「冒険の書百五十三:チェルチの涙」
部屋に戻ったワシはチェルチをベッドに座らせると、酒場からもらって来た温かい茶を飲ませた。
ついでに何か軽いものを食わせようとしたのだが、食欲がないということで断られた。
チェルチにしては珍しいというか、それだけショックがデカかったのだろう。
今回の件がなければ、天変地異の前触れだと考えたかもしれん。
「んでさ、結論から言うと……」
茶で唇を湿らせたチェルチは、ぼそぼそと小さな声でしゃべり出した。
「エーコ・デオドラなんていう人間はこの世に存在しないってことだったんだ」
「存在……しないだと?」
思ってもみなかった返答に驚くワシに、エーコは細かいところを語って聞かせた。
「驚くと思うよ、実際あたいも驚いた。でも事実だ。あたい、ギルドの人間に『魂魄支配』を使ったから。バレたらマズいと思ったけど、それしかないと思ったから」
「……そうか。ギルドの人間に」
相手の心と体を乗っ取る『魂魄支配』は、上位『誘惑する悪魔』特有の技だ。
そんなものを使っているのがバレたら、チェルチは即座に人類に仇名す魔族と認定されるだろう。
リゼリーナやルルカの口添えがあればなんとかなる可能性もあるが、単独ではおそらく無理。
最悪、その場で騎士団に通報され、討伐されていた可能性だってある。
「……誰にもバレなかったか?」
「たぶん、ほんの短い時間しか使わなかったから」
「そうか……次は気をつけろ。最悪、ワシを呼べ」
「……うん」
ワシはチェルチを責めなかった。
間違いない暴走だが、責めることはできなかった。
目の下の隈ひとつとっても、チェルチが追い詰められているのはたしかだったから。
「んでさ、冒険者ギルドでは、エーコはこんな風に思われてるんだって」
チェルチが語ったところによると――
公的な記録をすべて漁ってみても、エーコ・デオドラなる人物はこの世に存在しない。
国籍・出身・学歴・身分証すべてが偽物。
様々な街のギルド職員を務めた後にベルキアに落ち着き、ギルドマスターの名を騙って機密情報を集め、何か大きな謀を成していたらしいのだが、詳しい内容はわかっていない。
わかっているのは、エーコが所属したギルドでたびたび、職員の不審死があったこと。
ワシらがベルキアを旅立った直後、エーコの自室で『特務騎士』が皆殺しにされていたこと……。
「帰りにさ、魔術師ギルドにも寄ってきたんだ。なんか、気になったから。そしたらさ……」
チェルチが見せてきたのはマフラーだ。
ベルキアを発つ時にエーコに持たされたお気に入りで、紫色のブローチが付いていて……。
「おまえこれ、ブローチが……っ」
ワシは一瞬、言葉を失った。
チェルチのマフラーに縫いつけられていたブローチが壊れていたのだ。
まるで硬い床に叩きつけられでもしたみいに、粉々に砕けていたのだ。
「そいつにはさ、『覗き鏡』の魔術がかけられてたんだって。遠く離れたところの状況がわかる魔術がかけられてたんだって。……あたい、どこにいても監視されたんだって。なんでそんなことしたのかはわかんないけど……。エーコ……エーコはさ、あたいを騙してたんだ」
じわり……チェルチの目の端に涙が浮かぶ。
「『いつも寒そうな格好してるからせめてマフラーでもしときなさいって』言ったの、全部ウソだったんだ。あたいを騙して、何か、得しようって思ってたんだ。そんでもって、勇者学院を襲って、ウルガとコーラスにケガさして、あたいとルルカを殺そうとして……っ。なんか……なんでかわかんないけどっ。う……ううっ、うわあああ~んっ」
話しているうちに気持ちが昂ってしまったのだろう、チェルチはとうとう泣き出してしまった。
「わああ、わあああぁ~んっ」
「チェルチ……」
チェルチが泣いている。
大粒の涙をボロボロ流し、苦しげな声を上げている。
元とはいえ悪魔貴族だった娘が、まるで幼い子どものように──いや、実際に幼いのだ。
若干八歳で悪魔貴族に選ばれ、その後ずっと『魔の森』に封印されていたから、こいつの情緒は未だに未発達なままなのだ。
しかも、生い立ちがまたひどいのだ。
父の姿は見たことがない。
母に育児放棄されていたから家族の愛を知らない。
田舎で雑に扱われていたから他者に愛されたことがないと、ないないづくし。
「……そうだ、そういえばチェルチは言っていたな」
ベルキアを後にしてすぐのことだ。
商隊を護衛するべく他のパーティと組んで、旅を始めた頃のことだ。
こいつはワシに、こう言っていたのだ。
旅する日々を、皆との交流を。
――ああ、楽しいぞ。みんなあたいに優しいし、いっぱいご飯くれるからな。
――うちは母ちゃんが男のとこに入り浸っててさ、いつも家にいてくんなかったんだ。家に食い物がある時もない時もあってさ。だからあたいも、昔から腹いっぱい食えたことってなかったんだ。だから満腹になれるの嬉しい。あと『家族』ってのもいまいちわかんなかったんだけど、今はちょっとわかる気がするんだ。
――兄ちゃん姉ちゃんがいっぱいできた感じで楽しいな。冒険者になってよかったよ。
ニコニコと笑顔を浮かべながら、そんな風に語っていたのだ。
にもかかわらず、こいつは裏切られたのだ。
信じていた友だちに、最悪の形で。
短いつき合いではあったが、チェルチにとってエーコはそれほど大事な存在だったのだ。
だったのに……。
「やだよう、もうやだようっ。なんでみんな、そんな簡単に人を裏切るんだよお~っ」
自らの内に閉じ込めかねたのだろう、チェルチはそこら中のものを殴り始めた。
ベッドを、枕を。
子どもが癇癪を起こしたように、力の限り。
「チェルチ、チェルチ、落ち着け」
「なんだよ、触んなよう~っ」
暴れ出したチェルチがケガをしたりしないよう、ワシはぎゅっと抱きしめた。
頭を抱え、背中をさすり、ゆっくりと言い聞かせた。
「いいか? 聞け、とにかく聞け」
ワシにかけられるだけの優しさと、ありったけの愛情を込めて。
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