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異世界女子、精霊の愛し子になる  作者: サトム
二章 異世界女子、異世界で生活してみる
18/26

異世界女子、釣り餌になる

このお話はフィクションでファンタジーです。

 騎士棟の入り口まで送ってもらってから、忘れたことがあると言って千早は一人で最終確認のためにロイが騒いでいる食堂へと戻る。そこでの視線は千早を満足させ、ニヤニヤ笑うネズミの精霊を連れて入り口に戻るとジークだけが待っていた。


「お待たせ。あれ? レスタは?」


 今日の用事はこれで終わりだからクランベルド別邸へと帰宅する予定だったのだが。


「ああ。精霊が迎えに来て急遽王城に向かったよ。先に帰っててくれと伝言を頼まれた」

「そっか。お仕事ならしかたないわ。送ってくれてありがとう。また上に乗せてね!」


 午後の仕事があるジークに冗談を交えつつお礼を言うと、「いつでも乗りに来てくれてかまわない」と冗談で返してくれる。


「ロイもまた今度ゆっくりとお話しましょ」


 千早の肩からジークへと移った精霊が笑いながら小さく手を振って、それに応えながら騎士棟を後にすると王城の門をくぐった。馬車や騎馬がよく通る道だからかきれいな石畳を歩いていく千早の横を幾台もの馬車が通り過ぎていく。正面から出入りするのは基本的に馬車や騎馬のみなのだが、徒歩での出入を禁じてはいないために千早は守衛騎士に生暖かく見送られていた。


 クラウンベルド邸は王城から馬車で五分ほどだが、それは門から門までである。城の乗降場から門までは十分ほどかかり、クランベルド邸の門から玄関までは五分ほどかかるという広大さだ。日本人にはなかなか理解できない感覚だが、故にクラウンベルド別邸に通じる裏門までも遠かった。


 この世界にきて一人になったことがないとは言わないが、ほとんどの時間を誰かとともに過ごした千早は一人で歩く道のりに小さく笑う。いつもはレスタと他愛ない話をしながら歩く帰宅は時間がかかるような気がして少し早歩きで家路を急いだ。


 やがて緑のツタに覆われた門が見えてくる。周囲を金属の柵で囲われているせいかどこかメルヘンチックな雰囲気を醸し出しているが、実はあのツタは門番も兼ねていた。出入りする人の匂いを覚えさせないと絞め落としてしまうらしい。


 今のところ門に捕まった人を見たことはないが、時折小動物が地中に引きずり込まれることもあるようだ。まぁそのためにツタが動くのだが、普段は自分が与える肥料で満足する可愛いやつだと庭師が自慢げに言っていた。


「ただいま~」


 それを聞いてからついつい声をかけてしまう千早である。

 今日も緑つやつやで元気そうだと門をくぐろうとした瞬間、グルンと回る視界とひげ面の男の顔、そして黒い尻尾が見えて。

 貧血とはこういうことかと思えるほど意識が暗闇へとすんなり落ちていき、ツタの養分になるのは嫌だなと思ったのが最後だった。








 目が覚めた千早は肩が痛くて寒かった。体の熱が床に吸われてしまったように後ろに縛れた手も痺れている。拉致するならもっと丁寧に扱え!と怒鳴りたくなったが、さるぐつわを噛ませられている口は不明瞭な音を漏らすだけだ。

 足は縛られていないらしく、ワンピースの裾を乱しながら体をモゾモゾと動かして確認するとなんとか起き上がった。


 周囲を見れば半地下らしい石壁と千早の頭よりはるかに高い場所にある小窓、魔石を使ったランプがぼんやりと金属で縁取られた扉を照らす。湿気の多い床は木でできているが、布袋や木箱があることからここが牢屋ではなく倉庫であると判った。


 そこは二十畳ほどあるだろうか。天井から人の足音も聞こえることから無人の建物ではないらしい。それどころかこんなところに魔石を使ったランプが使用していることから、貴族所有の建物かもしれない。


