「冒険の書二十三:悪魔貴族チェルチ・フォーナイン」
悪魔貴族は血のように赤い瞳を辺りに向けると、背筋をのけぞらせるようにして哄笑を上げた。
「あーっはっはっは! ああーっはっはっは! ひさしぶりだねえ! ひさしぶりの下界の空気に肉の感触! 最っ高だわ! あの石ころの中は身動きもとれずに最悪だったからねえ! 反動すごいわ!」
悪魔貴族はギザ歯を剝き出しにして笑うと、手近にいた騎士や法務官をぶん殴り、蹴飛ばした。
「しかもここは街の中心かい? バカ面下げた騎士どもに冒険者ども! 獲物がいっぱいでいいことだよ! 蘇りたてで空腹な身にはなぁぁぁんとも染み入る匂いじゃないか!」
前後の状況――『紅牙団』所有の荷物の中から転がり出た黒水晶をデブリが踏んだことによって割れ、受肉した――を考えるに、『魔の森』深くにあるダンジョンに眠っていた品のひとつだったのだろう。
ということはアレスたちが封印した――役割的には、エルフの大魔術師イールギットが封印した悪魔貴族なのだろうが――のをゴレッカたちが深く考えもせずに持ち出したのだ。
「イールギットとか言ったかい!? あのエルフの魔術師もバカなことをしたもんだよねえ~!? このあたいをただ封印するだけで留めておくだなんて! お勉強のしすぎで脳みそが硬くなってたんじゃないのかい!? どんな罠も、強固な封印も、自然現象や人族の愚かさの前には意味をなさないってことには想像が及ばなかったのかねえ~!? 実際そこのバカどもは、山崩れが起こったのをこれ幸いと、半壊したダンジョンから何も考えずにあたいを持ち出した! その上! 盗掘者の興味をそそらないよう、ご丁寧に『役立たずのアイテムに見えるよう』な擬装まで施されたあたいを、無造作に投げ捨てた! おかげで今こうして受肉できているってわけだけどさ! ああーはっはっは! あああーっはっはっは!」
復活したてで興奮しているのだろう、こちらが頼んでもいないのに得意満面で喋り続ける。
だがそのおかげで、だいたいの状況が飲みこめた。
ダンジョンの奥に隠された、盗掘者の興味を引かないよう特別な擬装まで施した黒水晶を、ゴレッカたちが手に入れた。
欲をかき、地上に持ち出した。その結果がこれだ。
「ちっ……封印などとぬるいことをせず、きっちり仕留めておけばいいものを……」
ワシは毒づいたが、実際にはそれが簡単ではないことを知っている。
悪魔貴族というのはしぶとく、何度殺しても姿形を変えて復活してくるという性質がある。
ならば、あえて殺さず一定の場所に封印しておいた方が得だ、という考えには納得がいく。
おそらくは、この悪魔貴族が封じられていたダンジョンもそういった場所のひとつだったに違いない。
戦後にアレスたちが行った世界各地の討伐行には、そういった目的があったのかも。
そしてそれは、最近までは上手くいっていたのだ。
山崩れが起こらず、ゴレッカのようなバカな冒険者パーティに嗅ぎ当てられなければ、何百年も何千年もそのままで、周辺地域に平和をもたらしていたはずなのに……。
「おら! ガキが邪魔だ! あっちに行かないと喰っちまうよ!」
「うわあああ~ん!」
「おら! 親もとっととあっちに行け! 子供ともども喰われたいのかい!?」
「きゃああぁ~!?」
「うわあああああぁ~ん!?」
悪魔貴族が手近にいた子供を蹴とばすと、子供は泣いた。
子供を護ろうと手を伸ばした母親を蹴飛ばすと、子供はさらに大きな泣き声を上げた。
「っくううぅ~っ! 女子供の苦しむ表情は最高だねえぇ~!」
人々の悲しみや苦痛を糧としているのだろう、悪魔貴族はいかにも楽し気に笑みを浮かべた。
「さあーごらん! あたいの完・全・大・復・活・大・量・殺・戮・劇だ! これから人類を恐怖のどん底に突き落としてあげるこの顔を見忘れるんじゃないよ!? ああちなみに、討伐隊を送ったって無駄だからね! 勇者パーティのいない人類なんて、まっっったく怖くないからね! ああ~いいよいいよ! その目! その怯えた目をどんどんちょうだい! っくううぅっ~!」
