90.新たな脅威
つかの間の平和な日々を過ごしていたリンネたちだったが、世界は否応なしに闇に沈んでいく――。
行き交う群衆に笑顔はない。
まるで、朝焼けの空を覆う暗雲のように、せわしなく流れる陰鬱な影。
これが、戦争――。
それも、人間同士の――。
ボクたちは今、地上世界フリージア王国の王都――四方位に大門を持つ巨大城塞都市、その大東門付近にいる。
2週間ぶりの王都は、以前とは違う意味で活況を呈していた。
「リンネちゃん、最後の召喚石は桃色だったよね。もしかして、ミルフェ様が?」
「それ、ボクも真っ先に考えたよ。でもさぁ、アユナちゃん以外は異世界からの召喚なわけだし、どうなんだろう?」
「私みたいに1回死んじゃったとか?」
「こらっ! あ、でも……ウィズによる召喚と宣戦布告のタイミング、これは関係ないと思うほうが無理だよね。クルンちゃん、何かわかる?」
「ミルフェ様のことは占いに出てこないです。出てこないですが、クルンのときみたいに召喚が失敗した可能性があるかもと思うのです。召喚権限がない場合は、相応の犠牲が必要なはずですし」
「犠牲……まさか、それで戦争が? ウィズならやりそうな気もするわ」
ボクたちは話しながらも、早足で雑踏を進んでいく。
人々の流れは明らかに西を目指している。王都での戦乱を避けるため、西のアルンを目指しているようだ。
王宮に向かうボクたちは、激流に逆らうことなく群衆の波に流されていく。
迷子にならないよう手を繋いで進むこと500mほど。ようやく白と赤を基調にした荘厳華麗な王宮が見えてきた。
案の定、警備が手厚い。
王宮と同じ白と赤の重厚な甲冑を身にまとった6人の兵士が、入口を線対称に見張っている。
誰もが侵入許すまじという、気迫のこもった険しい表情を見せていた。
「うわぁ。これ、中に入れてもらえるかな?」
「大丈夫だと思うです」
「いざとなったら力押し?」
細い腕に平らな力こぶを作るアユナちゃんにゲンコツをして、手前のフルフェイスアーマーな兵士さんに恐る恐る声をかける。
「あの~、リンネと申します。ミルフェ様に会いに来たんですが――」
ガチャガチャ音を立てながら近づいてくる兵士に、思わず右手に持った杖を力強く握りしめる。
あぁ、ニューアルンに寄ってから来れば良かったかな。こういう時にメルちゃんが居ると助かるんだよね。何だかんだ頼りっぱなしの勇者ボク。
『本物か?』
「失礼です! こんな天使のような女の子が他にいるわけないです!」
「えっと、クルンちゃん。天使は私なんだけど」
兵士たちがたくさん集まってきた。
皆の視線がアユナちゃんに集まる――。
『大変失礼いたしました!』
『案内させていただきます、どうぞこちらへ!』
ドヤ顔のアユナちゃんと目が合う。
安心した。
ミルフェちゃんがボクたちを排除するのではないかって心配していたから。
先導役の兵士2名の後ろにアユナちゃん。ボクとクルンちゃんは、金魚の糞よろしくついていく。
庭を越え、門扉を潜り、廊下を進む。
道中すれ違う尋常ならざる兵士の数に、只事ではない緊張感がひしひしと伝わる。
やがて、兵士たちの足が止まる。
ボクたちは、謁見の間ではなく、以前に三者会談が行われた閣議室に通されたようだ。
『中でしばらくお待ちください』
そう言い残すと、兵士たちは駆け足で去っていく。
3人とも遠慮なく中に入る。
この前来たときには座れなかった椅子――正方形のテーブルの四辺に置かれたそれを眺める。
よく見ると、テーブルの角にある彫像と同じような柄のレリーフが椅子にも施されている。竜と獅子と……それと、人と天使だろうか。
ボクは悩んだ挙句、竜の椅子に遠慮深く座った。
アユナちゃんは天使の席に、クルンちゃんは獅子の席にちょこんと座る。
「なんか、偉くなった気分!」
「クルンもです。獅子の椅子なんて恐れ多いです……」
「ふふっ、皆同じこと考えてるなぁって……落ち着かなくてお尻がムズムズするね」
ボクたちがはしゃいでいると、扉の向こう側から足音が近づいてきた。
3人?
