第91話 悪魔の塔
さっきからドキドキが止まらない。
茂みの中に隠れ、黒い土壁に囲まれた施設を観察する。
壁越しとはいえ、少し開けた場所なので、差し込む日の光を浴びてそのおどろおどろしい建物の全貌が見える。
フードを目深に被ったアユナちゃんとクルンちゃんが、ボクのローブをぐっと掴んで離そうとしない。2人の緊張を感じて、ボクの両手にも手汗が滲む。
まさに、試合前に何度も体験したことがある懐かしい緊張感。こういうときほど冷静になって心を落ち着かせるんだ、そう自分に言い聞かせながら2人の手をぎゅっと掴む。
[アユナがパーティに加わった]
[クルンがパーティに加わった]
久しぶりだよ、この感覚。
今までの経験上、戦闘が起きそうな予感。
改めてじっと目を凝らす。
奥行きまではわからないけど、横幅は50m走で走る距離くらいある。
壁の高さは3mくらい? だとしたら、浮遊魔法を使えば越えることは可能なはずだ。
中央に聳える黒い塔は、森の大木より低く、だいたい10mくらいだろうか。所々に見える窓を数えると、地上を含めて3階建だと推測される。
こういう建物の場合、たいてい偉い奴は上に居るもんだ。かつて侵入したカイゼルブルクの記憶が蘇る。さらに、魔法が使えなかった吸血女王グスカ戦の記憶も。あれは逆に地下に居たんだっけ。
あっ!
黒いローブが近づいてきた。
見張りの男だと思う。壁に沿って周囲を巡回するだけで、森の方までは来そうにない。大丈夫、ボクたちの存在はバレていない。
彼がちょうど背を向けたタイミングで鑑定スキルを使ってみた。
「《鑑定魔法》!」
◆名前:フレデリクス(悪魔教信徒)
種族:人族/男性/36歳
称号:なし
魔法:闇魔法・暗視
魔力:15
体力:56
知力:48
魅力:64
重力:10
「悪魔教の信徒だって。魅力の偏差値が高い!」
小声で2人に伝えると、案の定の反応が返ってくる。
「悪魔です?!」
「かっこいいってこと?!」
「あー、うん……悪魔じゃなくて悪魔教ね。かっこいいというか、元イケメンのおじさん?」
「でもです、服が白くないです。今回の件とは無関係です。関係ないから戻るです」
確かにそうだ。
フリージア王都での目撃証言とは齟齬がある。つまり、ミルフェちゃんがここに居る可能性は低い。どうしよう。
「リンネちゃん、この森に悪魔教徒が居るのは許せないよ!」
アユナちゃんのこの一言で、ボクたちの行動は決まった。速戦即決だ!
20分ほど観察した結果、見張りの巡回周期は5分おきで4人体制っぽい。ほぼ四面がカバーされていて隙がない感じ。
どこに入り口があるのかわからないけど、入口から正々堂々入るのはおバカさん。こういう場面って、こっそりと壁を乗り越えるもんだ。
よし、奥の手を使おう。
『おい! 空を見ろ!』
『ドラゴンだ!』
『戦闘準備!』
『やめろ、無駄に刺激するな!』
『うわっ! こっちにもいるぞ!』
空を飛ぶ雄大なドラゴン――咆哮を上げ、猛るその姿に、信徒が動揺を隠しきれずに騒ぎ立てている。
そしてもう1匹、地を這う壮麗なドラゴンも忘れてはいけない。ドスンドスンという地響きが建物の裏側まで聞こえてくる。
いきなり現れた体長10mを超える2匹のドラゴンに、建物全体がアリの巣だかハチの巣だかを突っついたような状態になった。
見張りの巡回が来ないのを確認してすぐ、ボクたちは一気に壁に取り付く。
黒い壁に張り付く白銀のローブ……3人は滑稽なくらいよく目立っている。ローブを脱いでも、さらに服を脱いでも全部白。こっそり侵入案は潔く諦めよう。
まごまごしながらも壁を乗り越えたボクたちだけど、頼もしいパートナーの陽動のお陰で、誰にも見つかることなく塔の入り口に張り付くことができた。
近くに信徒の姿はない。信徒総出でドラゴンに備えているのだろう。
入り口からちらっと塔の中を覗いたボクの背中に、ぞくぞくと悪寒が走る。
不気味な何かが居る――。
蠢く大量の影と、その奥には……複数の信徒を侍らし、巨大な椅子に腰を据える山羊のような魔物が見えた。
勇気を振り絞って、再度、闇の中で目を凝らす。
「《鑑定魔法》」
◆名前:シェイド
種族:下級闇精霊
称号:なし
魔法:闇魔法・暗視
魔力:72
体力:18
知力:24
魅力:44
重力:20
◆名前:バフォメット
種族:上位悪魔
――
ヤバいのがいる!
