最後の戦い 4
1年前に出版された小説本では完結していたのですが、バタバタしておりこちらでの更新が遅くなってすみません~!;;
40万部を突破したコミックス4巻は本日発売です♡
『僕が好きなのはエルセですよ』
『僕は女性として、あなたのことが好きですから』
──シルヴィアはずっと、ルフィノのことが好きだった。
神殿に入った日に一目惚れし、それからは彼の人柄など全てに惹かれたのだと言っていた。
私は友人として何度も話を聞いていたし、告白された時には罪悪感を覚えた記憶がある。
告白をされた後はシルヴィアにどう話すべきか悩みながらも、仕事の予定が重なって、その日は何も伝えられないまま終わってしまった。
そして翌日の午前中、フェリクスに魔法を教えようと向かった先で私は命を落としたのだ。
(シルヴィアはもしかすると、あの場面を見ていたのかもしれない)
ルフィノがシルヴィアに話したとは思えないし、そうとしか考えられない。
「愚かな女だよ。愛する男が他の女を愛していると知っただけで、甘い言葉をいくつか囁いてやったら簡単に誘いに乗った」
「…………っ」
やはり私がきっかけだったのだと、心底泣きたくなった。
「私の、せいで……」
あれからすぐにシルヴィアの元へ行っていたら、何かが変わったのだろうか。けれど真っ先に「告白された」と告げたところで、シルヴィアの心が変わるとは思えなかった。
私はルフィノに対して恋心を抱いていなかったし、彼女もそのことを知っていたのだから。
『エルセが僕を異性として見ていないことは分かっていますし、振り向いてもらえるまでいつまでも待ちます』
『きっと僕の人生で、誰かを好きになるのはこれが最初で最後ですから』
それにルフィノに返事をする前に友人に「彼の気持ちに応えるつもりはない」と話すのは、ルフィノの気持ちを無下にするようで、できそうになかった。
どうしようもなかったのだと理解していてもやり切れず、罪悪感が込み上げてくる。
ルフィノだって悪くはないし、どんな事情があったとしても、聖女という立場でありながら魔物の誘いに乗ったシルヴィアに非はある。
そして諸悪の根源は、間違いなく目の前の魔物だった。
「……絶対に許さない」
「ふん、お前に許される必要などないわ」
魔物は軽く鼻を鳴らすと、こちらに向けて手をかざした。
「痛くて苦しくて頭がどうにかなりそうなんだよ! 早くお前の魔力をよこせ!」
そして一切の容赦なく、濃い瘴気をまとった攻撃を繰り出してくる。私はロッドを掲げ、自身の周りに結界を張った。
同時に浄化魔法を広範囲に展開し、この部屋を覆う。
「ぐあああっ……」
魔物も咄嗟に結界を張ったものの、こちらの方が一歩早かったことで猛毒であろう浄化魔法を全身に浴び、苦しみながらその場に膝をつく。
──魔力量は同じだとしても、私とシルヴィア、魔物には大きな違いがある。
圧倒的に私の方が魔法の扱いに長けているということだ。
(普通に戦って、負けるはずがないわ)
ティアナとして授かった膨大な魔力と、大聖女としての頃の知識が私を支えてくれていた。
「なぜ……お前が……こんな……」
この魔物も、知能は低くない。だからこそ私が短期間でこれほどの魔法を扱えるはずがないと、理解しているのだろう。
やがて魔物は袖で口元を荒々しく拭い、シルヴィアの真っ赤な唇で弧を描いた。
「……もしやお前、エルセ・リースの生まれ変わりか?」
突然の問いに、息を呑む。
「なぜそう思ったの?」
「この身体の記憶がそう言っているんだ。これほど完璧に聖属性魔法を使える人物など、この世で一人しかいないとな。それに魔法の端々にはお前の癖が出ているようだ」
「…………っ」
それは間違いなくシルヴィアの記憶によるもので、目の前にいるのは魔物でもあり、友人のシルヴィアでもあるのだと思い知らされていた。