 物語なら主人公が起きれば待っていたかのようにさらった連中が会いに来るものだが、さすがに監視カメラはないらしく完全放置中だ。大声も出せない状態でトイレに行きたくなったらどうしようと不安に思うくらい時間がたってから、石階段を下りるような音が聞こえ慌てて何もなかったかのように木箱へと腰かけた。


「起きていたか」


 ドアを開けたひげ面の男がだみ声で声をかけ、続けて数人の身なりのいい男たちも一緒に入ってくる。さすがに黒幕は一緒(・・・・・)ではないらしい。


「この女で間違いはないか?」

「ああ。これが今回の報酬だ」


 男たちからひげ面の男へ軽い金属の音とともに袋が渡され、満足そうに笑ったひげ面はニヤニヤ笑いながら千早の前に立った。


「あんたには悪ぃが恨まないでくれよ。動物相手にケツ振ってるお前にはご褒美になるかもな」


 下品な物言いに軽く唇を動かすと、何かを言いたいと察した男がさるぐつわを外す。


「なんだ? 最後にお前の言い分を聞いてやるよ」

「こんな汚い布で口を塞がないで」

「てめぇ!」

「駄目よ!」


 千早の言葉に怒りを覚えたらしい男が手を振り上げると、鋭い声が入り口から飛んできた。先ほどの男たちとは異なるまろやかな声にひげ面の手が止まり、「ちっ」と舌打ちすると肩を怒らせて声をかけてきた人物に振り向く。


「ベっ……?」


 そこにいたのは肩までの黒髪を揺らし、青い目を持つワンピースを着た小柄な女性だ。薄く化粧されたピンク色の唇は可憐だがどこか擦れたような印象で、千早が知っている人物によく似ている。


「なんだ、知り合いか?」

「うちの食堂の客」


 ぶっきらぼうに返す言葉は彼らが仲間であることを示し、ひげ面ははっと息を吐き出すように笑って千早を見た。


「残念だったな、小娘。こいつはお前を助けちゃくれねぇよ。生意気なお前はこれから見世物になるんだからな」

「準備があるから出ていって。邪魔するならあの方に言いつけるよ」


 ぺらぺらと話すひげ面だが女性には逆らえないらしく仕方なさそうに部屋を出ていく。最後にドアを勢いよく閉めた辺り怒りは(おさ)まってはいないようだが、千早はそれよりも気になることがあった。


「……似合うね」

「言うな!」


 恥ずかしそうに頬を薄く染めながら視線を逸らす女装した青騎士ベンズ・ルピスナーの姿に、拉致されたというのにニヤついてしまう。


「餌を()くとは聞いていたがチハヤだとは思わなかったよ。よくレスタ様が許可したな」

「僕もいるからね」


 そういって千早の胸の間から出てきたのはネズミの精霊ロイだった。騎士棟で別れたはずの彼は途中で千早に追いつくと、護衛として付いてきてくれていたのだ。もちろんこうなる(・・・・)予定(・・)であることはあらかじめ話してある。


