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最速の女王  作者: YASSI
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守りたかったもの

 表彰台独占を続けるエレーナたちは、シーズン中盤戦に差し掛かった頃には、既に他のライダーたちに大きくポイント差をつけて、史上初のロシア人チャンピオンを確定していた。徹底したエースライダー至上主義を貫く体制を考慮すれば、不測の事態でも起こらない限り、エレーナの最年少にして女性初の、そしてソビエト初のタイトルも確定的と言えた。もっともたとえランキング2位のイリーナや3位のスベトラーナが逆転しても、新たな歴史が書き加えられる事に変わりなかった。

 タイトル争いへの興味は失われても、このクラスの人気は衰える事はなかった。これまでのレースファン層とは違う、少年少女たちが、アイドルのコンサートに出かけるようにサーキットに詰めかけていた。

 勿論、そんなお祭り騒ぎを快く思わない連中も確かにいる。エレーナたちの人気が高まれば、高まるほど自分たちの立場が危うくなる連中だ。そういう者に限って、向上心より、他人の足を引っ張る事に労力を惜しまない。


 イタリアGPにおいて、スベトラーナはスタートしてすぐ、無理やり集団に割り込もうとしたスペイン人ライダーに接触され、早々にリタイヤした。無謀なトライであったが、少しでも順位をあげようとした、スタート時によくあるアクシデントだった。

 体に痛みはなかったが、頭部をぶつけていたので、医務室に連れて行かれ様子を診る事になった。

 そこにソフィアが付き添った。スベトラーナは、彼女の存在が気分を悪くする原因のような気がしたが仕方ないが、まだレース中で他のスタッフは持ち場を離れられない。外国語が堪能で手の空いているソフィアが付き添うのは妥当である。

 スベトラーナは早くこの場から離れたかったが、レースが終わるまでは大人しくしているようにとの医師の言葉を、ソフィアが通訳する。なんだか信用出来ない。そもそも自分の言葉が正確に伝えられたのかも疑わしい。


「ちょうどよかったわ、あなたとは二人きりで話しがしたかったの」

 ソフィアは、医師のわからないロシア語で話しかけてきた。彼はカーテンの向こうでレース中継を観ている。

「転倒して頭打って、ちょうどいいなんてないです」

 苛立ってつい反抗的な応え方になってしまう。

「そうね、残念だったわね。でも実はあなたのリタイヤより、もっと重大な問題があるのよ、あなたのお父さんの事で」

 スベトラーナはすぐに察っして無関心を装う。こういう場面では、身内の問題をネタに、脅して取り込もうとするのが定石だ。実際には大した問題などなくても、少しでも弱味を見せたらつけこまれる。これまで、嫌と言うほどの理不尽な恐怖を経験してきたスベトラーナは、絶対に弱味を見せたら駄目だと心を引き締めた。


 6才からスポーツ学校の寄宿舎に入ったスベトラーナには、父親の記憶は幼い頃のものしかない。

 学校がクリスマスなどの休みの時期も、父親はいつも各地に出張しており、もう何年も会っていなかった。

 スベトラーナの父は、理系の大学を出た技術者で、国を担う大切な仕事をしていると言っていた。具体的にどんな仕事なのかは教えられた記憶がない。言っても理解出来ないと思ったのか、言えなかったのかはわからないが、今のスベトラーナにとっては、父親よりチームメイトの方が大切だ。少なくともこの相手にはそう思わせて置いた方が面倒がない。


「一昨年にウクライナで起こったの原子力発電所の事故は知ってるわね。そう、エレーナのお父様が尊い犠牲になられた事故よ」

 ソフィアは意外な話題を話し始めた。

「あれは作業員の操作ミスが原因とされてるけど、実は根本的な設計の誤りと建設工事中の手抜きがある事が解ってきたの」


 嫌な胸騒ぎを覚える。


「あなたにだけ話す許可は得てるけど、これは国家の重要機密だから、絶対に誰にも話しては駄目よ。約束してね」

 原発事故と父親に関して、自分にだけ話す機密。胸騒ぎは、より強くなっていく。

(聴いてはダメよ)


 心の声が叫ぶが、頭は頷いてしまう。

「実はね、あなたのお父さんがあそこの原子力発電所建設に関わっていたのよ」

 怖れていた事が聞こえてきた。頭の中が白くなる。理解する事を拒もうとしている。更にソフィアは追い撃ちをかけてきた。

「つまり、エレーナのお父様を殺し、世界を恐怖に陥れたのは、あなたのお父さんってこと」

 スベトラーナの頭の中は、完全に真っ白になった。そして、あの時のエレーナの哀しみにくれる顔が鮮明に浮かんでくる。


(私のお父さんが、エレーナのお父さんを殺した?)


 その犯人を今日までスベトラーナも憎んできた。あのエレーナを、あれほど悲しませた連中が憎い。その犯人の一人が、自分の父親だと言われた。ショックで思考が停止しようとしている。何も考えたくなくなる。

 彼女の様子をよく観察して、ソフィアは第一段階クリアを確認した。人を言いなりにするには、まずショックで思考停止にするのが効果的だ。実際にスベトラーナの父親が関わっていたかどうかは、どうでもいい。関わっていたとしても、年齢的に考えて、それほど責任のある立場にはいなかっただろう。大切なのは、ショックで思考停止になっている間に、極簡単な事でも少し協力させればいい。一度手を染めれば、逆らえなくさせるのは容易い。父親の件は後でなんとでもなる。

 しかし、スベトラーナの意思は、まだ最後の抵抗をしていた。ソフィアは彼女たちが乗り越えてきた絶望を甘く視ていた。


(嘘よ!騙されたらダメ! もし本当だとしても、絶対に取引に応じたらダメよ!)