悪魔貴族は身をくねらせ、興奮し続ける。
「ねえねえイールギット、今どんな気持ち!? 今どんな気持ち!? 悔しい!? 悔しいだろうねえ~! 仮にあんただけ生き残ってたとしても、ひとりであたいをどうにかなんて出来ないだろうからねえ~! このバ~カ! クソゴミエルフうぅぅ~!」
よほど恨みがあるのだろう、悪魔貴族は自らの封印に強く携わったイールギットを煽りまくる。
これ以上ないほどに、クソミソに。
「……ま、たしかにな。あやつはバカだ。せっかく封印した悪魔貴族に復活されるのは、バカとしか言いようがない」
ワシはボソリとつぶやいた。
「個人的にも嫌いな奴だ。ひねくれ者で、万事につけ口うるさくて。本気でケンカしたことも数えきれない。――だがな、何千年にも及ぶだろうエルフの人生をただ魔族討伐のために捧げた、その一点にだけは共感できるのよ」
正直、ここは控えていようと思った。
ゴレッカという名の『チンピラ冒険者討伐』程度ならともかく、『悪魔貴族を単騎で打ち倒すエルフの幼女』として噂になるのは、いかにもまずい。
怪しまれ、恐れられ、最悪『聖樹のたまゆら』としての活動に支障が生じるかもしれない。
ルルカに迷惑をかけるかもしれない。
だが――だがこの世には、決して許せぬことがあるのだ。
「……のう、イールギットよ。こいつは貸しだぞ?」
つぶやくと、ワシは悪魔貴族に向かって歩き出した。
一歩、二歩、三歩……。
「やめろ嬢ちゃん!」
「死ぬぞ! 今すぐ戻れ!」
「ディアナちゃん!? ダメだよ戻って!?」
皆が悲鳴を上げるのも構わず近寄ると、ワシは悪魔貴族をにらみつけた。
「ワシの名はディアナ・ステラ。エルフの武人だ。そこのおまえ、名を名乗れ」
「はあ~? なんだいあんたは? エルフの小娘如きがあたいに話しかけるんじゃないよ。死にたいなら順番を選びな。わかるかい? あたいは今から、この街に地獄を現出するんだ。魔王様没後の平和に浮かれる連中を、もう一度あの恐怖のどん底に叩きこんでやるんだ。本来ならあんたみたいな小娘如き相手にしないんだが……まあ、今は気分がいいから教えてやるよ。あたいは悪魔貴族『チェルチ・フォーナイン』。みんなには『チェルチ様』と呼ばれてる。かの『串刺し大公ミシエラ・ガブリアス様』の側近で……」
「チェルチか。わかった、それでいい」
こきこきと首を鳴らすと、ワシは言った。
「武人としての情けだ。その名をおまえの墓碑に刻んでやろう」
「なんだとおぉぉ~? あんた、このあたいを倒すってのかい? たかだかエルフの小娘が、あたいを倒すうぅ~?」
「倒す、などと生易しいものではないぞ。『ぶっ殺す』だ。叩いて、蹴って、捻じって、抉って。コアごと粉々にしてやる。向こう数百年は蘇れぬよう徹底的にな。そんでもって、復活するたび同じことを繰り返してやる。エルフの人生は長いからな。思う存分、おまえが好物とする恐怖と痛みを味わえるぞ、よかったな」
「ちょ……なんだってあんた、そんなにあたいのことを恨んでるんだい? あたい、あんたに何かしたかい?」
ワシの執念に恐れをなしたのだろうか、チェルチは冷や汗を流し始めた。
「別に、ワシ個人としてはされていない」
「なっ、ならなんで……っ?」
「おまえは言ってはいけないことを言った」
ワシはすっと体を沈めた。
臍下丹田に息を貯め込み、身構えた。
「そしてな……ドワーフという種族は、仲間への愚弄を決して許さんものなのだ」
つぶやくと同時に、ワシは跳んだ。
ゴレッカと対した時など比べるまでもない、猛烈な勢いで。
仲間をバカにされた!
ディアナ(ガルム)キレる!
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