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片翼の鳥~出会いと別れの物語~  作者: 那周 ノン
第三幕【毋望之禍】
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第七十九節 ハルへの手紙

「ビアンカ、なにしているの?」


 船室に据え置かれえる机の席に腰を掛けているビアンカを目にして、ヒロが問いを投げ掛けた。その声掛けにビアンカは落としていた(こうべ)をゆるりと上げ、(かたわ)らまで寄ってきたヒロに翡翠色の瞳を向ける。


「手紙を書いていたのよ。あなたが群島の本国宛てに書くのを見て、ハルに手紙を書かなくっちゃって思い出してね」


「ああ、なるほど」


 ヒロが視線を落とした机の上。そこに広げられる薄い桃色の花の絵が縁取られた少女らしい便箋には、整った文字が羅列されている。ちらっと見た限り文書の言い回しも丁寧なもので、ヒロは感心してしまう。

 そして(いささ)か胸に抱いたのは、ハルに対しての羨みの感情。だが、そうした自身の心情に気付いた途端、ヒロは嘲笑の思いを覚えた。


「……えっと、なにを書く感じ?」


 気を改めてヒロが聞けば彼の胸中に気付くはずも無く、ビアンカは照れくさそうな笑みを浮かべた。


「ヒロに出会ったことは書いたのよ。あなたはハルにとって、剣術のお師匠様だっていうし。――あとは“ニライ・カナイ”に行ったことと、群島に向かう報告もしておこうと思うの」


「あは。僕のことも書いてくれたんだ。なんか嬉しいなあ」


 多弁に綴られるビアンカの言葉に、ヒロは表情を綻ばせる。そして、次には紺碧色の瞳を在らぬ方へ泳がせ、考える相を見せ始めた。暫し一考を窺わせ、再びビアンカに目を向けて口を開く。


「ねえ、ビアンカ。その手紙に僕からの分も入れさせてもらって良い?」


「え?」


 思いも掛けていなかったヒロの申出に、ビアンカは翡翠色の瞳を瞬いた。それにヒロは悪戯そうに笑う。


「いやあ。僕からの手紙まで一緒に入っていたら、あいつ驚くだろうなってね」


 何か妙なことを企んでいるのではないかとビアンカの脳裏を過るが、ヒロは屈託なくにこやかに笑っている。その笑顔を目にして、ただ純粋にハルへ手紙を書きたいのだと、ビアンカは推し量って首肯(しゅこう)した。


「ええ、良いわよ」


「やった。それじゃあ、すぐ書こうっと」


 言うや否や、ヒロは自身の鞄を手に取るとテーブルの椅子の元へ歩んでいく。鼻歌混じりの機嫌良さを窺わせ、腰を掛けて早々に鞄から万年筆と便箋を取り出すと手紙を書き綴り始める。

 右手に万年筆を持って迷いの無い筆滑りで文字を綴るヒロだったが、暫くしてビアンカが黙したまま自身を見ていることに気が付き、不思議そうな表情を浮かせた。


「どうしたの?」


「ヒロって、もしかして両利きなの?」


 投げ掛けられた問いにビアンカが問い返しをすると、ヒロは万年筆を握る自身の右手に視線を向けてからビアンカを見やって首を傾いだ。


「あれ? 僕、言ってなかったっけ?」


「……聞いて無いわ」


 言い逃していたのだろう事柄を指摘され、ヒロは更に首を捻る。そうした彼の声に、ビアンカは間髪入れずに物申す。


 ビアンカが疑問に思ったのは、ヒロが右手で万年筆を握っていることだった。

 先の“ニライ・カナイ”へ向けての船旅――、海賊たちの襲撃を受けた折、ヒロは策戦会議の最中に左手で文字を書いていた。そのことを思い出した故のビアンカの抱いた疑念だった。


 ビアンカの旨意に勘付き、ヒロは万年筆を机上に置いて両手を差し向けて広げる。


「お察しの通り、僕は両利きだよ。実は元々左利きだったんだけど、矯正して両方使えるようになったんだ」


「あなたも剣を扱うために右利きに治したってこと?」


 左手で武器を扱う者たちは、総じて右手で剣を扱えるように()め直す慣習がある。それは戦時の集団戦において、右側で剣を扱う軍勢の中に左側で剣を扱う者が混じると、味方の剣同士が当たって邪魔になることが関係してくるからだ。

 そのことを想起して尚もビアンカが問うと、ヒロは右手を示すように動かしながら首肯(しゅこう)する。


「そうそう。僕は父さん――、えーっと、前に話をした海賊の頭目に利き手を右にするようにしごかれたんだ。今じゃあ右を主体に使っているから、箸なんかの食器(カラトリー)類を持つのも、文字を書くのも右手(こっち)だけどね」


「でも、策戦会議をした時、あなたは左手で文字を書いていなかった?」


「ああ、あれはねえ。頭の中で計算を立てたり策戦で流れを考えている時に、左手を使っていると閃きがあるっていうのかな。考えが(まと)まりやすいんだよね」


「そんなことってあるの?」


「うん。なんでも左手を使う人間は、右利きの人と違う頭の感覚を使うからなんだって。そう言われたことがあるよ」


「なるほど。それで使い分けをしているっていうことなのね」


 言われて看守するに至ったが、ビアンカが今まで出会った左利きの者は、頭の回転が妙に早かったり空間把握能力に優れている特徴を有することが多かった。

 ヒロのような使用する手を時々で使い分ける者には今まで出くわしたことが無かったが、彼の頭の回転の速さや独創性はその行為によって成り立っているのだろうとビアンカは推察する。


