秋限定
放課後の図書館前の並木道は、いつの間にか金色のトンネルになっていた。
夏の名残をわずかに残しながら、木々はゆっくりと色を変えていく。その変化は、急がず、誰かを待つようにゆっくりで、歩くたびにふわりと風が落ち葉を散らした。
朱音は、カーディガンの袖を握りながら歩いていた。
秋が来るのは好きだけれど、胸の奥が少しだけ寂しくなる。理由は、毎年同じだ。
図書館の階段に腰を下ろしていた駿が、朱音を見ると片手を上げた。
「おそいよ」
「風が気持ちよくて、ちょっと寄り道してた」
「秋は寄り道多くなるよな。俺も今日、学校来る途中に五回くらい立ち止まってた」
朱音は思わず笑った。
「五回はさすがに寄り道しすぎでしょ」
「いや、栗拾ってるおばあちゃん見つけてさ、なんか手伝ったりしてたら……まあこんな時間」
「優しいね」
「季節限定の優しさ」
駿の軽い言い方が、秋の空気に溶けていく。
朱音は鞄を置き、階段に座った。少し冷たい石の感触が、膝を通して伝わる。
「ねえ、今日どこ行く?」
「決めてない。でも、行きたいとこあんだろ」
「……うん。例の場所、行きたい」
駿は頷き、立ち上がった。
「じゃ、行こう。落ち葉ロード」
“落ち葉ロード”と勝手に名前をつけたのは、二人が中学生の頃。
図書館の裏に続く細い坂道は、秋になるとまるで金と赤の川のようになった。
踏むたびにさくりと音がして、どんなに暗い気分でも少しだけ上を向ける道。
朱音はその音が好きだった。
そして、駿と歩くその時間がいちばん好きだった。
朱音は足元を見ながら、ゆっくりと坂をのぼる。
駿も歩調を合わせていた。
「朱音ってさ、秋になると静かになるよな」
「そんなに?」
「なる。夏の時はもっと、こう……勝ち気だったじゃん」
「勝ち気って、なに?」
「じゃあ、元気?」
「……まあ、秋はね。ちょっとだけ苦手なんだ」
朱音は落ち葉をひとつ拾った。
深い赤の葉。端がわずかに乾いて、脆くなっている。
「悲しくなるわけじゃないんだけど、思い出すんだよね。いろんなこと」
「いろんなこと、って?」
朱音は頬に当たる風を感じながら、ゆっくりと答えた。
「季節が変わるときってさ、どうしても“終わる”って感じしない?」
「……する」
「夏が終わって、日が短くなって、冷たい空気が来て。何かが少しずつ遠くなる気がするの」
駿はポケットに手を入れ、少し考えるように視線を落とした。
「遠くなるのはさ」
「うん」
「朱音がちゃんと“去っていくもの”を見てるからじゃない?」
「去っていくもの?」
「大事なものほど、勝手に残るんじゃなくて、ちゃんと目で追わないといけないんだよ……そういうの、朱音は敏感だから」
朱音は驚いて駿を見上げた。
駿は、いつもの顔で風に前髪を揺らしていたけれど、声だけが少しだけ優しかった。
「駿って、たまにすごく大人みたいなこと言う」
「秋限定の知性」
朱音は吹き出し、風がまた二人の間を通り抜けた。
落ち葉がひとひら、朱音の肩に落ちる。
坂の頂上は、街を少し見下ろせる場所だった。
ベンチが一つだけあり、木々はもう半分以上色づいている。
朱音はベンチに腰を下ろして空を見た。
柔らかな夕暮れが近づいていて、雲は薄い金色を帯びている。
「ねえ、駿」
「んー?」
「秋ってさ。ほんとうは終わりの季節じゃなくて、“始まりの準備”なのかもしれないって、今日ふと思った」
「準備?」
「うん。いろんなものが静かになって、ゆっくりになって。これから来る冬とか、新しい気持ちとか、そういうのに備えてる感じがするの」
駿はその言葉に少し驚いたように目を瞬いた。
「……それ、いいな」
「でしょ」
「じゃあ秋は、朱音モードの季節だ」
「どういう意味」
「考えすぎてちょっと不安になって、でも前に進みたいって思ってる季節。まんま朱音」
「それ褒めてる?」
「褒めてるよ。俺、朱音のそういうところ好きだし」
朱音は一瞬、風より小さく呼吸を止めた。
駿は気づかずに続ける。
「ほら、秋が深くなるとさ。景色は静かになるけど、空気は澄んでくるだろ」
「うん」
「朱音もそれに似てる。落ち着いて見えるけど、中はすごくちゃんと動いてる。……俺、そういうやつと一緒にいたいんだよ」
言われて、朱音は胸の奥が温かくなるのを感じた。
それは夏の熱とは違い、冬の温もりとも違う。
秋だけの、柔らかい灯りのような温度。
「ねえ、駿」
「なんだよ」
「秋ってさ……悪くないね」
「うん。悪くない」
「ずっと苦手だったけど、今年はちょっと好きかもしれない」
「来年はもっと好きになるかもな」
「それは……駿のせい?」
「俺のせいにしとけよ」
朱音は肩を軽くぶつけ、駿は笑った。
風がまた、木々を揺らして通り過ぎる。
落ち葉が、静かな雨のように足元へ舞い降りた。
「帰ろっか」
「うん、そろそろ寒くなる」
「秋の夕方って、一番短いよな」
「でも、その短さ、ちょっと好き」
二人は並んで坂を下りる。
朱音の足元で落ち葉がまたさくりと鳴った。
その音が、今日はなぜかとても心地よい。
駿がふいに言った。
「来年もさ、ここ来ようぜ。秋になったら」
「うん。来よう」
「その時、朱音がまた落ち込んでたら俺が持ち上げるし、逆に俺がしょげてたら朱音が引っ張れよ」
「任せてよ。秋の私、強いんだから」
駿は笑い、さりげなく朱音の肩に自分の影を重ねた。
夕暮れの坂道にふたつの影が伸びて、やがて重なり、揺れながらゆるやかに動いていく。
秋の風は、冷たくも温かくもあり、寂しくも優しかった。
そして、今年の秋は朱音にとって、初めて“好き”と胸を張って言える秋になるのだと、静かに分かっていた。




