもしたのよ?」
「ま、まさか『黒蜘蛛ヴァネッサ』⁉」
「あら、知ってたのね。五十年たっても覚えてる人がいるなんて、嬉しいわ」
エーコは――ヴァネッサは頬に手をあて喜んだ。
人類連合軍の恐怖の象徴だったのはそれこそ五十年も昔のことだが、未だに知っている者がいるというのは嬉しい驚きだ。
「嬉しいんだけど……でもごめんね。だからといって見逃したりはできないの。特務騎士はもちろん、ハイドラ王国はもちろん、人類連合軍として魔王様に敵対した者は、ひとり残らず殺さなければならないの。だからせめて――優しく殺してあげるわね♡」
「「「「ぎゃあああああ~!?」」」」
数分もせずに、特務騎士たちは絶命した。
抵抗することすらできず、蜘蛛の巣に囚われた虫のようにひとりずつ。
「ふう~……」
作業を終えたヴァネッサは、物言わぬ肉塊となった彼らを見下ろすと、鬱陶し気につぶやいた。
「にしても、どいつもこいつも長剣なんて持って。独身女子用の寄宿舎にそんな長物持ち込んだって意味ないでしょ。抜くのすら難しいし、抜けても天井や壁や家具に引っかかるのがオチ。わたしが相手じゃなくても全滅してたでしょ。特務騎士のくせに、ちょっと平和ボケしすぎじゃない?」
血の風呂と化した室内で、ヴァネッサは再び水晶玉をのぞき込む。
馬車は軽快に走り、その中ではディアナ・ルルカ・チェルチの三人娘が陽気に騒いでいる。
「みんな、すくすく育ってね♡ ちょうどよく実ったところで捕まえて、わたしのママになってもらうから♡」
ウットリ夢見る乙女のような表情だが、言ってることはえげつない。
「抵抗してもいいわよ。もしわたしを止めるなら、勇者一行ぐらいは連れて来ないとダメだと思うけど♡」
ディアナの中にかつての勇者一行がいるとは知らぬまま、ヴァネッサは水晶玉を覗き続けた。
エーコの正体はまさかの……!
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