「それで予定通りでいいんだな」

「うん。頑張る」


 後ろ手に縛られた腕を解放しながら、潜入捜査中のベンズが千早の顎を捉えて真剣な眼差しで覗き込んでくる。


「それにしても相手を挑発するなよ。殴られるところだったぞ」

「ごめん。ついうっかり本音が出ちゃって」


 潔癖まではいかないが清潔な生活が普通だった千早にあの布は許容しがたく、ロイもいたことでそれほど恐怖を感じていなかったことも悪かった。


「痛かったな」


 荒縄できつく縛られた手首は擦れて赤くなっていて、それを見たベンズが辛そうに顔をしかめ、無意識に摩っていた千早は軽く手を振ってたいしたことはないのだと笑う。


「これが終わったらレスタに治してもらうから平気」

「それじゃ、これからが本番だ。よろしく頼む。それとお前の悲鳴が聞きたいと口をふさぐようなことはないから無理をするなよ」


 恐怖を感じたらすぐにでもレスタを呼べという可憐な女性は、とても男性騎士には見えなかった。


「それで貴女の名前は?」

「ベスよ!」


 やけくそ気味の返事に噴き出す口を慌てて押さえた千早に着替えを投げつけると、彼は憤慨しながら背を向けたのだった。








 その場所は室内の小さな円形劇場に似ていた。魔光石を使った光はすべて外から舞台へ降り注ぎ、一段高いところにある観客席は薄暗く人影がかろうじて判る程度。さらに客席と舞台の間を薄絹が隔てているため、人がいることは判るが具体的な人数すら把握できそうにない。


 舞台の床は毛足の短い絨毯が引かれていて、醜悪なサーカスの見世物小屋だなというのが千早の感想だ。

 ロイはベスと共に舞台裏で待機している。最初は千早についていこうとしたのだが、どうしても服の中に隠れることができなかったのだ。


「皆様、お待たせいたしました。今宵はあの精霊王などと大層な名で呼ばれている獣と体で契約を結んだ女でございます」


 紹介された千早が押し出される形で舞台に上がると、その姿が光の中に浮かび上がる。

 サラリと流れる艶のある黒髪、真珠色に輝く肌と恐れなく見回す濃茶の目。胸だけを覆う布は胸の谷間でリボン結びにされ、くびれたウエストと小さなへその下に深いスリットが入ったタイトな太ももまでのスカートを身に着けていた。膝上から下は素足が(さら)され、観客の視線に熱がこもる。


 モデルのように注目されるのは恥ずかしいが、この程度の露出なら女子大生なら誰でもしたことがあるだろう。できるならイヤリングが欲しいとか、スカートはフレアの方が良かったとか、ヒールのあるサンダルがあれば完璧だったなど考える余裕まである。異世界のムダ毛の処理は完璧なのだ。


 それどころか普段見ることができない年若い女性の素肌を目にした男たちの熱気が笑えて、この程度で興奮していたら千早の世界では鼻血を吹いて倒れるかもしれないと思った。

 見せつけるようにゆっくり歩きながら視線に挑発を乗せてモデル気分で舞台を一周する。それから千早が入ってきた入り口を見つめると、大きな獣がゆっくりと入ってきた。


 毛色は薄汚れているが漆黒で憔悴した瞳は紅。体高一メートルはあるだろう黒狼が嫌そうに舞台に上がる。具合が悪いのかそれとも薬を盛られたのか、荒い息を吐きながら発情する様子に千早は目を細めた。


「精霊などたかが獣。契約者も獣を体で誑し込む娼婦でございます。それでは野蛮な彼らの醜悪な行為をお楽しみください」


 司会の男の声など気にすることなく黒狼に近づいた千早は、ゆっくりと膝をつくと手を下から差し出す。


「レスタの契約者よ。早く逃げろ」


 小声で逃げるように促す彼は本当に苦しそうで、ダラダラとこぼれる(よだれ)も気にすることができないくらい余裕がなかった。


「あなた達を助けに来ました。彼らは貴方に言うことを聞かせるために貴方の契約者を隠していることは判っています。ですからもう少し我慢できますか?」

「真名で命令されれば今の俺に(あらが)うことは難しい」

「心配しないで。私は精霊の愛し子なので」


 小声で話しながらゆっくりと横になって黒狼が覆いかぶさる体勢に持っていく。千早の指示でベロリと首筋を舐めた精霊は本能に(あらが)うように身を震わせながら何度も舐めるが、それ以上の行為を続けようとしなかった。それでも淫靡な雰囲気に待ちきれなくなった男たちがベンズでも探り切れなかった黒狼の契約者を抱えて連れてくると、彼の首に小刀を押し当て女を犯すように命令させようとする。


