青い月の夜
その村では、月が青く輝く夜のことを、誰も語りたがらなかった。
昔からの言い伝えによれば、「青い月の夜に外へ出た者は、姿を消す」という。
だから、村人たちはその夜になると家に鍵をかけ、窓を布で覆い、ひたすら朝が来るのを待った。
でも、少女リナだけは違った。
彼女は物心ついたときから、“青い月”に惹かれていた。
誰も話してくれないその月の秘密を、自分の目で確かめたいと思っていた。
祖母に尋ねても、母に尋ねても、返ってくるのは「忘れなさい」という言葉ばかり。
けれどリナは、いつかその青い光を浴びたいと、ずっと心に秘めていた。
そして、その夜が、やってきた。
満月のはずなのに、空に浮かぶ月は、不思議な蒼銀色に輝いていた。
雲はなく、風もない。
村は息をひそめたように静まりかえっていた。
リナは、家の裏口をそっと開けた。
足元には冷たい夜露。 その上に、青い月の光が静かに降り注いでいた。
「わぁ、きれい……」
それは恐怖とはまったく無縁の、美しさだった。
恐れるような何かではなく、世界の奥深くで静かに鼓動を打つような、そんな気配だった。
リナが広場に立ったそのとき、空気がすっと変わった。
突然、風もないのに草が揺れ、空に瞬く星がひとつずつ、淡い青に染まっていった。
地面から淡い光が立ち昇り、リナの足元を包んだ。
その中心に、ひとつの影が現れた。
人のようで、人でないもの。
長い髪をなびかせ、透明な衣をまとい、目は青い月と同じ色に輝いていた。
「おまえは……恐れぬのか」
声ではなかった。
それは心に直接響く、音にならない問いだった。
リナは震えながらも、はっきりと答えた。
「怖い。でも……知りたい。この青い月が、どうして現れるのか。そして、村の人たちが何をそんなに恐れているのか」
影はしばらく沈黙し、そして微笑んだ。
「ならば、おまえに力を授けよう。真実を知る者にしか扱えぬ、月の加護を」
リナの胸に、青い光がすっと吸い込まれた。
体が熱を持ち、心の奥に“何か”が宿った感覚がした。
その瞬間、世界が反転した。
空がうなり、風が吠え、村の森から黒い霧が立ち昇ってきた。
それは「古の悪」……
かつてこの村を呪いに包んだ存在だった。
青い月の光は、かろうじてその霧を押し留めていた。
だが、霧は年々濃くなり、ついに月の力だけでは抑えきれなくなったのだ。
それこそが村人たちの恐れていたもの。
青い月は、災いの兆しではなく、村を守る最後の砦だった。
「どうして、誰も教えてくれなかったの……!」
リナの叫びは夜に吸い込まれたが、彼女の心は確かに燃えていた。
力が手に宿っている、そう感じた。
それは剣でも魔法でもない。
ただ、逃げずに立ち向かう勇気の形をしたもの。
リナは手を差し出した。
光がほとばしり、霧の中心を貫いた。
悪の中から現れた巨大な影が、リナの姿に気づき、ゆっくりと腕を伸ばす。
でも、恐れなかった。
青い月の光が、リナの中で脈打っていた。
「私は……逃げない。みんなを守る。自分の足で、ちゃんと立って」
その言葉とともに、青い月が一際強く光を放った。
霧が悲鳴を上げるように震え、やがて風に溶けるように消えていった。
夜が明けたとき、リナはひとり、広場に立っていた。
空は澄み、青い月は静かに輪郭を消していった。
村人たちは戸惑いながらも、リナの話を聞いた。
彼女の目に、恐怖はなかった。
ただまっすぐに、自分たちが目を背けていたものと向き合った瞳がそこにあった。
それからというもの、村では青い月の夜に、家の明かりが灯されるようになった。
誰もが恐れていたその夜は、いつしか「光を見つめる日」として静かに受け入れられるようになった。
そして、リナの胸には、今も青い光が静かに息づいている。
それは、真実を知ろうとした一人の少女が手に入れた、ほんとうの力だった。