視線が扉に集中する。
話し声と共に扉が開く。
最初に入ってきたのは、金髪にツンツン頭の長身――ランゲイル隊長だ!
後ろの赤い髪の人は“竜の牙”のハルトさん?
そして最後の1人――。
久しぶりの再会に、心臓がバクバクと音を上げて飛び跳ねる。
『では、私は扉の外で警護に当たりますので失礼します』
『あぁ、宜しく頼む』
さっきの案内してくれた兵士さんだった。
あぁ、ミルフェちゃんじゃなかった。
どかどかと大股で歩み寄る2人は、ボクの正面にある人間のレリーフが施された椅子に座った。
場に椅子は1つ、大人が2人――。
紙一重でランゲイルさんのお尻が敗れ去り、地面に転がる。
彼は、微妙な表情を浮かべながら部屋の隅に置かれた丸椅子を持ってきて、改めてどっかりと座した。
場の緊張が解れたのを見計らい、ランゲイルさんが口を開ける。
『リンネ、お前の言いたいことはわかっているつもりだ。愛弟子だからな!』
「……」
『師匠は相変わらずカッコいいですね、と言いたいんだろ?』
「違います」
『はっ、冗談だ。椅子を取り替えてあげましょうか、と言いたいんだろ?』
「違います」
『ははっ! 知っている。お前が恥ずかしがり屋さんだってこともな! じゃ、あれだ。2週間でどれだけ育ったか見せに来たんだろ?』
出たよ、セクハラ発言。
このセクハラおじさんのペースに乗ってしまったらダメだ。
やばい。アユナちゃんが杖で小さな木竜を作っているし、クルンちゃんも尻尾の毛を逆立てて、短剣の柄に手を伸ばしている。
「師匠こそ、よくぞご無事で。戦争と聞いて心配しましたよ」
『はははっ! お前には言ってなかったな。俺には竜種の血が流れているから丈夫なんだ』
2週間でちょっと痴呆症が進んでいるけど、元気そうで本当に良かったよ。もう十分に構ってあげたから放置していいよね。
「ハルトさん、ミルフェちゃん様はどこにいますか?」
『リンネ様、僕のことを覚えてくれていたんですね、感激です。でも、ミルフェ王は……』
そこまで言うと、ハルトさんは言葉を詰まらせてランゲイルさんを見た。
ランゲイルさんは、腕を組み、俯きながら静かに頷く。
『失礼。ミルフェ王は……連れ去られまし――』
「「えっ!?」」
ボクたちが王宮に来たとき、ランゲイルさんは全てを打ち明ける決意をしたそうだ。
彼によると、その事件は2日前の早朝に起きた――。
ミルフェちゃんがいつも通りに食事と入浴を済ませて寝室に向かったことは、侍女が見ていた。
侍女の部屋はミルフェちゃんの部屋を囲むように設けられていて、王宮の暗黙上のルールとして、ミルフェちゃんの部屋の明かりが消えてから1時間の後に侍女たちは就寝することになっている。
その夜も、いつもと変わらなかった。
皆が寝静まる中、1人の侍女が物音を聞いて目を覚ました。
侍女と側近がミルフェちゃんの部屋へ急ぎ入ってみると、既に彼女の姿はなかった。動くものと言ったら、割られた窓から入る風で揺れるカーテンのみだったそうだ――。
間髪入れずに検証と追跡が行われた。
窓は内側から割られていたが、2階の窓から飛び降りたであろう足跡は地上には残されていなかった。
しかし、警備の兵士数人に、“白い衣を纏った複数の者”が、飛ぶようにして王宮から逃げ去る姿が目撃されていたのだ。