 契約者は震えて泣きながら彼の真名を呼んだ。


「フォルアリンガム。そのひとをおかして……」

「レスタヴィルクード! ナナリーガウェイン! ここです! フォルアリンガム、契約者を守りなさい!」


 唱えた真名は三つ。黒狼フォルには強い命令をつければ彼は一瞬で姿を消した。

 同時に千早の隣に黄金のライオンが現れると室内に強風が吹き荒れ、観客席の混乱にリーガはそちらに向かったことを知る。黒狼(フォル)に見せるために舞台の近くまで契約者を連れてきていた男は背後からベンズに取り押さえられており、黒狼は自身の契約者のそばに寄り添っていた。


 捕り物としてはあっけないほど一瞬で決着がつき、しばらくしてラスニールが率いる青騎士隊が到着すると幼い契約者の少年が無事保護される。もちろん千早のそばにはレスタがいて、この趣味の悪い集まりに参加していた貴族や豪商たちはリーガに入り口を固められて逃げることもできずに震えていた。


「大丈夫か」


 一番偉い人間だというのに最初に会場入りした大人ラスニールがあられもない姿の千早を見てニヤニヤと笑う。


「心配してくださってるんですか? それとも彼らと同じ趣味ですか?」


 観客席の連中をちらりと見て問えば、ラスニールは騎士服の上着を脱いで肩にかけながら「それはもちろん心配したぞ」と至極まじめな(イケメン)顔で答えてくれた。


「こんな薄い服でよく頑張ったな。恥ずかしかっただろうし、怖かったろう」


 騎士らを案内してきたロイを肩に乗せたジークがラスニールの騎士服の上からさらにマントをかけつつ千早を(ねぎら)うと、捕縛を終えて手の空いた女装姿のベンズが呆れたように言った。


「いや、なんか平気そうだったぞ。サンダルはないかとか、装飾品が欲しいとか、スカートのセンスが悪いとか、ダメ出しが多かった」


 別室に置いてきた服や靴を千早に渡しながら文句を言う彼に、千早は唇を尖らせて言い返す。


「だってベスがこの服を選んだのよね? ちょっと色気なさすぎじゃない?」

「ベスって呼ぶな! あいつらケチだから予算がなかったんだよ。それに拉致に成功したのは今回が初めてなんだぞ。そんなに気合い入れてられるか」


 そうなのだ。反精霊派と呼ばれる連中が結界の得意な黒狼の契約者を捕まえたのはつい最近のこと。それまでは平民の契約者であろうとも、拉致された後に真名で精霊を呼ばれて逃げられていたらしい。

 三人ほど立て続けに失敗したことで精霊の契約者を狙う連中がいることを騎士団が知り、潜入調査を始めたところで黒狼フォルの契約者が彼らの人質にされた。結界が得意な精霊であるがゆえにこれからは真名を封じられる恐れがあり、その上幼い契約者の妹も別に人質に取られていてはフォルが契約者だけを連れて逃げるわけにもいかなかったらしい。


 連中は精霊を脅すために少年を、少年にいうことを聞かせるために彼の妹を人質にしたのだ。精霊の力は絶大で、そこまでしなければ彼らにいうことを聞かせることなどできないのだろう。

 大きな体躯の精霊を手に入れたことで彼らの思想に合った趣味の悪い出し物を考え付いた黒幕が、先日自分たちを馬鹿にした精霊(レスタ)契約者(千早)(はずかし)めようとしたようだが、国の中枢にいる優秀な人材が見逃すはずがない。


 地方都市ならいざ知らず、国王のおひざ元で彼らが自由に動けるということはほとんどないのだ。

 だからこそラスニールは千早を使ってフォルの契約者を助けようとしたし千早もそれに乗ったのである。拉致される時にケガを負う可能性はあったが、彼らは『非力な契約者』を見世物にするという計画であったために危険は少ないと判断されたのだ。


 計画のほとんどが筒抜けの状態に千早は思わず犯人たちに同情しそうになったが、幼い子供を人質にとるという最悪の手段を聞いて、そんな連中は殲滅してしまっていいと考えを変えた。


