(14)サービスエリアとお母様の秘密
夜の高速道路を一台の外車が駆ける。
フロントガラスを打ち付ける雨の中をワイパーが拭った。
すぐにフロントガラスは雨粒で視界を曇らせ、それをまたワイパーが拭う。
車内はワイパーの駆動音でうるさい。だけど、私も東出さんも、何かを口に出すことはなかった。
二人とも、ただただお母様の無事を祈っていたからだ。
「エリコ様……」
停電した屋敷内で、私は東出さんに詰め寄った。
東出さんならば、お母様のことを知っている確信していたからだ。
前々からお母様のことを知っているようなふうに話していたし、リムジンで東出さんの名前を出した時、お母様の様子が明らかにおかしかった。
「東出さんは、お母様のことをよく知っているんでしょう。だから、お願いです」
私が懇願すると、東出さんは観念したかのようにため息をつき、ゆっくりと首を振る。
「私、正直エリコ様をみくびっておりました」
そう言った東出さんの顔に笑顔はなかった。
真剣な表情で、私のことをじっと見つめている。
子供相手ではない、1人の人間を見る目だ。
「ですが、希望は確信に変わりました。奥様――いえ、百合子さんを助け出せるのは、あなただけだと思っております」
東出さんは、優雅な仕草でエプロンの下に手を入れる。
「おそらく、奥様はこのまま帰らないつもりでしょう」
「そんな……!」
「ですが、エリコ様の力を借りればっきっと大丈夫です。百合子さんを、一緒に迎えに行ってくれませんか?」
そして、彼女はポケットから外車のロゴマークのある車の鍵を取り出したのだ。
そして今に至る。
東出さんとふたりきりの車内は沈黙に包まれ、緊張感でピリピリと空気が張り詰めていた。
「お母様は無事なんですか?」
どこか、危ないところに行ってしまったんじゃないか、不安だった。
東出さんはハンドルを握ったまま頷く。
顔に一切笑顔はない。
「おそらく大丈夫でしょう。あの人は何かあると”あそこ”に居るので、そこは安心して下さい」
「じゃあ……」
私はそこまで言って悩んだ。
流石に今回のことは自分に責任があると思うの。
これを言うのはないんじゃないか、ずっと迷っていたわ。
だけど、やっぱりこれは我慢できそうにない。
私はぐっとお腹に力を入れ、覚悟を決めて口を開いた。
「サービスエリア、寄ってもいいですか?」
なんと、こんな一大事に、私はお腹が空いてしまったのだった!
「エリコ様、ありがとうございます。助かりました」
カップのコーヒーを飲みながら、東出さんはため息をつく。
顔にはぎこちななさは残っているけど、笑顔は戻っていた。
雨脚は強くなる一方で、お母様がいる場所に行くまでに、通行止めが起きてるらしい。
結果、私の「おなかすいた」は英断だったらしい。
嬉しいけど、やぱっり申し訳ない。
前世からそうだったけど、緊張するとお腹が空くタイプなのよね……。
ほんと、雨に感謝していいだか悪いんだか微妙な気分だわ。
「正直、焦ってました。迎えに行くのなら、今夜じゃなくて明日でもいいはずなのに……」
東出さんはホットコーヒーの入った紙コップを両手で包み込むように持っている。
季節の上にこの雨だ。確かに寒い。
私はコートを着せてもらったけど、東出さんはメイド服のままだから少し心もとないと思う。
それに、突然サービスエリアにメイドさんが現れた! という事で、こっちをチラチラ見ている人も多い。
「だけど……一晩待ったら……もし男の人と会ってたりしたら……」
この時、私はお母様がどこか男の人のところに行ったんだとばかり思っていた。
だけど、真剣に言った私に、東出さんは苦笑いする。
「百合子さんに限ってそれはないと思いますよ」
「はあ……」
だけど、お母様って「お父様一筋!」ってかんじにも見えないし……。
一体どういうことなのかしら。
「百合子さんは、そういう人なんです。今頃、たっぷりと羽を伸ばしているでしょうけど……そんな関係の人なんて、いないはずですよ」
東出さんはくすくすと笑う。
車内の緊張で張り詰めた表情とくらべて、随分リラックスしたように見える。
うーん。やっぱりお母様の話をしている時の東出さんはとっても優しい顔をするなぁ。
「……思えば、エリコ様には、いろいろと辛い思いをさせてしまいましたね」
「ふぇ?」
私は前世ぶりのかつ丼の味を噛み締めながら、東出さんの目をよく見た。
その後に隣においたカップに入った唐揚げをじっと見つめて口の中に放り込む。感動で涙が出そうなほど幸せなチープな味だった。
「今、感動するほどしあわせだよ?」
私は涙をこらえてた。
こんな大ピンチの場面じゃなかったら、私は久しぶりの揚げ物に声もあげずに泣いていたと思う。
だけど、やっぱりお母様の事を考えると食欲も沸いてこないわね。
そう思いつつも、唐揚げのカップは既にカラだった。
「うふふ、それはよかった」
東出さんは私の様子を見てなんだか悲しそうに笑っている。
「百合子さんは、強い人です。だから、私も旦那様も、百合子様の強さに甘えてしまったんです――」
東出さんはカップで揺れるコーヒーを見ながら言った。
「旦那様と百合子さんは、歳の差もありましたが、身分差もあったのです」
「え、お母様って生粋の良家の子なんじゃ――」
お母様は、井生野家という、広陵院に負けず劣らずのお金持ちの生まれのはず。
前世の記憶を思い出してから、おじいさまやおばあさまとお食事会をする機会もあったけど、とっても上品な方々で緊張でパンを3回おかわりしちゃったわ。
「あくまで生家は井生野ですが、育ったのは違う家なんです」
「えっ」
そんなの聞いてない!
