秋の気持ち
放課後の校庭には、夕陽の色がゆっくりと沈みこもうとしていた。
グラウンドの端の銀杏並木は、もうすっかり金色に染まっている。風が吹くたびに葉がはらりと落ち、そのたびに世界が静かに揺れるようだった。
部活の声は遠くで微かに響き、校舎の窓は赤く光っていた。
その前で、椎名はベンチに座ったまま靴紐をいじっていた。結び目をつくってはほどき、またつくってはほどく。指先は落ち着かず、目だけが空を眺めていた。
「椎名」
名前を呼ばれて顔を上げると、和奏が立っていた。
マフラーを首に巻き、両手を袖に隠している。ほおは少し赤く、吐く息は白い。
「遅くなってごめん。先生に呼ばれてて」
「別に。俺も今来たとこだし」
嘘だった。十分以上前に来ていた。
けれど、和奏はそれを指摘しなかった。ただ椎名の隣に座り、空を見上げた。
「秋の夕方って、なんか落ち着くね」
「落ち着くか?」
「うん。夏ほど騒がしくないし、冬ほど冷たくないし。ちょうど真ん中って感じする」
和奏は足を前に伸ばし、落ち葉をつま先で転がした。
カサリと控えめな音を立て、淡く色づいた葉は軽く舞い上がる。
「椎名は秋好き?」
「……正直、前は苦手だった」
「なんで?」
「なんか……終わりを感じるから」
和奏は横目で椎名の顔をのぞく。
椎名は少しうつむき、指先に目を落とした。
「中学のとき、サッカーの大会が秋だったんだよ。地区大会。そこで膝をやって、結局手術して……それでレギュラーもなくなって、結局そのまま部活やめた」
「知ってる」
「聞いてた?」
「うん。二年の時、クラス違ったけど、噂になってたもん」
和奏の声は静かで、やさしかった。
椎名は短く息を吐いた。
「秋が来るたびに思い出す。負けた試合とか、自分の声が届かなかった悔しさとか。できることが減っていく感じ」
「……そっか」
「だから苦手だった。なにかが終わる季節って思ってた」
和奏はそっと落ち葉を拾い、掌で転がした。
葉は薄く、指で触れるとすぐ壊れそうだった。
「でもさ」
和奏が静かに言った。
「その葉が落ちるのって、次に新しいのが生えるためなんだよね」
椎名が顔を上げると、和奏は少し笑っていた。
「終わるためじゃなくて、始めるために落ちるんだよ。多分」
「……そんなきれいな話じゃないよ」
「じゃあ、きれいじゃない話にする?」
「どういう」
「落ち葉ってさ、踏むと気持ちいいじゃん」
和奏は足を振り上げ、足元の葉を踏んだ。さくり、と音がして、葉は細かく砕ける。
「終わったものを踏みしめて歩く感じ。それも悪くなくない?」
椎名は思わず吹き出した。
「雑な解釈だな」
「雑でもいいじゃん。歩ければ」
金色の葉がまたひとつ、椎名の肩に落ちた。
椎名はそれを指先につまみ、じっと見た。光に透ける葉脈は細く、繊細で、けれど確かだった。
「椎名、新しい部活の見学行ったんでしょ?」
「ああ。まあ、まだ迷ってるけど」
「写真部だよね。いいじゃん。椎名、空の写真撮るのうまいし」
「たまたまスマホで撮ってただけだろ」
「でも、秋空とか好きでしょ。いつも見てるの知ってるよ」
椎名は視線をそらした。
和奏はベンチから立ち上がり、椎名に向き直った。
「私、椎名が秋を嫌いなままで終わるの嫌だ」
その声は少し強かった。
「秋ってさ、始まる季節にもなれると思うよ。誰かと一緒なら、特に」
「誰かって?」
「……言わせる?」
和奏の頬が赤くなったのは、風のせいだけではなかった。
椎名は立ち上がり、和奏の隣に並んだ。
「秋、嫌いじゃなくなるかもしれない」
「かもしれない、で?」
「いや、多分、好きになる」
和奏は、息を飲んで笑った。
風が吹き、銀杏の葉がいっせいに舞い上がった。
金色の小さな雨のように、二人の間を包む。
「じゃあ、歩こ」
「どこに」
「秋の演出に乗っかるの。落ち葉踏むの、手伝って」
和奏が軽く手を差し出す。
椎名はためらいながらも、その手を取った。
指先は冷たく、でもすぐに温度が馴染んでいく。
さくり。
さくり。
ふたりの歩幅で、落ち葉の音が重なる。
「椎名」
「ん」
「来年も、ここ歩こうね」
「再来年も歩くか」
「じゃあずっと歩こう」
椎名は照れ隠しに顔をそむけ、和奏は小さく笑った。
夕陽は沈みかけ、空は赤く、やがて冷たい夜が来る。
でも、今だけは。
秋は終わりではなく、始まりの匂いをしている。
落ち葉を踏むたびに、もう一歩先へ進める気がしていた。
椎名は思った。
秋は、悪くない。
いや。
今年の秋は、きっと忘れられない。