たくさん見えた黒い人影も厄介そうだけど、椅子に座っている奴は鑑定が効かない。絶対にヤバい。ボクの魔力《96》の2倍以上あるかもしれない。
「リンネちゃん?」
アユナちゃんが泣きそうな顔でローブの裾を引っ張ってくる。
「アホメットって山羊がいるね。まぁ、魔人よりは弱いんじゃない? そんなにびびることはないと思う」
「そうなの?」
「そうだ、フェニックスを呼ぼう! 動物には動物作戦!」
「えっ!? 戦ってくれるかな……」
「大丈夫! 不死身ちゃんを盾に·····とりあえず時間稼ぎしてもらっているうちに、ボクたちはミルフェちゃんがいないか探し回る!」
「クルン、森に戻って留守番するです」
「大丈夫だってば! いざというときは《転移》で逃げるから」
不安がるクルンちゃんの両耳を2人がかりでもふもふしながら励ます。
「あふん……はいです……リンネ様の後ろについていくです……」
クルンちゃんは覚悟を決めて、短剣に魔力を込め始める。
ドワーフの鍛冶師ダフさん作のこの短剣は、込めた魔力に応じて20~100cmに伸縮可能だ。
相手に深手を負わせない程度にと考えたのか、今は30cmくらいの長さに調整している。
ボクも、髪を1つ結びにし、杖を握り締めて気合を入れる。
アユナちゃんは、フェニックスを召喚した後、土下座しながら事情を説明している。信頼関係バッチリだね。うん、任せよう。
「よし、行くよ!」
★☆★
入り口から一列縦隊で飛び込む!
部屋の最奥、正面方向には、蠢く闇の中でも獰猛な光を湛える2つの眼が見えた。
一瞬の後、2人の魔法が解き放たれる!
「《光魔法/下級!」
「《水魔法/中級!」
アユナちゃんの光魔法が、闇に巣食うシェイドの群れを拡散する!
ボクが放った水の渦は、狙い通りに建物の床を抉って椅子ごとバフォメットを階下へ落下させた!
「うわぁ!」
「ぎゃー!」
轟音に続くのは人間たちの悲鳴。信徒たちには既に戦意が感じられない。
よし、あとはフェニックスに任せよう!
より明るさを増した塔の中、右手側に上へと続く階段が見える。
「上へ!」
アユナちゃんとクルンちゃんは、緊張でガチガチだ。
階段で何度も転びながらも、ボクの後からついてくる。
階段を上り終えると、ボクの視界は一気に広がった。
この塔は一部屋ずつの多重構造らしい。薄暗い円形の部屋は食堂のよう。そこには黒いローブを纏った信徒が20人以上も居た。
『何者だ!』
『どこから入ってきた!?』
階段を背に三角の陣形を敷くボクたち。
それに対し、襲い掛かってくるどころか、包囲すらせず、さらに距離を置こうとする信徒たち。
そして、何より気掛かりなのは……その誰何の声が、とても幼かったこと……。
「子ども?」
彼らは、その声色、身長からみて、ボクたちと大して変わらない年頃だと思われた。
小さい子を後ろに庇うようにして、剣を持った信徒が数名押し出されるようにして近づいてくる。
『生きて帰れると思うなよ!』
鋭い踏み込み――5mはあった間合いが一気に縮まる。
斜めに斬り裂こうと、剣が目前に迫ってくる!