「今ならまだ私たちの力で、あなたのお父さんを助けてあげる事が出来るの。うちの局長が『彼はその時、実は別の所で極秘の仕事でしていた』と言えば、誰も調べられなくなるわ。あなたが私と友だちになってくれれば、頼んであげるわよ。

 本当はね、私もみんなと友だちになりたいの。私の居ない所で、他の子たちがどんな事話しているか、教えてくれない?」

 その提案は、逆にスベトラーナの理性を呼び覚ました。


(そう、こういう自分勝手で人の心を玩ぶような人たちが、私の国を狂わせているのよ。この人の話に乗ったら、私は本当にエレーナを裏切る事になるわ。

 もし本当の事を話せば、エレーナは私を許してくれないかも知れない。でも私はエレーナと同じ側に居られる。エレーナを騙すくらいなら、憎まれた方がいい)

 スベトラーナの眼に、強い覚悟が宿っていた。

「本当に父に非があるのなら、当然償うべきです。娘の私も背負えと言うなら受け入れます。世界中から罵声を浴びても、たとえエレーナに憎まれても、私は仲間を裏切れません。エレーナにすべて話します。彼女に許してもらえるとも思いませんが、あなたたちのようになりたくありません」


(それでいい……。ソフィアの切り札は、私がお父さんの事をエレーナに知られる事を怖れているから使える。だったら私から教えてしまえば、ソフィアの思い通りにならない。この人だって私が取り込めなかったら、エレーナに話す意味もなくなる。たとえエレーナに知られなくても私が知ってしまった以上、もうエレーナとの約束は果たせなくなっちゃったけど、近くにいて、エレーナやナターシヤさん、それに他の仲間たちを密告をするより、私は消える方がいい……。)


(意外と根性座っているわね。でもまあ、簡単に堕ちる子より愉しめるってものよ。どう足掻いてもあなたはもう逃れられないんだから)


「言ったでしょ、これは国家の重要機密だと。あなたが誰かに話せば、聞いた相手も消えるのよ」


 ハッタリに決まってる。それほどの重要機密なら、いくら身内でも、スベトラーナに話せる筈がない。

 しかし、ソフィアの余裕は揺るがなかった。

「まあ、あなたが協力してくれないなら、イリーナちゃんにでもお願いしようかしら。あの子、試供品のマルボロタバコ、ため込んでいるでしょ?見逃してあげると言えば友だちになってくれるかもね」

 イリーナが「故郷の父親と兄にお土産にするんだ」と言って、無料で配られているアメリカのタバコを隠している事は、チーム内の誰もが知っていた。その程度は代表選手の特権として、見逃されるのが普通だったが、ソフィアの気持ち一つで、逮捕する事も可能だろう。スベトラーナの表情が一瞬怯んだ。ソフィアは、ここで一気に畳み込みに入った。

「でもそうね、エレーナにもどうせ消えてもらうなら、もっと詳しく教えてあげたらいいわ。これも見せてあげて」

 ソフィアから手渡されたのは、何枚かの写真だった。スベトラーナは一枚目の写真を見て、思わず目を背けた。


 それは、全身の皮膚が爛れ、身体中のあらゆる所からどろどろした血のような液体が滲み出している患者の写真だった。顔は目も鼻も口も原形がもう判らないほど爛れ、チューブが繋がれている。とても正視出来るものでなかった。スベトラーナは吐き気を堪えた。

「酷いでしょ?でもそれ、エレーナのお父様の写真よ。高濃度の放射能に汚染されて、身体中の細胞が壊れていったそうよ。その体自体からも放射線を出し続けているから、医師も防護服着けてても30分以上は病室に居られないほどよ。それでもその写真が撮影されてから、二週間も頑張ったんだって。看護婦たちも怖がって近づこうとしないから、奥さまが体を拭い、呼吸用のチューブを取り換え、注射や点滴まで一人でして看病したそうよ。最後はもう人と呼べない姿になっているわ。その写真もあるから見て。

 国家の英雄も、遺体は放射性廃棄物として処理され、献身的な看病したお母様も被曝によると思われる疾患で現在入院中。専門チームがいろいろしてるみたいだけど、おそらく助からないでしょうね。治療と言うより研究目的かしら。

 その写真、全部エレーナにも見せて、すべて教えてあげようかしら」


 スベトラーナは想像を絶する惨さに、言葉を失なった。

 これを知ったら、エレーナは今度こそ本当に壊れてしまう。私の事も憎むに違いない。私は憎まれてもいい。エレーナの気が少しでも収まるなら、彼女に殺されても構わない。でも彼女の憎しみが国家に向けられたら……、或いは今みたいな言い方でソフィアから見せられたら、その場でソフィアに襲いかかるかも知れない。いえ、間違いなくそうする。そうなったら本当にエレーナは終わってしまう。その時、自分は助ける事も出来ず、一緒に泣いてあげる資格すらない。


「本当は私もこんな事したくないの。あなたたちの祖国への忠誠心は、よく知っているわ。でも上の人たちは『何もありませんでした』では納得してくれないのよ。だから、あなたが証言してくれれば、私の立場も守れるの。都合の悪い事は、私がチェックして誤魔化すから、協力してくれない?あなたたちにとっても、得な話よ」

 スベトラーナには、頷くしかなかった。


 たとえ、世界中から憎まれようと構わない。でもチームの仲間を巻き込みたくなかった。

 その仲間から裏切り者と罵られても、絶対にエレーナだけは守りたかった。


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