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最速の女王  作者: YASSI
12/14

開幕

 アレクセイは、自分の作り上げたチームが世界のトップライダーにも通用する事を確信し、エレーナたちを東側にあっても、比較的モータースポーツの盛んなユーゴスラビアやチェコスロバキアのレースに遠征させた。盛んとは言ってもやはり共産主義体制のレースであり、出場しているのはほとんどが地元のライダーで、マシンも大半が一世代以上前の市販車を改造したものであった。しかも50ccから350ccまでが混走でスタートするローカルなものである。それでも、世界GPも開催されていた国際モーターサイクル連盟(FIM)公認コースであるにはかわりない。エレーナたちは初めての本当のサーキットに、テストコースとは違う緊張感を感じた。


 監督であるアレクセイとしては、レース慣れさせる為だけに、遠征してきた訳ではない。初めてのコースであっても、このレベルに手こずるとは思っていない。この程度レベルで苦戦するようなら、計画は一から練り直しだ。恐らくそのチャンスはないだろうが。

 アレクセイの目的は、GPへの出場資格を得る事だった。世界GPに出場するには、実績とライセンスがなければ話にならない。本来ならイタリアかスペイン辺りの二輪レースの盛んな地域を廻って、ライセンス獲得と実力を証明したかったが、ビザなどの問題でそれが簡単に出来ない事は分かっていた。


 まずは大々的にGP参戦を発表し、ソ連の友好国にFIMの代表を召き、国際公認レースと認めさせた。些か強引であったが、利用出来るものを、最大限に利用するのが、労力も時間も無駄にしなくて済む秘訣である。


 エレーナたちは、当然と言えば当然だが、地元のライダーを寄せつけず、圧勝した。80cc以下クラスだけでなく、中排気量のマシンに乗るライダーすら、小柄な少女たちの集団について行けなかった。

 FIMからの視察員に実力を証明するには充分とは言えない環境だったが、彼らは特例としてライセンスの発給と翌シーズンからのGP出場を認める事を約束した。

 当然、FIM側にも思惑がある。ソ連からの参戦は、人気低迷に喘ぐ80ccクラスにとって、又とない話題づくりになるだろう。ソ連の参戦と言うだけでも歴史に残る出来事だ。マシンもライダーも、ある程度のレベルにはあるようだし、何よりもそのライダー全員が若い女性とくれば、大変な話題になる事は間違いない。


 彼女たちが、その思惑を遥かに越えてGPを席巻し、レーススタイルまで変えてしまうとは、想像もしていなかった。


 時代は、当時のソビエト最高指導者の打ち出したベレストロイカとグラスノスチによって、冷戦構造から雪解けムードに向かっていた。それに便乗する形で、レース界も大々的に鉄のカーテンが開かれようとしている事を宣伝した。FIMの要請でGP開催国の入国もすぐに認められた。


 開幕戦は、レースファンだけでなく、一般の人々にまで話題となっていた。彼らは赤い帝国からやって来た若く美しい少女たちを歓迎した。


『走る広告塔』と喩えられるGPの世界は、エレーナたちにとって見るものすべてが驚きだった。単なる自由主義の世界を見たのではない。そこは商業主義の最前線なのだ。

 モスクワではとんでもない値がするらしいアメリカ製タバコが、パドックで試供品として無料で配られている。派手にロゴが描かれた露出過多の水着を着た女性が、ハイヒールを履き、傘を持って闊歩していた。アメリカの炭酸飲料が、パドック内のチームテントに届けられ、それを口にするとカメラマンからフラッシュの砲火を浴び、更に多くの商品が無料で届けられた。

 エレーナとて、党のプロパガンダを信じていた訳ではない。しかしそれは、『退廃の象徴』と言うより、『豊かさの証明』にしか思えなかった。


 世界が注目する中、歴史的デビューレースを、少女たちは上位を独占した。

 正直、多くのレース関係者やファンは、色物としか観ていなかった。まさかこれほど圧倒的な速さを見せつけるとは、想像すらしていなかっただろう。


 それに対して、当人たちはいたってクールであり、当然と言わんばかりに淡々としていた。表彰台でシャンパンを渡されても、なにもしようとしない最上段のエレーナに、通訳が栓を飛ばすように教えなくてはならなかった。言われて初めてエレーナは、ろくに振りもせずシャンパンの栓を開けた。両脇のスベトラーナとイリーナも同じように倣った。シャンパンファイトは、泡が足下を濡らしただけで終わった。