「まあ、そういうこと。――因みに左利きって遺伝するらしいんだよねえ。僕の実の父さんも爺ちゃんも左利きだったんだ。僕に子供ができたら、きっとその子も左利きなんだろうなあ」


 ヒロは頬を綻ばせて言いながら、自身の左手に視線を落とす。ビアンカも釣られるようにヒロの左手に視線を向け、発せられた口述に関心を持った様子を表情に浮かせる。


「ヒロは手も大きいわよね」


 手を閉じたり開いたりしているヒロの仕草を目にして、ビアンカは何げなく口に出す。

 それは、ビアンカが時折とヒロから腕や手を握られる度、感じていたことであった。


 ヒロの(てのひら)は大きく、今後もっと背が高くなるであろうことを先見させた。勿論、迷信的にそう言われているだけで根拠は無いものだとされているのだが、手足が大きい者は背が高いのも事実だった。


「あはは。それ、よく言われるんだよねえ。手も足も大きいから本当だったら、もっと背も伸びていたはずなんだ」


 ビアンカの言葉にヒロはへらりと笑い、今度は自身の両(てのひら)をビアンカに向けて広げて示す。


「“海神(わたつみ)の烙印”を継承したから、そこで成長が止まっちゃったのが残念かな。その辺りの弊害が無ければ、“海神の烙印(こいつ)”を宿したことに今は文句って無いんだけどね」


 “呪いの烙印”を身に宿す者は、皆がみな不老不死の特性を持つに至ると言っても過言では無いだろう。そうして、人ならざる不老不死の存在になると――、そこで身体の成長は止まる。

 そのことをビアンカもヒロも、“喰神(くいがみ)の烙印”を永い時に渡って身に宿してきたハルを目にして了していた。


「私ももう少し、身長が欲しかったかも……」


「ビアンカは小柄だよねえ。成長が止まっちゃったのって十五で、だったっけ?」


「ええ、そうよ」


 ビアンカが“喰神(くいがみ)の烙印”をハルから継承されたのは、期しくも彼女が十五歳の誕生日を迎えた日だった。

 まだまだ成長期の途中であったビアンカは、同じ年頃の少女たちと同様な平均並みの背の高さではあるものの――。身に着けている黒い外套(がいとう)が男物で身丈よりも大きいこと、また有する雰囲気なども相まって小柄な印象を抱かせていた。


「女の子は背が低くても美徳だと思うなあ。同盟軍時代に僕より背の高い女の人がいたけどさ。女性が男の自分より背が高いのって、なんか凄く悔しかった」


「……それは、ヒロの主観でしょう?」


 苦笑い混じりに口に出されたヒロの言い分に、ビアンカはくすくすと笑う。


「や、でもでも。自分より小さい女の子は守ってあげなくちゃって思うし。僕はやっぱり群島の男として、女性は大切にしたいんだ」


 ヒロは何かというと、女性を守る対象と見る信念を語る。オヴェリア群島連邦共和国で古くから海の男たちに言い含められる信条の一環であり、そのためにヒロは強い女性尊重主義を持っていた。その考え方は時にヒロの行動に支障を来すほどであり、彼の絶対的な主張は先の船旅の合間にアユーシを憤慨させるほどだった。

 さようなヒロの言動はビアンカの憂慮の一つにもなっていて、いつか本当に痛い目に会わないかと心配をさせている。


「ほんと、ヒロはそういうところがあるわよね。『女は黙って守られていろ』とか、言わないわよね?」


「そこまでは流石の僕も言わないけどさあ。ビアンカは今のままで良いと思うんだよね」


「ふふ。それじゃあ、何かあったらヒロ()()()()()が助けてくれるっていうことで、今は収めておくわね」


 ビアンカが笑顔で言うと、ヒロの頬が朱を帯びる。その様子を目にして、相変わらずの()()だとビアンカは思う。


「えへへ。ビアンカのことはヒロお兄ちゃんが何としても守るよ。それは約束するからね」


「ええ、期待しているわ。ありがとう」


 頬を赤らめたままヒロが述べると、ビアンカは柔らかく微笑んで返礼を言う。そうした返しにヒロは嬉しそうにして幾度か頷き、再び万年筆を右手に握った。

 かようなヒロの行動を認め、ビアンカも倣うようにハルへの手紙の続きを書き綴り始める。


「……僕はね。本当だったら、お兄ちゃんの立場からは抜け出したいんだ。でも、僕がハルに対抗するのは、難しいかなあ」


 ほんの少しの対抗心と悪戯心。自分がビアンカと共に手紙を送ったら、ハルがどのような反応を示すのか――。大人げないと内心で自嘲してしまう考えが湧き上がり、書こうと思い至った手紙だった。

 だが、便箋に万年筆の筆先を滑らせながらヒロが小さく漏らした声は、ビアンカの耳には届かなかった。


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