へぇ……あの気品溢れて怖いくらいのお母様にそんな秘密が――。
「私は百合子さまとは学生時代からの付き合いでしたが、とっても元気の良い方だったんですよ」
「ひえ!」
私はついつい驚きのあまり変な声を出していた。
あのザマス系一歩手前のお母様が元気系キャラだったなんて、想像もできない。
「おかあさま」と呼ばないと平気で私をぶつあの人が、元気系?
東出さん、冗談きついんじゃないの?
「驚かれるのも無理はありませんわ。百合子さん、相当ご無理をされてましたから。自分を偽ってまで”良家の妻”を演じようとされたのも、私達が百合子さんを守ってあげられなかったからです」
なるほど、玉の輿的なシンデレラ・ストーリーの続きは夢ばっかりじゃないって事ね。
お金持ちの妻って、周りから色々な事を求められる事も多いだろうし。そういえば、広陵院の一族ってイヤミっぽくて口うるさい人も多かった気がするわ。
それに、ウチみたいな一族経営の家系なら、子育てもプレッシャーよね。
子育て――なるほど。そっか。だから東出さんは申し訳なさそうにしてたのね。
「それで、お母様は生まれた子供が双子だったから、参ってしまったのね」
それを指摘すると、東出さんは申し訳なさそうに俯いてしまった。
しょうがないわよ。良家の妻として振る舞わなきゃいけない上に、子供のできで周りからとやかく言われなきゃいけないのは大変じゃない。
それに、双子よ? 2人同時に育てるのよ? そんなの、普通じゃ乗り切れないわよ。
「そうです。百合子さんは次第に、聞き分けが良く、跡継ぎ候補としも可能性が濃厚なコースケさんばかりを躾けるようになってしまいました。それも、病的に。そう――気づいてますよね。エリコ様とコースケ様、習い事の数が違っている事」
「ああ、そういえばそうね」
すいません、東出さん。今知りました。
しかも、「なんか拘束時間が少ないけど、つぐみと遊べてラッキー」位にしか思ってませんでした。
「エリコ様、今までさみしい思いを、つらい思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
ごめんなさい、と東出さんは私に頭を下げた。
ってことは、前世の記憶を思い出す前の広陵院江梨子がわがまま放題のクソガキだったのは、お母様に放任されてたからなの?
お父様、お母様の気を引くために必死にアピールしてたってこと?
そっか、江梨子もさみしかったのね。
確かに、前世の記憶を思い出し始めた当初、江梨子はさみしいって気持ちで一杯だった気がする。
今なら、その気持もわかるわ。
ずっと心のどこかで軽蔑してた江梨子の事を、ようやく分かってあげられた気がした。
「だけど、お父様は何をしてたんですか?」
「旦那様はお忙しい方ですし、あの方も百合子さまの強さを信じておりました。まあ――この話はおいおい。ですが実際、百合子さんは、親族の顔合わせで、全く期待されてないどころか陰口ばかり叩かれていたのですが、マナーは完璧に覚えており、立ち振舞も完璧で、周りをアッと言わせたりもしたんですよ? 準備期間はほとんど無かったのに」
そう聞くとお母様って天才型なのね。記憶力の無い私とは大違いだわ。
「まあ、マナーに関しては私がきびし~く指導したお陰でもあるのですが」
東出さんはそう言って目を細める。
え、お母様のマナーを教えたのって東出さんだったの?!
「とにかく、旦那様も私も、百合子さんを無敵の完璧人間だと思ってたんですよ――実際そんなはずなんてないのに」
東出さんは、自嘲するような笑みを浮かべた。
いつも優しい東出さんが、こんな悲しい気持ちを抱えてたなんて――。
そんなのいけないよ!
「東出さん。とりあえず、ごはん食べましょ」
「はあ」
「コーヒーだけじゃ、胃が痛くなっちゃいますよ。それに、コーヒーとパンを合わせたら美味しいと思うんです!」
私は売店を指さす。
そして、感謝の気持をたたえた笑顔で、伝えた。
「私は昔からずっと幸せですよ。だって、東出さんがいっぱい愛情をくれたから」
ここ最近、曖昧なはずだった、クソガキ時代の江梨子の記憶は少しずつ蘇ってきている。
東出さんは物心のついた頃から江梨子の傍に居て、いつも愛おしげに頭を撫でてくれていた。
記憶の中で、江梨子は東出さんに逆らうことはしなかった。
きっと、アイツは本能的に分かっていたんだと思う。
この人は、自分に本当の愛情を注いでくれていたんだって。
東出さんの目尻に涙が浮かんでいた。
それを隠すように笑顔をつくり、立ち上がって私の隣に立つ。
「それじゃ、美味しいものを食べましょうか。パンじゃ寂しいですし、私もカツ丼がいいかしら」
「いいですね! オススメですよ、カツ丼! 絶対勝つぞのカツ丼! ゲン担ぎですよ!」
「うふふ、エリコ様。そんな言葉、一体どこで覚えたんです?」
二人で笑い合う。
私はやっぱり東出さんが大好きだ。
それに、東出さんがあんなに楽しそうに語る「無理をしていない本来のお母様」もきっとすごくステキな人なんだわ!
よーし、一休みして、通行止めが解除されたら「本来のお母様」に会いに行くわよ!