「久しぶりのミニスカートなのに可愛くないよ」

「そういう問題か?」


 ベンズが背中を向けて隠してくれている間に靴を履き、ジークのコートはそのままにラスニールの高そうな騎士服を返す。


「ここにいた連中だって私を見下そうと集まったのに、私の素足を見てよだれを垂れ流さんばかりに食いついていたからね。『野蛮な彼らの醜悪な行為』なんて言ってたけど自己(性癖)紹介なのかと思ったわ」


 千早の素直な感想にラスニールを含めた周囲の騎士たちが声なく笑った。

 犯罪に巻き込まれたというのにあまり恐怖を感じなかったのは、ロイやベンズがそばにいたし、ラスニールやレスタが救出に万全の体制を敷いてくれていたのもあるが、何より(犯人)らの余裕のなさがツボに入ったからだ。


 いくら人手がないからといって食堂の娘設定のベス(女装騎士)を仲間に引き込むのは、どうなのだろう。


「いや、本当に助かった。何度か黒狼に接触してみたんだが説得に応じなくてな。三人を同時に助ける以外手はなかったんだ」

「妹ちゃんの居場所はすぐに判ったのに肝心の契約者の居場所が判らないから、連中が連れてきたところを助けるしかなかったし、そのためには他の精霊の契約者が捕まらないといけなかった」


 連中に怪しまれず、かつか弱くて、それでいて美味そうな餌で、捜査に協力してくれるような人材が千早だったというわけだ。千早をさらう機会をうかがっていた連中のために青騎士棟に訪れたことも、帰りにレスタが王城に呼び出されたのも、すべて計画されたことだったのだ。


「お役に立てて良かったよ。レスタもありがとう」


 ひざまずいてたてがみごと首に抱き着きながら黄金のライオンに感謝する。彼にしてみれば千早を傷つけかねない今回の作戦を認めることは、とても痛みの伴うものだった。いつもよりもたてがみを膨らませているのはレスタが緊張している証拠で、「他の契約者を使え」と言いたいのを我慢していたのも知っている。いつもより口数が少なくなっていたことも。


「そなたが無事ならそれでいい」


 低く深い声は安堵の響きを持って千早の耳をくすぐり、いつもの穏やかな声を聞いてじんわりと涙ぐんでしまう。


「嫌な思いをさせてごめんなさい」


 常に千早のことを想い、千早を傷つけぬように見守ってきた精霊に心配をかけてしまった。


「判っている。捕まっていたのがそなたなら私とて黒狼と同じことをするだろう。そして誰かに助けてもらいたいと思っただろうが、それでもそなたを心配することは止められぬのだ」


 ままならない心をささやいた精霊王が抱きしめている千早に優しく頭を擦り付けると、家に帰ろうと(うなが)してくる。


「今日一日、私がそなたを甘やかすと決めた。従ってもらうぞ」


 青い目が楽しそうに告げると、護衛としてリズとレックスが付いてきてくれるようだ。いそいそと立ち上がった千早だが突然膝がカクンと折れた。


「おっ、と」


 誰よりも早く反応したのはレスタとラスニールで、騎士総団長の固くたくましい腕が崩れる千早の体を抱きしめる。


「あれ……?」


 突然震えだす手足と体。流れ出す涙と早くなる呼吸に千早は慌てふためく。そして強く捕まれる腕と荒れた大きな手、物のように見下す男の目と殴ろうと振り上げられた(たくま)しい腕がはっきりと見えた。


「大丈夫だ。ゆっくりと呼吸をしろ」


 子供のように立て抱きされながらラスニールの低い声が呪文のように聞こえると、よしよしと慰めるように背中をポンポンと叩かれ、腕に力の入らない千早は彼の肩へと顔を擦り付ける。


「興奮が治まって恐怖が沸いたんだろう。お前は騎士じゃないんだ。正常な反応だぞ」


 大人姿のラスニールの声は低くて人生経験を思わせる重さがある。触れ合う体は服越しに体温を伝えてきて、他人だというのになぜか無性に安心できた。あの怖い男はもういないのだ。