「っく……あはは、あははははっ! 皮肉なこともあるものだな! 大聖女だったお前が生まれ変わって、無能だと言われて長年虐げられていたとは」
楽しげに腹を抱えて笑う魔物に、これ以上ないほどの怒りが込み上げてくる。
何がおかしいのか、理解できるはずがない。
「記憶を取り戻したのなら、あれほどの呪いを五つも解いたことにも納得がいく」
「お前の目的は何?」
「私を封印した帝国を滅ぼし、何もかもを思うがままにすることだ。最も憎いあの皇帝と聖女がとっくに死んでいたことだけが心残りだったがな」
だからバルトルト墳墓を呪い、死体を玩具のように操ってやった、形も残らないほど切り捨ててくれればよかったものを、と嘲笑うように話す魔物に激しい怒りが込み上げてくる。
(全てがこの魔物にとって、復讐だったんだわ)
そして後半はもう、シルヴィアの声ではなかった。彼女の口から発されたはずなのに、低くて地を這うような悍しい声に、ぞくりと鳥肌が立つ。
「この女とお前の魔力を使ってこの国で地位を築き上げ、帝国は地に落ちたというのに」
本来は帝国が弱りきったところで王国に攻め滅ぼさせるつもりだった、全てが無に帰したと魔物は忌々しげに吐き捨てる。
「だが、お前の魔力さえあれば何度でもやり直せるさ。今度は国外に捨てたりせず、地下牢にでも繋ぎ、死ぬまで私に魔力を供給させてやろう」
「そんなことができるとでも?」
「はっ、私がこれまで何もしてこなかったと思うのか?」
そして次の瞬間、全身が鉛になったかのように重たくなり、私はその場に膝をついた。
「……っう……」
心臓の辺りを抑える私を見て、魔物は可笑しいと言わんばかりに高笑いをする。
「ここで十五年前、当時二歳だったお前の魔力を奪う儀式をしたんだ。この部屋自体が魔法陣になっていて、足を踏み入れた時点でもう儀式は始まっている。お前の負けだ」
部屋を埋め尽くす濃い瘴気により、部屋を覆う魔法陣の気配に気付けなかったのだろう。
二歳の頃の記憶もなく、当時どんな方法で魔力を奪われたのかも私は知らなかった。
──魔法というのは全く同じものである場合、一度目よりも二度目の方が対象への効果は跳ね上がり、その過程も短縮される。
このままでは再び私の魔力は奪われてしまうと、焦燥感が込み上げてくる。
「ぐっ……」
シルヴィアの右手が黒く太い蔦のように変化し、首に巻きつく。全身から一気に魔力を吸い上げられる感覚と激痛に耐えきれず、意識が飛びそうになる。
そんな私の中には苦しさや怒りだけでなく、友人であるシルヴィアがこんな道を選ぶことしかできなかった悲しみも広がっていく。
「……シルヴィア……どう、して……」
震える声でそう呟き、エメラルドの瞳へ視線を向けた途端、ほんの一瞬だけ首を締められる力が弱まった。
次の瞬間にはまた力が込められ、口からは呻き声が漏れる。何が起きたのか理解できなかったらしい魔物は眉根を寄せていた。
(──まさか)
ひとつの予感を抱くのと同時に、聞こえてきたのは聞き間違えるはずのない彼の声だった。
「ティアナ!」
「ぐああっ……!」
同時に首を絞められていた腕が緩み、彼が切り落としてくれたからだと気付く。
「げほっ……ごほ、っ……」
一気に空気を肺に取り込み、咳き込む私の元へフェリクスは駆けてくる。
背中をそっと撫でてくれ、私の顔を覗き込んだ彼は悲しげな、けれど怒りの混じった表情を浮かべていた。
「なぜ一人で来た!」
「一人じゃなきゃ、シルヴィアは絶対に会おうとしないもの」
長年虐げられていたせいで、今の彼女の性格も理解しているつもりだった。
フェリクスに支えられながら、ゆっくりと立ち上がる。
自身に手のひらを向け、痛む首元に治癒魔法をかけていく。既に魔力はいくらか奪われ、今も奪われて続けているものの、まだ残量は十分にあるし、戦える。