逃げた方角と服装から、クルス光国に疑いの目が向けられた。
ヴェルサス前国王の指示で編成された追跡部隊は、王都南方の霊峰ヴァルムホルンの麓まで至った所で追跡を断念。
しかし、地理的要因から犯行がクルス光国よるものだと強引に断定される結果に――。
その後即座に、ヴェルサス前国王はクルス光国に宣戦布告をし、フリーバレイの拠点を制圧した勢いのまま、王国軍1500人からなる部隊が南征を始めているという。
「ちょっと待って! それだけじゃクルス光国の仕業と断定できないよね? おかしいでしょ。白い服なんて――」
『最初はエンジェル・ウイングを疑う者もいた。飛行魔法が使える者もいるからな。しかし、ヴェルサス様が絶対に有り得ないと言い切ったのだ』
「「……」」
「クルスはそんなことしないです。クルンはそう信じるです!」
『それを否定する証拠がないんだ』
「ランゲイル隊長、あの時は凄く男らしかったのに、今はただの馬の骨ですね」
「『え!?』」
突然止まった時間。
ハルトさんは口を開けたまま、アユナちゃんとクルンちゃんは顔を蒼くして凍結。バカにされた当のランゲイルさんはにへらっと笑顔を浮かべたまま。
「どうしたの?」
何か言ってはいけないことに触れちゃった?
「えっち」
アユナちゃんの一言でQとAが繋がった。
熱を帯びた顔を叩き再起動する。
落ち着けボク。
ウィズに召喚されたのがミルフェちゃんなら、無意識にでもウィズを探しに本人が動く可能性はある。
でも、ミルフェちゃんは飛行魔法が使えないはずだし、それに、白い衣を纏った“複数の者”という証言とも相容れない。
逆から考えよう。
もしミルフェちゃんが誘拐されたとして、クルス光国は何のためにミルフェちゃんを誘拐する? 何かを交渉するための人質? それとも、実は演技?
「リンネちゃん……これって、召喚と何か関係がある?」
「わからない。ハルトさん……実は、魔人ウィズに最後の召喚石を奪われて使われたの。恐らく、召喚者は桃色の髪をしている」
『桃色の髪……』
髪色はボクがわかりやすくするために作った設定だから、絶対ではないけどね。
ちなみに、ボクの設定的には、最後の1人は「信」のイメージを持つはずだった。自分の信念に従って誠実に行動する――あ、これって、もし敵に回したら面倒くさいやつじゃん!
「桃色の髪の子はミルフェちゃん以外にいますか?」
『いや……僕も心当たりはありません』
「んー、あと、召喚された者は召喚した者の魂に従う。もしミルフェちゃんが魔人ウィズに召喚されたんだとしたら、きっと奴を探すはず。勿論、断定はできないけど」
(アイちゃん、今の話、聞いてた?)
(はい。まさかミルフェ様が……でも、この件にエンジェル・ウイングは係わっていません。これは確実です。それに、クルス君も係わっていないようです。確認が取れています)
(良かった! ありがと!)
(しかし、安心はできません。ウィズの指示なのか、召喚された者自身の意思なのかはわかりませんが、犯人の狙いは大陸全土を巻き込む戦争だと思います。早く見つけ出して止めないと!)
(でも、この広い大陸からどうやって見つけるの?)
(まずは宣戦布告を取り消させてください! アルンの方はわたしに任せてください、罠を張ります)
(わかった!)