「ここを任せていいか」

「もともと閣下は来る予定ではなかったんですよ」


 同じ黒騎士の制服を着た直属の部下らしき男性が報告を受けながら言い返し、小さく笑ったラスニールが腕の中に千早を抱いたまま歩き出す。


「護衛は一人でいい。レスタも行くぞ」


 彼の指示にリズだけが後に続き、そのあとをレスタがついていく。用意してあった馬車に乗り込んで膝の上に千早を乗せたまま座ったラスニールとその向かいにレスタが落ち着くと、ゆっくりと王都の中心に向かって走り出した。


「大丈夫だ。もうお前をさらう者はいない。怖かったな」


 抱き上げていた腕が背中に回り体を隙間なく密着させる。呼吸や心臓の鼓動すら感じる距離で抱きしめられながら、千早はようやく力の戻ってきた手でラスニールのシャツを震えながら握った。


「俺もレスタもそばにいる。ここは安全だ」


 体の大きな男性が穏やかに声をかけながらしっかりと抱きしめてくれれば、恐怖よりも羞恥が勝ってくる。これはわざとしているのかと思えるくらいに落ち着いてから千早は無意識に入っていた体の力を抜いた。

 ふーっと大きく息を吐きにじんだ涙を豪華な制服に擦り付けてぬぐってから、彼の背中を二回ほど軽く叩いてもう大丈夫だと告げる。


「ごめんなさい。ありがとう」


 震えも治まったし呼吸も鼓動も落ち着いたと訴えた千早だが、ラスニールは小さく笑うとまるで恋人を抱きしめるように大きな手で後頭部まで押さえつけた。


「いいじゃないか。このまま抱かれておけ。こんなことは滅多にしてやらないぞ」


 まぁそうだろうが、そういうのはそれを望む人間にしてやれよと思わなくもない。


「判りました。せっかくの機会なので堪能させてもらいます」


 見た目年齢の割にきれいな筋肉がついていると簡単に想像できる引き締まった身体。千早の抵抗など簡単に封じ込めることのできそうな(たくま)しい腕。尻の下の太腿がちょっと固いが、それもいい刺激である。

 わさわさと両手を動かして彼のウエストや背中の筋肉までなぞってやれば、くすぐったいのかかすかに体を震わせた。


「今日は本邸に来るか?」


 別邸にレスタと二人はさみしくないかと気を使ってくれるラスニールに、千早はしばらく考えてから首を横に振る。


「大丈夫。帰ったらレスタが思いっきり甘やかしてくれるから別邸(うち)に戻ります」


 頑張ったご褒美を貰えるのだから邪魔が入らないところがいいと浮ついている千早は、黄金のライオンが何かを考えこむように自分を見つめていたことに気が付かなかった。


【後日談】

「チハヤの世界では若い女性もああいった格好をしているのか?」

 千早に出会った赤毛孤児出身のレックスが興味深々で聞いてくるので、ちょっとからかうことにしたのだが。

「私の国は夏には蒸し暑くなるから、ミニスカキャミなんて普通だよ~」

「みにすか、きゃみ?」

「えーと、この間みたいな長さのスカートと肩と腕をむき出しの服のことだよ~」

「そ、それって! ほとんど下着じゃないか!」

「あはは! こっちだとそうかもね」

「ち、チハヤも着ていたのか?」

 自分と同じ年頃に見える青年が顔を真っ赤に染めて恥じらう様子に、千早のほうが身もだえた。この世界の男性は純粋過ぎる!(一部人生経験の豊富なイケオジ除く)と。

 そしてちょっとしたいたずら心で後悔することになった。

「もちろんだよ。海とかプールとかで水着になることもあったし」

 水着の判らない彼のためにグラビアモデルの着るようなビキニを、自分の体と指で表現しながら説明していると……レックスが鼻血を吹いて突然倒れて騒ぎになった。


 それ以降、千早は言葉だけで騎士を倒すことができる契約者とうわさが流れたのだった。

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