「それに、必ずあなたが来てくれると思ったから」
私はここに来るまで、フェリクスがここまで辿り着けるように細工をしておいた。
彼なら絶対に私がいなくなったことに気が付くだろうし、絶対に私を探して来てくれると信じていたからだ。
「あなたがいつも私に追跡魔法をつけていることだって、知っているんだから」
そう言って笑顔を向けると、フェリクスは少し気まずそうな顔をする。
私がいつどこにいるか把握する魔法を、常にかけていたことには気付いていた。つい最近始まったことではない、ということも。
「……すまない」
「お説教は後よ」
気が付いていながら何も言わなかった私も私だけれど、こんなところで役に立った以上、文句も言えそうになかった。
「フェリクス」
魔物が回復を図っている隙に、フェリクスの耳元に口を寄せた。あの魔物を倒す方法はもう、彼がここに来ることを見越した時点で脳内に描いてある。
それを伝えると、両手できつく肩を掴まれた。
「そんなこと、できるはずがないだろう!」
きつく肩を掴まれ、止められる。もちろんフェリクスに反対されることは予想済みだった。
それでも私に、自身の考えを曲げる気はなかった。
「それに、フェリクスになら私の命を預けられるもの」
はっきりとそう伝えると、フェリクスは両目を見開く。
「……あなたは本当に、ずるい人だ」
そして眉尻を下げて笑うと、私の頬に触れた。透き通ったアイスブルーの瞳に、まっすぐに見つめられる。
「絶対に守ってみせるから」
「ええ、ありがとう」
怖くないと言えば、嘘になる。
それでもフェリクスのたった一言だけで、不安も恐怖心も全てなくなっていく。
(私は大切な帝国を──愛する人達を守りたい)
きっとそのために私はもう一度生を受けることができたのだと、今は思う。
「おや、懐かしい顔だな。だがお前一人が現れたところで、もうどうにもならないさ」
「──お前だけは絶対に許すものか」
嘲るように笑う魔物にそう言ったフェリクスが地面を蹴り、剣と魔法を組み合わせて鋭く早い攻撃を放つ。そこでできた一瞬の隙に私は魔物に触れると、その腕を自身の腹部に刺した。
「……っう……」
「お前……何を……」
私が今しているのは、自殺行為だ。
魔物を自身に取り込み同化することで、深い部分まで魔力を浄化することができる。けれど押し負けた場合、私が相手に取り込まれることとなるだろう。
──全ては魔物に取り込まれた、シルヴィアを救うためだ。
先ほど名前を呼んだ時、一瞬だけ力が弱まったのは彼女の意識に届いたからであり、それが事実なら彼女を救うこともできるのではないかと思った。
それにこの方法なら、同時に彼女の身体を蝕む呪い返しも浄化できるはず。
(きっと、誰もが甘いと思うでしょうね)
たとえ偽善者だと言われたって、愚かだと言われたって、私の気持ちは変わらない。
このままシルヴィアを魔物もろとも殺してしまえば、私はこの先一生、罪悪感に囚われ続けるだろう。周りがいくら「悪くない」と言ってくれたとしても、私はそういう人間だった。
だからこそこれは、私自身のためでもある。
「それに、お前にとっては……っこれが……一番……苦しい、死に方でしょう……?」
「ぐああああ! やめろ……やめ、てくれ……!」
魔物にとって聖女の魔力というのは、毒のようなものだ。
内部から全てを溶かし浄化されている今この状況は、地獄のような苦しみに違いない。
シルヴィアの顔が苦痛に歪められ、断末魔が響き渡る。
(それでも、こんなものじゃ足りない)
この魔物によって帝国に呪いが広がり、大勢の人が苦しみ命を落としていったのだから。
どれほど苦しめたって、何度殺したって足りないくらいに憎くて仕方がない。
「くっ……う……ああ……」
