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クリスマスの窓辺で

 雪が静かに降っていた。

 細かな粒が空から舞い落ち、町の輪郭をやわらかく覆っていく。

 商店街にはクリスマスの飾りが灯り、赤と金の光が店々の窓を彩っていた。

 冷たい風の中でも、人々は笑顔で歩いている。

 その小さな幸福の明かりが、冬の夜を少しだけ暖かくしていた。


 通りの端に、一軒の古い喫茶店があった。

 店名は 《ツリーの窓辺》。

 大きなガラス窓の前に、毎年見事なツリーが飾られることで知られている。

 店内には、焙煎した豆の香りと鈴の音のような笑い声が満ちていた。

 その窓際の席に、ひとりの女性が座っていた。

 名前は 深雪みゆき

 三十歳を目前に、仕事に追われる毎日を過ごしている。

 今年はクリスマスイブも残業続きで、同僚たちの誘いを断ってここへ来た。

 ツリーを眺めながら、ようやくひと息つく場所が欲しかったのだ。

 ふっとガラスに目を落とすと、自分の姿が薄く映る。

 疲れた表情に、少しだけ苦笑する。

(子どものころは、クリスマスが楽しみで仕方なかったのに)

 想いは自然に、十数年前の記憶へと沈んでいった。


 雪の降る夜、家の窓辺で従兄弟と並んで外を眺めた。

 あまりにも雪が降るからサンタさんが来れないんじゃないかと心配する深雪に、従兄弟の陽斗(はるとは、笑いながら言った。

『サンタさんなんて来なくてもいいよ。深雪が笑っていれば、それで十分だ』

 その言葉を言った三日後、陽斗は突然の事故でこの世を去った。

 その日から、深雪にとってクリスマスは、願いごとを言ってはいけない日になった。


 店の扉がまた開き、風鈴のような鈴の音が響いた。

 雪を肩に乗せた青年が入ってくる。

 黒いコートを脱ぎながら、店主に明るく頭を下げた。

「こんばんは。空いてますか?」

 席を探す青年と視線がかち合う。

 驚いたように目を見開き、ゆっくりと微笑んだ。

「もしかして……深雪?」

 胸に息がつかえた。

 その顔、その声。

(……陽斗じゃない。そんなはずはない)

 だが青年は穏やかに言った。

「久しぶり。陽斗の弟の(あおい)です。覚えてる?」


 深雪はようやく頷いた。

 小学生だった蒼が、いつの間にか自分を追い越すような背丈になっている。

「まさか、ここで会うなんて」

「ここ、兄さんが好きだった店なんです」

 蒼は向かいの席に座り、ココアを頼んだ。

 湯気の向こうで、懐かしい面影が揺れる。

「深雪さん、知ってますか。兄さん、最後の日の夜、僕に言ったんです」

 心臓が、雪の中で強く跳ねた。

『深雪は優しい子だから、きっといつか苦しむ。そのときは、ちゃんとそばにいてやれ』

「ずっと、その言葉が頭から離れなくて」

 蒼はココアを見つめたまま、静かに続けた。

「今日、どうしても来たかったんです。兄さんのかわりに、伝えなきゃいけないと思って」


 外で雪が強くなる。

 店内のライトが、落ちてくる粒を黄金色に照らす。

「深雪さん。願いごと、していいんですよ」

 深雪の指が震えた。

「……できるわけ、ないよ。願っても、叶わないのに」

「叶わなくても、願うことは自由です」

 蒼の声は、陽斗にそっくりだった。

 優しくて、温かくて、一番に守ってくれた声。

 深雪は、胸の奥の扉が軋む音を感じた。

 長い間閉ざし、見ないふりをしてきた場所。

(願ってはいけないなんて、自分で決めたことだった)

 雪の粒が、ゆっくりとガラスをすべり落ちていく。

 深雪は静かに目を閉じた。


「……陽斗に会いたい。もう一度だけ、ありがとうって言いたい」


 その言葉は、凍った心の氷を割るように震えた。

 気づけば涙が頬を伝っていた。

 蒼はそっと言った。

「きっと、兄さんはその言葉を待っていたんだと思います」

 そのとき、店の外の空に光がひらいた。

 雲が割れ、月が姿を見せる。

 雪がきらきら光り、まるで夜空に星が降ってくるようだった。

 深雪は静かに呟いた。

「メリークリスマス、陽斗」

 蒼は穏やかに笑った。

「兄さん、絶対に聞いてますよ」


 二人の前のテーブルには、温かな灯りがやわらかく落ちている。

 悲しみはまだそこにある。

 けれど、寄り添う温度があるだけで、世界は少しだけ明るくなる。


 雪は、やさしい音を立てて降りつづけていた。

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