神父とマチルダ
「神父さま!」
王都で一番目立っている塔のある大聖堂。
その礼拝堂に、ピンクブラウンの髪の少女が頬を赤く染めながら飛び込んでいった。
丁度、信者である老婦人と話をしていた長身の神父は、騒々しく駆け込んできた少女の方に顔を向けた。
その目に少女を咎めるような色はなく、優しい笑みを浮かべていた。
慌てたのは少女の方で、すぐさま不作法を詫び頭を下げた。
「お話の邪魔をして申し訳ありません!」
「いいのよ、マチルダちゃん。神父様との話は終わって帰る所だったから」
上品な印象の老婦人は、微笑みを浮かべながら椅子から立ち上がると、神父に向けて頭を下げた。
「では、また来週まいりますので」
「はい。お待ちしてます。あまり無理はなさらないように」
「ええ、ええ。わかっていますよ」
老婦人はニッコリ笑って、礼拝堂を出て行った。
立ち去る後ろ姿を見送ると、神父はマチルダを見た。
「どうしたのかな、マチルダ。今日は来る日ではなかったと思うが。何かあったのか?」
マチルダは、興奮した表情で神父の方へ駆け寄ると、彼の顔をまっすぐ見つめた。
白髪混じりの黒髪の神父は、四十代後半の男だった。
長身で顔立ちが整っている上に独身ということで、彼のファンだという女性の信者は多い。
信者でなくても、彼の落ち着いた優しい声に惹かれる者は老若男女に関わらず多くいた。
「神父様!今日、天使様とお話しをしたの!」
「天使様?ああ、前に聞いた、隣国から留学してきたという伯爵令嬢のことだね」
「そうよ!黄金のような髪に透き通るような青い瞳の天使様!同じクラスになって、もう夢みたいだった!その天使様と今日初めて言葉をかわしたの。しかも、明日一緒に図書室に行く約束もしたのよ!」
もう死んでもいいと興奮する少女に対し、神父はさすがに苦笑を浮かべる。
「それは良かったね、マチルダ。いい友達同士になれたら良いね」
マチルダは神父の言葉に、頬を赤くしたまま大きく頷いた。
「神父様!アリステア様は、本当に本当に綺麗な方なのよ!」
「アリステア様か」
「アリステア・エヴァンス様よ、神父様!」
ピクッと神父の眉が動く。
エヴァンス……伯爵────
そうか……と神父は呟くと、ふっと小さく息をついた。
◇◇◇
満足するまで語り続けたマチルダを見送った後、神父は二つ並んだ扉の一方を開けて中に入った。部屋の中は狭くてガランとしており、ただ一つ、壁に向かって椅子が置かれているだけだった。
白い壁には小さな小窓があり、椅子に腰掛けた神父は、ゆっくりとその小窓を開けた。
「お待たせしましたね」
いえ……と壁の向こうで同じように座っていた男が小さく答えた。
声の感じは四十才前後というところで、小窓からは神父と向き合う男の首もとだけが見えていた。
「何も告解室でなくとも、私の部屋でも話ができるのですよ、ジェフリーさん」
「いいえ、尊い神父様の部屋に入るなど、とんでもないことです。俺のような罪人は、ここで十分です」
ジェフリーの言葉に、神父は悲しげに眉をひそめた。
「ジェフリーさん──人は誰でもなんらかの罪を抱えているものですよ。自分だけだと思ってはいけません。この私も、たとえ死を迎えても許されない罪を犯しています。それは一生消えることのない重い罪──私も罪人なのです。きっと地獄へ落ちるでしょう」
いいえ!とジェフリーは首を大きく振った。
「神父様はこの俺を救ってくれたではないですか!俺なんか──復讐のために人を殺している外道です。地獄に落ちると言うなら俺の方ですよ……」
「ジェフリーさん……罪を犯したと思うなら、生きている限り、それを背負っていくことも必要なことなのですよ。諦めて自ら命を絶つのは罪。忘却も罪なのです。どんなに苦しくても、逃げずに生き続けましょう」
「神父様……」
「ところでジェフリーさん。マチルダに会う気持ちには、まだなりませんか?」
「あいつにとって、俺は死んだ人間です。死んだ人間が、生きている人間に会えるわけはないですよ」
「しかし、彼女にとって、あなたは唯一の身内でしょう」
「俺は、陰からあいつを見守るだけでいいんです。あいつが笑って、幸せになってくれさえすれば、それで満足です」
「そうですか────」
「それより、なんだったんです?あいつ、今日は来る日じゃなかったでしょう」
だから、ジェフリーはこの日を選んでやってきたというのに。
「憧れの人と話ができたことを知らせに来たんですよ」