魔物の痛みや苦しみの一部が、私にも伝わってくる。私の身体と混ざり始めているのだろう。
けれど、同時に浄化も進んでいるのを感じていた。
(あと少しで、シルヴィアを引きずり出せるかもしれない)
目を閉じて苦しみと痛みに耐えながら、浄化をしていく。やはりこの魔物は私が知る中でも最も強い個体であること、そして「魔力を奪う」という能力により数多の魔物や人間の魔力が混ざっていることで、浄化魔法が通りにくい。
「……あああっ……っぐあああ……!」
浄化魔法を魔力量で押し通すたび、全身を焼かれたような痛みが走る。堪え切れなくなり、口からは自分のものとは思えない呻き声が漏れた。
「ティアナ! もうやめてくれ!」
必死に唇を噛み締めて堪えていると、フェリクスが駆け寄ってくる。剣を手にした彼は今にも魔物を殺してしまいそうで、必死に声を張り上げた。
「まだよ! っ殺さ、ないで……!」
「…………っ」
ここで魔物を殺してしまえば、全てが無に帰す。
本当に後少しだと、意識が飛ばないように堪え続ける。フェリクスはそんな私を見て、きつく唇を噛んで手出しをするのを耐えてくれていた。
その間も魔物は苦しみながら抵抗を続けており、私の方へ向かってきたフェリクスが足のひとつを切り落としてくれた。
(このままだと、もう……)
後少しが遠くて苦しくてどうしようもなくて、私自身の限界も近いことを悟る。
その上、これ以上抵抗されては殺すしかなくなってしまう。
「シルヴィア! いい加減、しっかりしなさい!」
私が知る彼女は、強くてまっすぐな美しい聖女だった。
こんな魔物に負けるなという気持ちを込めて、何度も名前を呼ぶ。彼女の意識さえ戻れば、暴れることもなくなるはずだと信じて。
「シルヴィア! お願い、だから……っ」
「はっ……何を、無駄なことを──っ!?」
もう声も掠れてきた私を魔物が嘲笑った瞬間、その身体がびくりと跳ねた。
「ぐっ……やめろ……! グアア……!」
まるで何かに抵抗するように、頭を抱えて苦しみ出す。
何が起きているのかすぐに察した私は、もう一度、最後に声を上げる。
「シルヴィア……っ!」
その瞬間、ぴたりと魔物の動きが収まった。一瞬、命を落としたのかと不安になったものの、まだ魔力の流れは感じ取れる。
「……エルセ、さま……」
そして少しの後、静まり返ったこの場に響いたのは、か細くて柔らかな声だった。
そのたった一言だけで、分かってしまう。
「シル、ヴィア……」
「……ごめ、なさ……っ……」
身体の意識が魔物から彼女に戻ったのだと理解した途端、視界が揺れた。
先程までのきつく釣り上がった目付きとは違い、悲しげに細められた両目からは、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ落ちていく。
彼女にも意識を奪われていた間の記憶があったのかもしれないと、悲痛な表情から悟った。
「……う、あ……あっ……!」
けれどすぐにその顔は、苦痛に染まる。魔物と同化していたシルヴィアの苦しみは、私とは比べ物にないだろう。
「あと、少しだから、どうか耐えて……!」
なおも浄化を続けながらそう告げると、シルヴィアは小さく左右に首を振った。
もう声も出せない彼女が何をしようとしているのか、魔力の流れから気付いてしまう。自責の念から、このまま自ら命を絶つつもりなのだろう。
(そんなこと、させるものですか……!)
絶対に助けてみせると、体内に残る全ての魔力を注ぎ込む。魔力に耐え切れなくなった身体が軋み、咳き込んだ口からは大量の血が溢れた。
けれどやがて体の奥で何かが弾けるような感覚がして、視界がぐらりと傾く。
「ティアナ!」
意識が遠のいていく中で最後に見えたのは、泣き出しそうな顔をしたフェリクスだった。




