「冒険の書二百十五:決死圏!」
ドロガロンの口内に飛び込んだ瞬間、ワシはすぐに上下を確認した。
びっしりと生えている歯列を形成するのは牙ではなく、無数の細かなトゲだった。
「牙ではなくトゲ……『肉を噛みちぎる』というよりは『保持して丸呑みする』ための機能ということか」
ナマズに似ている、ワシの第一印象は間違っていなかったというわけだ。
「つまりマリアベルは噛み砕かれておらず、丸呑みされただけということか。ならばまだ、望みがあるぞっ」
ワシは床を――口腔を形成する肉壁を蹴ると、喉の奥にある食道へと進んだ。
光源のようなものは持ち合わせていないが、ルルカのかけてくれた『理力の鎧』の放つ青白い燐光があるおかげで、辺りの様子はおおよそ把握できる。
「食道はぶ厚い筋肉で出来ているか……む、ぬるぬると滑るな。強く収縮して獲物を奥へ奥へ呑みこもうとしている。素直に戻るのは難しそうだな」
足を取られないよう注意しながら、ワシはなおも状況の把握に努めた。
今までの獲物が暴れた跡だろう、食道には無数の傷がついている。
鏃や剣の柄、衣服の切れ端などの遺品の残されている中に、マリアベルのものだろう踵の高い靴が転がっている。本人の姿はまだ見えないが、この奥にいるのは間違いなさそうだ。
この奥――つまりは一番の危険地帯である胃袋に。
「マリアベル!」
胃袋に突入するなり、ワシは叫んだ。
暗闇の中、胃酸の放つ熱気がむわっと漂う。
臭気もものすごく、とてもじゃないが人の生存できる環境ではない。
「くっ……なんて臭気だっ。酸もおそろしく強いな。ルルカの術が無ければ即座に溶かされ、死んでいたところだっ」
上から垂れてきた酸が、ルルカの『理力の鎧』と反発してシュウウと煙を上げている。
「た、たすけて……っ」
暗闇の中から、助けを求める声と共に一本の手が伸びてきた。
マリアベルのものかと思い反射的に手をとったが、なんのことはないハイデルだった。
「おねがい……ですから……っ」
酸のせいだろう、高慢ちきエルフはすさまじい形相になっていた。
自慢の金髪はすべて焼け焦げ、白い頬肉が溶けて赤黒い口腔が剥き出しになり、笹穂のような長耳は軟骨による支えを失い、グニャリと力なく垂れさがっている。
肩から斜めにずり落ちた『木の皮の鎧』の隙間から覗くナメクジのようなものは寄生虫だろうか、血を吸ってぷっくりと膨れ上がっている。
どうして逃げないのだろうと思って見ると、ハイデルの下半身は胃壁から生えた触手のような『肉ひだ』に捕まっている。
ドロガロンほどの巨大生物ともなると、胃壁は薄っぺらい皮ではなくぶ厚い筋肉の塊のようなもの。
肉ひだには生物を逃がさず捕らえる役割があり、軟弱なエルフの力では抜け出せないのだ。
「なんだ、おまえか」
今すぐ助け出し、ルルカに治癒してもらえば生き残れるかもしれないが、そうでない限りは死ぬだろう。
エルフヘイム有数の一族の嫡男が、ドロガロンの胃の中で惨たらしく溶かされ、人知れず消えて無くなる。
だが、まったく哀れには思えなかった。
「自業自得だ。勝手に死んでろ」
ワシは冷酷に告げると、ハイデルの手を振り払って先へ進んだ。
直後、耳を劈くようなハイデルの悲鳴が聞こえてきたが、なんの興味もわいてこなかった。
「マリアベル! どこだ!」
叫びながら、ワシは奥へと向かった。
収縮する肉ひだをかき分け、垂れ落ちる胃酸を避け、奥へ、奥へ。
「マリアベル! 返事をしろ!」
叫ぶたびに焦りが募る。
進むたびに不安が増す。
もし、マリアベルが死んでいたらどうしよう。
ハイデルのように胃酸で溶かされ、無残な姿を晒していたらどうしよう。
「マリアベル!」
武人にとって、死は常に身近にあるものだ。
時に安らぎであり、場合によっては誉れともなる。
人魔決戦の最中にも多くの同胞があの世へ逝ったが、特別泣き叫んで悲しんだりはしなかった。
ただ粛々と受け入れるのみだった。
だがそれは、そいつらが全員大人だったからだ。
自分の生き死にに自分で責任を持てる大人だったから、静かに見送ることができたのだ。
マリアベルはまだ子どもだ。
邪眼というとびきりのスキルを持ってはいるが、ハイドラ王国の誇る勇者候補として戦う道を選びはしたが、死ぬのはさすがに、まだ早い。
それに、マリアベルはワシの弟子だ。
わずかな間とはいえ、師弟の契りを結んだ仲だ。
かつて我が師ドラゴ・アルファが、戦災孤児のワシと結んでくれたように。
それをむざむざ、こんなところで……。
「将来有望な弟子を、こんなところで失うわけにはいかんのだ……っ」
歯を食いしばりながら、ワシは奥へと進んだ。
進めば進むほどに帰り道は遠くなり、酸の濃度は強くなる。
もうすでに、ワシ自身の生存すら危ぶまれる状況だ。
だがそれでも、ワシは退かなかった。
「バカ弟子! 声を出せ! ここにいるぞと叫んでみせろ!」
「…………」
ワシの声に、わずかな反応があった。
声のした方に目をむけると、うにゅるうにゅると絡まり合った肉ひだの間から、微かに燐光が漏れているのがわかった。
駆け寄って肉ひだをめくってみると――いた! マリアベルだ!
「マリアベル!」
「ししょ……お?」
さすがはルルカというべきだろう、マリアベルを覆う『理力の鎧』はまだ機能していた。
肉ひだに押しつぶされ、酸を浴び続けたせいだろうずいぶん光が弱くなってはいるが、マリアベルの体を護りきってくれていた。
だが――そう長くは保たないだろう。
あと二、三分といったところか。
「よくやった、よく耐えたぞマリアベル」
マリアベルを引っ張り出し、小さな体を抱きしめたワシは――
「安心しろ。あとは脱出するのみだ」
弟子の不安をかき消すべく、ニカッと軽やかな笑顔を浮かべてみせた。
★評価をつけてくださるとありがたし!
ご感想も作者の励みになります!