神父の言葉に、ジェフリーは、へ?と目を丸くした。
「憧れの人って……あいつ、もう色気づいたんですか!」
神父は苦笑いを浮かべた。
「違いますよ。彼女の憧れの人は、隣国から留学してきたご令嬢です」
「ご令嬢……」
なんだ、とジェフリーは俯いて息を吐き出した。そして、ふと思い出したように顔を上げた。
「留学してきた令嬢って、もしかして………あの伯爵令嬢ですか?」
ええ、と神父は頷いた。
「シャリエフ王国の、エヴァンス伯爵令嬢です」
「………」
ああ……と、ジェフリーは顔を歪めた。
アリステア……エヴァンス伯爵令嬢────
以前ジェフリーは、探し人の情報を得るためにシャリエフ王国に入ったことがあった。
そこで耳に入ってきた情報の一つが、王族のしでかした醜聞だった。
シャリエフ王国の第二王子が、一人の伯爵令嬢の虚言にのせられて二人の貴族令嬢を断罪したという話だ。
学園内で起こったことだったせいか、殆ど外に漏れることはなかったようだが。
「まさか、冤罪で王都を追放となり、そのまま帝国に向かった筈の伯爵令嬢が、このレガールに留学してくるとは──本当に驚きですよ」
神父は目を伏せた。
「そうですね……当時、彼女はまだ14歳の少女でしたから、きっと辛い思いをしたことでしょう。ですが、マチルダの話では、彼女はとても明るい笑顔を見せる優しい感じの令嬢だそうです」
「帝国で心の傷が癒やされたんだったら、いいんですけど」
ええ、と神父はジェフリーの言葉に頷く。
冤罪をかけられ学園を追い出された貴族の令嬢。
彼女が何故帝国に向かったのかはわからないが、今、明るい笑顔を浮かべられているのなら喜ばしいことだ。
「実は、そのエヴァンス伯爵令嬢のことなんですが、少し気になる事が」
「気になること、ですか?」
「これは最近になって入ってきた情報なんですが──帝国のとある貴き御方が、そのエヴァンス伯爵令嬢に興味を持ったらしくて、いろいろ調べているようだと」
「帝国の貴き御方?皇帝の身内ですか」
「え、まあ……降嫁してるので今は伯爵夫人ですが。オリビア・ローザ・フォン・フォルツ伯爵夫人です。噂を聞くだけで勿論会ったことはないんですが。確かもう、60を過ぎたご婦人かと」
「その方が、アリステア嬢を調べているんですか?」
ジェフリーは、コクと頷く。
「彼女が帝国で一年以上も、どのような生活をしていたかは、はっきりしないんですが──帝国に入ってから半年ほど、シュヴァルツ公爵の邸で、公爵の一人娘であるシャロン嬢の家庭教師をしていたのだけは確認が取れています」
「シュヴァルツ公爵のもとでか、もしくは、そこを出てから出会った可能性が?」
「アリステア・エヴァンスがシュヴァルツ公爵邸を出て、どこに行ったかがわかれば調べる手段もあるんですが、今の所何も情報はなく」
「そうですか。しかし、気になってはいるんですね」
「ええ……アリステア・エヴァンスのことを調べているのが、他にもいるようなので、それがちょっと気になります」
ふむ……と、神父は考えるように拳を顎に当てた。
「ジェフリーさん。帝国は初めてだろうアリステア嬢が、何故帝国のシュヴァルツ公爵の元へ向かったのかご存知ですか?」
さあ?とジェフリーは首を傾げる。
「俺も何故なのかと思ったんですけどね。エヴァンス伯爵とはなんの繋がりもないですし。だいたい、シュヴァルツ公爵家の現当主であるアロイス・フォン・シュヴァルツは謎が多くて……しかも、皇帝も一目置くくらいの男で、俺程度ではとても近づけませんよ。噂だけでも、相当に恐ろしい人物ですから」
「アロイス?」
神父は眉をひそめた。
「シュヴァルツ公爵はアロイスというのですか。年齢は?」
「年齢……そうですね──実は、なんでか公爵の年ははっきりしないんですが、多分、40前後というのは間違いないかと」
「40前後……そうですか」
神父は、フッと息を吐いた。
「何か?」
「ああ、かつて知っていた方が同じ名前だったもので。40歳前後なら違いますね。あの方は、私より年上でしたから」
「神父様より年上なら別人ですね」
「ジェフリーさん。降嫁された伯爵夫人の他にもアリステア嬢を調べている者がいるということですが、どこの誰なのかわかっているんですか?」
「はい。目的はまだわかりませんが」
「その目的を調べてもらうことは、可能ですか」
もちろん!とジェフリーは頷いた。
「任せてください、神父様」




