空に浮かぶレモネード
風鈴の音が涼やかに揺れていた。
夏の日差しは眩しく、まるで空がすべてを笑っているようだった。
中学最後の夏休み、海沿いの小さな町に引っ越してきたばかりの春樹は、まだこの町に馴染めず、誰とも話せずにいた。
そんなある日、町はずれの坂道で、自転車に乗った少女に出会う。
「ねえ、レモネード、好き?」
彼女は不思議な子だった。
白い麦わら帽子に、大きな瞳。名前は夏海という。
春樹ぐうなずくと、彼女は笑って言った。
「じゃあ、ついてきて。いい場所、教えてあげる」
彼女に着いていくと、高台にある古い展望台にたどり着いた。
錆びた手すりと、ガラスの割れた自販機。
だけど、そこから見える景色は、町と海と空が一枚の絵みたいに溶けていて、美しかった。
夏海は、自分で作ったというレモネードを差し出した。
レモンの香りが鼻をくすぐる。
「ねえ、ここの空って、レモネードみたいじゃない?」
「……どういうこと?」
「透明で、ちょっとすっぱくて、でも最後に甘い味が残るの」
春樹はその言葉に、少しだけ笑った。
それから、二人は毎日のように展望台で会った。夏海は町のことを教えてくれたり、星の話をしたり、花火を持ってきたり。
春樹は、気づけばその時間を心待ちにしていた。
夏海と話すうちに、引っ越してきたばかりの心細さや、言葉にできなかった不安が少しずつ溶けていくのを感じていた。
でも、ある日、展望台に夏海は来なかった。
次の日も、その次の日も。春樹はレモネードを持って、一人で待ち続けた。
不安になった春樹は町の人たちに夏海を見かけなかったか聞いてみたが、白い麦わら帽子の少女を見かけた人はいなかった。
居ても立っても居られず、春樹は図書館に行って事故がなかったか新聞記事を調べた。
ここ最近この町での事故はなかったが、なんとなく探すのをやめられずに調べ続けた。
そして、一枚の古い新聞記事にたどり着いた。
「海沿いの坂道で事故。少女が意識不明のまま……」
そこには、あの麦わら帽子の少女の写真が載っていた。
日付は、五年前の夏。
春樹は走った。汗をかきながら、風を切って、あの坂道を登った。
展望台に着くと、そこには夏海がいた。夕暮れの光を背にして、いつもと同じように微笑んでいた。
「ごめんね、言えなかった。わたし、ほんとはここにずっといるわけじゃないんだ」
「じゃあ、なんで……」
「最後の夏、誰かに思い出してほしかっただけ。ちゃんと誰かと夏を過ごして、空のレモネードを分け合いたかったの」
春樹は黙って、持ってきたレモネードを夏海に差し出した。
夏海はそれを受け取って、一口飲むと、やわらかく笑った。
「ちゃんと、すっぱくて甘いね」
そして、次の瞬間、彼女は風に溶けるようにふわりと消えた。
それから、何年も経っても夏になると春樹は、展望台でレモネードを飲む。
そして、空を見上げて思うのだ。
「やっぱり、空って、レモネードみたいだ」
ほんの少しの切なさと、たっぷりのやさしさが混じった、あの夏の味を、今でも忘れていない。
こうしていると夏海の声が聞こえる気がする。
「ねえ、ここの空って、レモネードみたいじゃない?」