ボクは杖の代わりに棒を両手で握り、剣を頭上で受け止める。
軽々と受け止められた剣戟、そして毀れる刃を驚愕の目で見て、相手の顔には一瞬だけ、動揺が走る。
剣を大きく弾き返し、空いた間合いを今度はこちらから詰める。
低い姿勢から踏み込むと、横に薙ぐと見せかけて、右手首だけを上に捻って下から剣鍔を弾く。
試合では有効打にならない小手打ちだけど、実戦では通用する。
遠方に飛ばされた剣が落ちる音を合図に、味方の窮地を助けようと思ったのか、数名がボクに襲い掛かってきた。
左右から飛び出したアユナちゃんとクルンちゃんが、それぞれ1人ずつ迎え撃つ。
事前に、無駄に命を奪わないよう作戦を練っていたけど、やり過ぎないかが心配だ。あくまで相手は人間、それも、子どものようだから。
ボクも、同時に飛び掛ってきた2人を相手にする。
大きく振りかぶった剣が振り下ろされる前に、相手の鳩尾を突き飛ばす。
足元を薙ぎにきた一撃を、《浮遊魔法》ですっと避け、そしてそのまま隙だらけの相手の後頭部に《カウンター》を見舞う。
気絶させることはできなかったけど、相手は剣を捨て、頭を抱えて座り込んだ。
前進したボクの前方からは、《火魔法/下級》が飛んできた。
「《水魔法/下級》!」
ボクの目の前には1m四方ほどの水の盾が形成され、飛んできた魔法を吸収し尽くす。
左右も既に決着がついたようで、腕から血を流す信徒が蹲っている。
「武器を捨てて! 殺し合いは望まない!」
『ふざけるな!』
『騙されるかよ!』
『殺さないで!』
動揺が伝播する信徒たち――罵倒する声、命乞いをする声が室内に響く。
外からは激しい爆音が続いている。
フェニックスとバフォメットの戦闘が激しさを増しているみたい。
ボクが武器をアイテムボックスに収めるのを見て、アユナちゃん、クルンちゃんも武器をしまう。
状況を理解できた一部の信徒たちは、こちらに戦意がないことを悟った様子だ。
または、戦っても勝ち目がないことを悟ったのだろうか、仲間にも武器を下ろさせて様子を窺っている。
「ありがとう。ボクはリンネ、賢者です」
カッコよく名乗りを上げたその瞬間、強烈な閃光が部屋に差し込み、ボクたちを照らし出す。
いつの間にかフードを下ろしたアユナちゃんとクルンちゃんを見て、再び場がざわめく。
ボクたちも同年代の子どもであること、それも、自分で言うのも恥ずかしいけど、とびきりの美少女であることが、今更ながら伝わったようだ。
ピンク色に染まりつつある雰囲気を無視して、ボクは声を張り上げた。
「いくつか質問があります!」
息を呑むような緊張感が広がる。
「桃色の髪の少女を連れ去ったのはあなた方ですか?」
肯定とも否定ともわからず、ただ沈黙だけが流れる。
本当に係わっていないのか、それとも隠しているのか……。
「ここであなた方は何をしているのですか? そもそも、ここは一体――」
『何って、ここはあたしたちの寝室だよ。ここは孤児が集まる場所で……』
奥に居た小さな女の子が呟いた。
孤児?