 彼女たちにとって、高価なシャンパンをただ撒き散らすだけの儀式が、理解できていなかった。イリーナなど、『瓶に残ったシャンパンを、故郷の家族に送れないものかと考えていた』と後に語っている。


 そんな彼女たちの感情を露にしないスタイルは、ソ連の暗いイメージと重なる事を主催者は心配したが、逆にあどけなさの残る少女の、クールな表情に惹かれる者も少なくなかった。彼らはエレーナたちが、如何に過酷な運命を乗り越えてここまで辿り着いたかを知る由もない。


 二勝、三勝と連勝を重ねていくと、ソ連チームの特異なチーム戦術に批判的な意見を述べる者も現れたが、それ以上に彼女たちの人気は高まっていった。

 エレーナもGPの雰囲気に慣れるに従い、ファンの熱気が伝わるようになり、少しずつ表彰台でも笑みを見せるようになった。スベトラーナとイリーナは、エレーナよりファンサービスに積極的だった。表彰台に上がる度にシャンパンの噴き上げる泡沫はより派手に噴き上げ、ぎこちなさの残るエレーナに、革つなぎのクリーニング代を心配させるほど、ベトベトにして笑い合った。


 彼女たちは当初、外部とは公式会見の場以外ほとんど接触を持たず、操り人形などと比喩されていたが、シーズンが進むにつれ、歳相応の女の子らしい一面も知られるようになる。

 レースの合間に、パドックに流れるロックミュージックに合わせて、スベトラーナやナターシャらがステップを踏んでいるシーンがテレビに映ると、宿泊するホテルにファンレターの同封されたCDが大量に送られて来た。移動の時にイリーナがクマのぬいぐるみを抱えていたと報道されると、次のレース会場には、彼女にプレゼントしようとクマのぬいぐるみを抱えたファンが、パドックに押し寄せた。


 ファンは、それぞれお気に入りのライダーのファンクラブを作り、アイドルを追うように熱狂的な応援をした。男性ファンだけでなく、それまでレースにあまり興味を示さなかった若い女性にまで拡がっていった。


 特にエレーナのファンは、十代女子が多かった。いくら豊かな国とは言っても、十代の少女にとって決して安くないパドックパスを購入し、素顔のエレーナを一目見ようとテントの外で待っている、自分と同年代の少女たちに、さすがのエレーナも微笑みとサインをしない訳にはいかない。ただ横を振り向くと、チームメイトの周りには男性ファンも多く混じっているのは面白くなかった。一番幼くて小柄なイリーナですら、エレーナより多くの男性に囲まれている。より多いと言うか、エレーナにサインと握手を求めているのは、ほぼ100%女の子であった……。


 エレーナたちが連勝を重ねるに従い、苦戦を強いられていた昨シーズンまでのトップライダーたちと一部の昔ながらのファンは不満を溢したが、彼女らの人気は、新しいファンも取り込んで、社会現象とも言えるほどになっていった。


 アスリートとして、完璧な身体能力を持ち、レースでは、機械の歯車のようにチームの一部となって走る。アレクセイの操り人形とも言われた少女たちが、徐々に心を見せはじめる過程は、冷戦の終焉をも予感させてくれた。


 ただ一人のライダーを勝たせる為に、他の7人はサポートに徹すると言う団体戦術も、自転車レースの盛んなヨーロッパでは受け入れ易かった。批判的な声は、彼女たちのファンの声援と、他のクラスに比べ迫力に乏しく、廃止すら検討されていた最小排気量クラスの新たな可能性を見出だした主催者の期待に、不平を訴える声は掻き消されていた。


 アレクセイの計画は、すべてが順調だった。順調過ぎるほど旨くいっている。苦楽を共にしてきたライダーたちとメカニックたちも、全員が一丸となって自分の仕事をこなし、チームに誇りに思っている。アレクセイは想像以上の人気に、不安すら憶えた。

 自分たちの成功を好ましく思っていない連中は、勝利から見放されたライダーやそのファンだけではない。華やかな商業主義の最前線の勝者を警戒する者は、祖国にもいる。

 アレクセイは、レーストラックの外にいる厄介な敵とも戦う覚悟をしなければならなかった。

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