「冒険の書百四十:五十年間」
焼き切れた『精髄』を治すための素材や、残りひとつの素材の場所について情報の提供を受けた後。
テラスを去ろうとしたワシは「よっこらせ」と席を立った。
エルフの小娘らしくない振る舞いがおかしかったのだろう、ルベリアはクスリと笑った。
「……なんだ、そんなに面白いか?」
「あら、ごめんなさいね。昔の知り合いが同じようなことを言っていたのを思い出してね。ちょっと椅子から立ち上がるだけでも『よっこらせ、よっこらせ』と、それがお爺さんのようでおかしくて」
「……ああ、そうかい。昔の、ということはその知り合いは今は……?」
「お察しのとおり。人魔決戦の折に、アレスを魔王のところへ届けるための犠牲になったそうよ」
懐かしそうに言うと、ルベリアはテラスから中庭を見下ろした。
その目線を追うと、白光花に囲まれるようにして勇者パーティの銅像が建っているのが見えた。
べルキアで見たのと同じだ。アレスにマーファ、クルシュにイールギット、ついでにワシの像もあるようだ。
「あれと同じ銅像がね、中央広場にも建っているの。建てたのはそちらが最初。だけどそれだと、毎日眺めるわけにはいかないでしょ? だからわがままを言って、ここにも建ててもらったのよ」
「毎日あれを……ここから眺めていたのか?」
よく見ると、ルベリアの腰掛けている石の椅子はずいぶんと年季の入った代物だ。
長年にわたって座り続けたせいだろう、座面が摩耗し滑らかになっている。
長年にわたって衣服の繊維が擦れ続けたせいだろう、そこだけ色が濃くなりツヤが出ている。
「……王族の務め、というやつか? 人魔決戦の犠牲者たちを忘れぬために?」
「それもあるわ。けど、それだけでもないの」
ルベリアは首を左右に振った。
「あなた、人魔決戦には詳しいのよね? ということは『黄金の鎚作戦』も知っている? あれはうちの人が考えた作戦なの。人類側の最大戦力を魔王の間へ直接放り込む、とんでもない奇策。最初は皆が止めたの。いくらなんでもあり得ないって。でも、その有効性はすぐに明らかになった。被害を最小限に抑えつつ最大の戦果を得る作戦だということを、皆が認めるようになった。そのタイミングよ、わたくしが口を出したのは。どんな口出しかわかる? 王女としての権限のすべてを使って──意図した人材を送り込むことにしたの」
ルベリアは、口の端を曲げるようにして笑った。
どこか自嘲気味なそれは、ワシが初めて見る表情だった。
「マーファ、イールギット、クルシュまでは簡単に決まった。皆はうちの人と長年パーティを組んでいた仲間だったから。最後のひとり……『黄金の鎚作戦』はその性質上、送り込める人数に制限があったからだけど……とにかく、最後のひとりが問題だった。条件は三つよ。もちろんだけど実力者であること、パーティを組む関係上、うちの人との関係が良好であること、あとは──自己犠牲精神の強い人であること」
「……っ」
一瞬、心臓が跳ねた。
ルベリアの発した言葉と自嘲気味な笑い。
それらが指し示すものは明らかだ。
「わたくしはズルい女だから、こう考えたのよ。うちの人はきっと魔王を倒してくれるだろう。でもなんらかの不運が重なって、あるいは予想以上の頑強な抵抗に遭って命を落とすこともあり得る。そのための保険をかけよう。自分かうちの人の命かの二択で、迷わず自分の命を捨ててくれる人を送り出そう。結果的に、その保険は効いた。その人は死んで、うちの人は帰って来た」
ルベリアの骨張った手が、微かに震えている。
加齢によるものか、感情の昂りによるものかはわからない。
だが、微かに震えている。
「その判断が間違っていたとは、今でも思っていないわ。百回生まれ変わったとしても、きっと百回、同じことをする。うちの人が王国にどれだけの功績を残せるか、全人類にどれだけの希望を与えられるか。天秤に載せたら結果は明らかだもの。でも、わたくしはね……。その人に……彼に、死んで欲しくはなかったのよ」
「では、毎日あの銅像を眺めているのは……」
「贖罪と、自己満足ね。あとは万が一の可能性に賭けて……かしら。彼、長命種のドワーフだったから。皆が死んだと思ったけど実は生きていて、ある日ひょっこり姿を現すかもしれないから。……子ども向けのおとぎ話みたいな話だけれど」