「こんな場所に孤児院? おかしいでしょ。なら、最後にもう1つ……」
ボクは、大きく息を吸い、部屋中に聞こえるように大声で叫ぶ。
「悪魔を召喚したのはあなたたちですか? 人を殺めるために!」
静寂が満ちる。
鋭い眼光がボクを射抜く。
『それは、私が説明しましょう』
凛とした少女の声が響き渡る。
ボクたちの前に進み出た彼女は、黒いローブのフードを下ろし、白く輝く髪をさらけ出した。
整った気品のある顔立ちからは、彼女の育ちの良さを感じられる。
しかし、その表情には、隠そうとしても隠しきれない陰鬱な翳があった。この子の目――奴隷の目と同じだ。
『私たちは神を信じません。逆に恨んでさえいます』
さっきまで下から聞こえていた爆発音は既に止んでいた。閃光のときに決着がついたのだろう。
フェニックスが死なないのは知っているけど、不安しかない。
代わりに、静かに語りだす彼女の背後からは、子どもたちのすすり泣く声が聞こえてくる。
『元来、積み重ねられた歴史が運命であると呼ぶのならば、私たちが親から捨てられたこと、盗賊団によって、多くが殺され、弄ばれ、いたぶられた日々……そして、あなた方とこうして出会い剣を交えたこと……これらもまた受け入れるべき運命なのでしょう。しかし、そこには神の善意なんてこれっぽっちもありません。私たちが何か悪いことをしたのでしょうか? それとも、役に立たない私たちに対する神が与え給うた罰なのでしょうか!?』
やるせない怒りをぶつけるように、彼女は金切り声を上げる。
『今から半年ほど前のこと、この世の全てに絶望し、皆で命を絶とうとしたとき、闇の中から現れたのが母様でした。私たちは最初、とうとう死神が命の炎を刈り取りに来たのだと思いました。しかし、目の前には、目を疑うような信じられない光景が広がっていました。襲撃してきた盗賊の身体が溶け出し、影のみが残されたのです! あなた方も下で見たでしょう? 大量の影を。自業自得です。当然の結末です!』
「盗賊が闇の下級精霊に?」
『はい。その後、影は日を増すごとに数を増やしていきました。母様が、私たちを苦しめ続けた者を許さなかったのです。今さら正義を語る気は毛頭ありませんが……私たちが悪魔教の信徒ならば、私たちの命を狙った盗賊たちは何です? 神の信徒ですか? 蛆虫ですか?』
「……」
『母様は、確かに闇の世界から訪れた悪魔かもしれませんが、私たちにとっては救いの神なのです。私たちは母様の意思に従います。それが、この世界を滅ぼすものだとしてもです!』
「そんなの救いじゃないよ! これからの世界をちゃんと見てほしい。ボクたちは魔王から世界を救い、新しい世界――奴隷や孤児のいない世界を目指すから。世界の滅亡なんか、解決にも何にもならない!」
「クルンは元奴隷です。リンネ様に救われましたです。あなたたちと同じです!」
「私、アユナは味方だから安心して!」
『私たちの味方?』
「うーん、ミルフェちゃんを誘拐した犯人じゃなければね」
『ミルフェ? 誘拐? 何のことでしょうか?』
やっぱりこの集団とミルフェちゃんの件は関係がなさそうだ。
その時、轟音と共に、爆風を伴った振動が伝わってきた!
外で逃げ惑う見張りのうちの1人が建物に向かって叫ぶ!
『大変です! ドラゴンと不死鳥の次は、魔物が襲ってきました!』
「「えっ?!」」
★☆★
ボクたちは建物の外に飛び出して周囲を窺う。
破壊された黒い壁――周囲には瓦礫の山が広がる。
そしてその瓦礫は、30匹、いや……50匹を超えるであろう巨躯の魔物に囲まれている。
一陣のつむじ風がボクの頬を撫でる。
見上げる彼方には、不敵な笑みを浮かべる1人の少女の姿があった。
空に舞い上がる赤色の飛竜の背で、彼女は桃色の髪を靡かせていた。




