契約とこれからと 1
私は本日何度目か分からない溜め息を吐くと、窓の外へ視線を向けた。
フェリクスのもとを訪れ「聞きたくない」と拒絶されてから、もう一週間が経つ。
あの後も食事の際に顔を合わせているけれど、その件についてはお互いに触れず、当たり障りのない会話をする気まずい時間を過ごしている。
とはいえ、再びあの話を切り出すこともできず、どうしたら良いのかと悩み続けていた。
「フェリクス様と喧嘩しちゃったんですか?」
「……喧嘩って言えるのかは分からないんだけれど」
「やっぱりあれが原因ですよね、この間の」
天気の良い昼下がり、王城の庭園のガゼボにて一緒にお茶をしているイザベラは、ルフィノから話を聞いたのか心当たりがあるようだった。
一人で悩んでいても答えは出そうにないし、私からもイザベラに今の状況を説明して相談に乗ってもらうことにする。そして私達の結婚が元々契約の上に成り立っていたものであることも、ここで伝えた。
「別に浮気をしたわけでも、ティアナ様がルフィノ様に異性として好意を抱いているわけでもないんだから、そこはフェリクス様がきちんと受け止めるべきだと私は思います」
私の話を聞き終えたイザベラは、ティーカップ片手にそう言った。
だからフェリクス側に話を聞く覚悟ができた時に話すしかないだろう、とも。
「でも、フェリクス様の気持ちも分かるんですよね」
「そうなの?」
「はい。私も子どもながらにエルセ様とルフィノ様は特別な関係なんだろうなって、羨ましくて寂しい思いを胸に抱えていましたから。フェリクス様もきっと同じ──いえ、私とは比べ物にならないくらいそう思っていたと思います」
けれど「特別な関係」というのは恋愛感情ではないこともきちんと分かっていると、イザベラは付け加えた。
「今思うと子どもと大人の差、というのも大きかったんでしょうね」
肩を竦めて笑うと、イザベラはカップをソーサーに置き、私の手を取った。
「まあとにかく、ティアナ様は気にせずにフェリクス様が話を聞いてくれるのを待つくらいで良いと思いま──ううん、よくないかも」
「ええっ」
イザベラからのアドバイスがまとまったと思いきや、突然の否定に戸惑ってしまう。
彼女はきょろきょろと辺りを見回した後、こそっと私の耳元に口を寄せた。
「実は昨日、聞いてしまったんです。帝国の大臣達が側妃の話をしていたのを」
「……側妃?」
思わず聞き返してしまった私に、イザベラはこくりと頷く。
「帝国の『呪い』が解かれ始めたことで、再び帝国がこの大陸で最も富んだ国になるのではという考えを持っているようです。そしてそれには、男児の跡継ぎが必要だと」
「…………」
そこまで聞いた私は、その話の続きが読めてしまった。
帝国には世継ぎが必要ではあるものの、帝国唯一の聖女であり、皇妃としての仕事もあり常に多忙な私が、妊娠や出産を通して仕事ができなくなってしまうのは困るのだろう。
全ての「呪い」が解けた後も、帝国の民が完全に安心するとは限らない。また同じことが起きるのではないかと、不安になることもあるはず。
そこで私という聖女がいざという時に使い物にならなければ困る、という考えに違いない。だからこそ、世継ぎを産むためだけの側妃が必要だと考えたのだろう。
「ですから今お二人が人前で少しギスギスした様子を見せてしまって、つけ込まれるようなことだけは避けた方が良いかと」
イザベラの言うことはもっともで、頷くほかない。
「フェリクス様はそんなことを言い出した人間のことを半殺しにしてしまいそうですし、気にする必要は絶対にないのに」
私が暗い表情になってしまったせいか、イザベラは慌てたようにそう付け加える。
「……それは分かっているんだけど、その、想像したらすごく嫌で」
元々フェリクスは血縁者の中から世継ぎを選ぶと言っていた。けれど彼ほどの才能に溢れた皇帝の子を望むのも当然で、大臣たちの判断も理解できる。本来、大国の皇帝ならば側妃が複数いるのは当然のことだ。
それでもフェリクスが私以外の妃を迎えて、触れることをつい想像してしまい、胸の奥が痛いくらいに締め付けられた。
そんな気持ちを吐露すると、イザベラは「ふふっ」と楽しげに微笑んだ。
「ティアナ様は本当にフェリクス様のことをお慕いしているんですね」
「……そう見える?」
「だって全く心配しなくていいことなのに、不安になって傷付いて悲しい顔をするなんて、そんなのすっごくフェリクス様のことが好きじゃないですか」
イザベラの言葉が胸の中にすとんと落ちて、改めてフェリクスへの気持ちを思い知った。
同時に恋による不安は余裕を失ってしまうのだと、実感する。そしてフェリクスがあの日、ルフィノとの話を聞いてくれなかったのも不安によるものだったに違いない。
フェリクスから常に好意を伝えられている私ですら、不安になったり嫉妬したりしてしまうのだ。はっきり「好き」と言葉にしていない中で、そんな気持ちを抱くのは当然だった。
だからこそ、私がきちんと思いの丈を告げれば変わるはず。
「ありがとう、イザベラ。私、フェリクスに告白するわ」
本当は全ての「呪い」を解いてからにした方がいいだとか、色々考えていた。
それでも必ず明日が来るとは限らないことを、私はよく知っている。伝えられるうちに伝えるべきだと思い、きつく両手を握りしめた。
「まあ! フェリクス様も大喜びすると思います」
応援している、結果報告も待っているとはしゃぐイザベラに背中を押された私は、今夜フェリクスに「好き」と伝えることを固く誓ったのだった。