自嘲気味に、そしてどこか寂し気に、ルベリアは語る。
もちろんルベリアは、そんな奇跡が起こるはずないと知っている。
だが、そうやって自分をごまかさずにはいられなかったのだ。
アレスのためとはいえ、アレスが大切にしている仲間を死地に追いやった。
自分の愛情と、王族としての判断がそいつを殺したことを、悔いているのだ。
おそらくこのことは、アレスや家臣に対しても秘密にしているのではないだろうか。
あの『賢姫』が人並みに悩んでいる姿など、見せるわけにはいかないはずだから。
「そうか……」
人魔決戦への出立前、ルベリアがやたらと話しかけてきたことの意味がようやくわかった。
ルベリアとアレスの間柄を、ふたりの男女の涙の別れを強調するような振る舞いをしたのも、すべてはそのためだったのだ。
「そういうことだったのか……」
だからといって、今さらルベリアを恨む気にはなれない。
あの時――ワシは自ら望んで、魔王の間へと続く階段の前に立ちはだかったのだ。
グリムザールを中心とした魔族の最精鋭を足止めするため、己の命を捨てたのだ。
アレスを始めとした主戦力を無事に送り込むことができれば、人類は、世界は救われる。
そのための代償はたったひとつ、自分の命――ならば安かろうと思ったから。
百回あの場面に出くわしたとしても、おそらく百回、同じことをしたはずだ。
他の者にワシと同じことができたとは思えんし、ルベリアの人選は結果的に正しかったのだ。
だが、大事なのは正しさではない。
常に理性の人であったルベリアが、裏ではずっと思い悩んでいたのがその証拠だ。
あの賢姫が五十年もの間、孤独に悩み続けていた。
それこそが。
いっそ、ここで正体を明かしてしまおうか?
色々あって、ワシは生きておるぞと?
「……さ、さすがにまだ決心がつかんな」
ギロチンの影がチラついたせいもあり、ワシは怯んだ。
心の中で「許せ、ルベリア」とつぶやいてから、ゴホンと咳払いした。
「のう、ルベリアよ。その男が例のドワーフの武人だとしたら、決しておまえを恨んだりはしておらんと思うぞ。ドワーフはもともと潔い種族だし、戦場で死ぬのは武人にとっては誉れだ。それが人魔決戦の、魔王の間へアレスたちを送り込むためなら、これ以上ない晴れ舞台だと考えるだろうからな」
「……武人というのはそういう生き物だから、気にするなということかしら?」
「そうだ。むしろその程度のことで人を恨むなど武人の風上にも置けんというか……基本稽古からやり直せというか……上手くは言えんが、ともかくあまり、気に病むな」
ワシの話ぶりは、決して上手いものではなかっただろう。
滑舌もよくないし、抑揚のつけ方とかもわからん。
そもそもエルフの小娘の慰めが、どれほどの意味を持つかもわからない。
だが、ルベリアの表情は急速に柔らかくなっていった。
自嘲や寂しさが、穏やかな笑みへと変わっていった。
「この話をしたのは、あなたが初めてよ。どうしてかしら不思議ねと思っていたけれど、今わかったわ。あなた、ガルムに似てるのよ。まるで彼が生まれ変わってここにいるみたい」
「そ、そうか? まあどちらも武人だから、根っこの部分が似てるのかもしれんのう」
ルベリアの鋭すぎる勘にドキンと心臓を跳ねさせつつも、ワシはなんとかごまかしきった。
「ありがとう、おかげで少し楽になったわ。あなたとお話できて、本当に良かった」
「そうか、そいつはよかった。では、あまり長話をしてもあれだしワシはこれで……」
あまり長居してボロが出てはいけない。
撤退しようとしたワシの背に向けて、ルベリアは言葉を投げかけてきた。
「でもできれば、いつかは本当のことを話してちょうだいね?」
「……ん? んんん? それはいったいどういう意味の……?」
ぎょっとして振り向くワシに向かって、ルベリアは――
「さて、どういう意味かしら。自分の胸に手を当てて、考えてみることね」
人差し指を唇の前に立てると、からかうように言った。
まるで、古い友人にそうするように。
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