『くそっ、よりによって魔人かよ……リンネ、俺らは一体どうすればいいんだ?』
「今、アイちゃんから情報を確認しました。クルス光国は無実です。即時停戦を、宣戦布告を解除してください! 今言えることは、諦めず、知恵と勇気を振り絞れば、絶対に――」
「「不可能なことはない!!」」
★☆★
白い城、白い街――ボクたちはクルス光国に転移した。
神殿の結界のせいで、以前のように都の外から入ることになったんだけど、外から見たらとても平和な光景なんだよね。これが、中に入ると雰囲気が一変。ここでも民衆は慌しく逃げ惑っていた。
主力軍はフリーバレイに進軍してしまい、聖都ムーンライトを守るのは僅か500人ほどの留守番部隊のみだしね〜。
2日前にフリージア王都を発った王国軍は、4日後には到達するだろう。それまでには停戦の急使が送られる手筈になっているけど、一抹の不安は残る。
「リンネ様! クルン姉様! あぁ、良かった……助かった!』
例の白い部屋の中には、悲嘆に暮れる教皇のクルス君と最高司祭シラヌイさんがいた。
「クルス君、久し振りだね。フリージア王国は停戦を決定したよ! ただ、王都を既に出発した遠征軍への連絡はまだ――」
「それでも助かります! 戦争なんて、絶対の絶対に絶対嫌です!」
クルス君が泣きながらボクに抱き付いてくる。さらりと身を躱してクルンちゃんに押し付ける。もふもふは後回しだよ。
「アイちゃんから聞いていると思うけど、ミルフェちゃんが誘拐されたの。犯人は白い服の集団らしいけど、心当たりはない?」
「そう言われましても……僕は神殿から出たことがないんですよ」
『白装束の集団ですと? それらしき異端の徒が東の大森林を拠点にしていると聞いたことがありますぞ』
「東の大森林って、エリ村がある所か!」
アユナちゃんと目が合う。
微妙に歪んだ表情が悲しみを映し出している。魔族といい、異端一派といい、聖なるエルフの森が犯されるのは気持ちが良くないよね。
「リンネちゃん……私は大丈夫だから、今すぐに行こう!」
「クルス、しっかり国を守るですよ! クルンはリンネ様を守るですから!」
普段は妹キャラなクルンちゃんも、弟の前ではしっかりお姉ちゃんしてるね。兄弟っていいなぁ。
「リンネ様! 姉様! 僕にお任せくださいです! シラヌイさん、こちらも停戦宣言してきてください! 僕はこの部屋を見張りますから」
クルス君、大丈夫だろうか……大変だけど、頑張ってね!
★☆★
今日何度目の転移だろう。
微妙に意識が飛びかけたボクは、今度は大森林の入り口に来ている。
ここは初めてミルフェちゃんに会った場所に近いと思う。まだ正午前なのに空が薄暗いせいか、見慣れた森が不気味に感じられる。
この森の中にミルフェちゃんがいる可能性があるんだ。人質にされているのなら、相手に気づかれないように気をつけないと!
「リンネちゃん、森の中が騒がしいよ。早く行こう!」
「案内お願い!」
結局、隠密行動よりもスピードを重視することになった。
飛ぶように駆けるアユナちゃんを追って、ボクとクルンちゃんも全力で走る。戦闘になっても大丈夫、ボクには必勝魔法の[時間操作]がある!
鳥の鳴き声が木霊する中、30分ほど走ると少し開けた場所に出た。
そこには、黒土を加工して造られたような壁と、その上に聳える黒い塔があった。
そう言えば、シラヌイさんが以前呟いていた。異端の中でも最も邪悪な、光が作り出す影の存在にこそ光を崇拝する意義がある、という歪んだ教義を持つ一派、影を崇拝対象とする暗殺者集団がいるということを――。
ミルフェちゃんがガルクに拐われた時以上に不吉な予感が頭をよぎる。急に沸き出た不安が歩みを鈍らせる。
でも、早く、一刻も早くミルフェちゃんを助けたいという気持ちが勝り、3人は黒い壁を乗り越えた。
コロナ禍のテレワークから一転、平和な職場へ異動になります。仕事中に書くぞー。




