【13】
「――ぇえっ?! 舞踏会で殿下と何曲もダンスを踊ったあの女性、エバンズ伯爵家のブランシュさんだったんですのっ?」
クロヴィスと特別席で闇の王の物語を観た翌日。
前日に舞台に集中できなかった分を取り戻そうと再び観劇に来ていたブランシュは、不意に飛び込んできた自分の名前に顔を上げた。
見れば、終演後のロビーで紫と赤のドレス姿の令嬢たちが何やら話している。彼女たちの表情はとても不快そうで、険しく歪められていた。
「だってブランシュさんって、あの凡庸でパッとしない方でしょう? 殿下と踊った女性はとても魅力的で輝いてらっしゃったのに、何かの間違いではなくて?」
「わたくしもそう思ったのだけど、あの女性を迎えに来た馬車がエバンズ伯爵家の馬車だったんですって。殿下と何曲もダンスを踊った方だから、きっと王太子妃になられるんだろうなんて噂されていたけれど……。もし本当にブランシュさんなら、彼女に王太子妃なんて荷が重いわよね」
「本当に。公爵家のルディアーヌ様だって殿下に憧れてらっしゃるのに。わたくし、ルディアーヌ様を応援しますわ。だって絶対にルディアーヌ様の方が、ブランシュさんより殿下に相応しいと思いますもの」
そうブランシュのことを評する彼女たちに、ブランシュは見覚えがあった。
『――あら、ブランシュさんいらしたの? あまりにも静かだから今日のお茶会はいらっしゃらないのかと思って、わたくし貴女のぶんのお茶とお菓子は用意してないの。困ったわ』
あのブランシュのぶんのお茶が用意されなかったあの日。あのお茶会に参加していた少女たちだ。
咄嗟に、彼女たちから見つからないように柱の陰へと隠れる。血の気が引いていくのが自分でもわかった。
「むしろ、ルディアーヌ様でなくても、ブランシュさんが相手なら、わたくしたちにだってチャンスがあると思うわ」
「それもそうですわね」
少女たちはクスクスと笑い合いながら劇場を後にする。
柱の陰に隠れるブランシュの存在には、最後まで気がつかなかった。
◆◇◆
「――どうしたブランシュ嬢? 王宮に着くまでに疲れてしまったのだろうか? もし気分が優れないのなら、宮廷医を呼ぶが」
「……失礼いたしました殿下。あまりにも素敵なお部屋に見惚れてしまっておりました。さすが殿下がリラックスできるようにと整えられたお部屋ですね。あちらに飾ってある季節の花を描いた絵画など見ていると心が華やぎます。なので気分や体調は大丈夫ですわ。お心遣い痛み入ります」
「それなら良いが」
クロヴィスに王宮へ招待された約束の日。
ブランシュはクロヴィスが親しい関係の者を招く場所として使っているという部屋に通された。廊下に繋がる扉とは反対側のドアは、彼の私室に続いているらしい。
王太子が私的な時間を過ごすために整えられた空間はエバンズ家の応接室の何倍も、いや、比べ物にならないほど洗練されていて豪奢だ。
――やはり伯爵令嬢の自分と王太子の彼とでは、住む世界が違う。
精緻な蔦模様が美しいカウチソファにクロヴィスと並んで座りながら、ブランシュは彼の存在を遠く感じていた。
たった3日前。
馬車の中で触れた体温を覚えているのに。
クロヴィス自身は何も変わっていないのに。
ブランシュは自分がクロヴィスの隣にいることに迷いを覚えていた。
「先日の春の精のような君も素敵だったが、今日の可憐な小鳥のような君も愛らしいな」
ふわりとしたクリームイエローの生地で仕立てられたドレス。優しい色のそれは、やはりクロヴィスから贈られたものだ。
クロヴィスに出会ってから、彼からの贈り物が屋敷に届かない日がない。
「次は、そうだな。海の青に金の粒子を散りばめたようなドレスを着たブランシュ嬢も見てみたいな。どうだろうかブランシュ嬢。今度こそ、オーダーメイドでドレスを贈らせてくれないか。君のために最高の仕立て師を呼び寄せ、最高級の生地も用意させよう」
言わなければ。
この距離は友人の距離ではないと。
このまま自分が王太子妃候補だと噂されたままでは、彼に迷惑をかけてしまうと。
言わなければ。
「……それなのですが、殿下。殿下は、私と殿下が恋仲だと噂されていることはご存知でしょうか?」
「まあそうだろうな。父と母もそのように認識している」
「国王陛下までっ?」
「あぁ。だが、俺としてはその噂を本物に――」
「いけません……! いけません、殿下っ。私は、殿下の隣にいるには相応しくありません……!」
「……どういうことだ?」
ブランシュの言葉を聞いて、クロヴィスの声が低くなる。その声は空気を凍らせる力がありそうなほど冷たかった。
「このまま、私が殿下の妃候補だと勘違いされたままでは、殿下にも、将来本当に王太子妃になられる女性にも申し訳が立ちません……!」
「ブランシュ、何を言っているんだ?」
クロヴィスに掴まれた肩が、熱い。
大きな手に込められた力は痛いほど。
青いサファイアの瞳がギラギラと燃えている。
ずっと。ずっとこの瞳の中に映っていたかった。
けれど――――
「私たち、もう会わないほうが――」
「やめてくれ! そんな言葉、聞きたくない……!」
言いかけた決別の言葉を、唇で塞がれた。




