五章*天才魔導師、悪妻に困惑をする(1)
ルピナが寝室のドアを閉めて、私は瞼を上げた。
(『今日も生きていてくれてありがとうございます』か)
ルピナの言葉を反芻し、私の口角が上がった。
(親ですら言ってくれなかった言葉だ)
子供だったころの自分を思い出し、その子を胸の中で抱きしめた。
(あのころほしかった言葉を、ルピナがくれた)
*****
思い出したくない自分の幼少期。私はとある田舎の侯爵家に使えるモーリオン男爵家の末子として生まれた。
物心ついたときには、家族から憎まれていた。
家族の誰にも似ていない黒い髪と黒い瞳。それらは、一般的に『不貞』の刻印といわれている。
事実、私は不貞の末に生まれた子だ。女癖の悪いモーリオン男爵への当てつけのために、母は自分を慕う魔導師を利用し私を身ごもったのだ。
黒髪の私が生まれた日、母はモーリオン男爵に勝ち誇って『どんなお気持ちですか?』とあざ笑ったらしい。
その後、私の生物学的父は、モーリオン男爵に捕らえられ殺された。
以降、母は私を見るたびに罪の意識にさいなまれるようになり、恐れのあまり養育を拒否し、ひとり実家へと帰ってしまった。
モーリオン男爵は何度も私を殺そうとしたようだが、強い魔力を持って生まれた私のことを殺すことはできなかったのだ。
私は誕生日になると、その話を繰り返し聞かされた。当然祝われたこともない。
両親の不仲は、すべて私のせいとされ、兄弟たちからも鼻つまみ者にされた。
(父からは『お前が生まれなければ』と言われ、兄弟からは『死ね』と言われ続けてきた)
ただ幸運にも、私には大きな魔力があった。
私を殺せないと悟ったモーリオン男爵は、せめてその魔力を利用しようと、私を王都の魔術寄宿学校へ入れ、屋敷からていよく追い出したのだ。私の魔力に生物学的父の影を見て恐れたのかもしれない。私は十三歳で、家から出られることに安堵した。もう、殺される心配はないと思ったのだ。
私はそこでも異物だった。どこへ行っても黒髪には居場所がない。多くのイジメや嫌がらせも受けたが、それでもモーリオン男爵家にいるころよりもマシだったのが救いだ。
そして、そこでローレンス殿下に出会ったのである。
私とは正反対の輝かしい髪を持つ、生まれながらに祝福された人。しかし、彼は私をそしらなかった。魔術の実力を認め、友と呼んでくれたのだ。身分の低い側室の子として生まれたローレンス殿下は王宮内に居場所がなく、私に共感をしてくれたのだ。
家族も友もいなかった私にとって、ローレンスはまさに光だった。彼と一緒であれば、なにがあっても大丈夫だと、彼のためならなんでもできると思っていた。
(事実、ルピナに連れさられたあの日までは……)
しかし、ローレンスと離れてからわかったことがある。
(私の人生は閉じられていたのだ)
身寄りの亡くなったエリカを中年男から救い、大切に育ててきたのは私だった。家族代わりのつもりで大事にしていたのだが、なんの相談もなく婚約するという。
たしかに血の繋がりもない私に許可を得る必要はない。しかし、交際していたことさえ気がつかせないほど隠されていた。
(私にとってエリカは妹、ローレンス殿下は親友だったのに、ふたりにとって私はなんだったのだ?)
苦手なパーティーもエリカのために無理をして、誹謗中傷の中で突きつけられた事実。
(しかも、ローレンス殿下は婚約者がいた身ではないか。私に代筆させていた手紙では、臆面なく愛を歌って縋っていたくせに、衆人の面前で破棄して婚約だなんて、反吐が出る)
私は、不義の果てに産まれた子供が、どんな生き方をするのか身をもって知っている。
ローレンス殿下とエリカも私の不遇に憤っていたのに、同じ過ちを平気でするのかと思うと、その言葉すら空しく思える。
(エリカだって、『不義の証しは子供のせいじゃない』と涙ながらに怒ってくれていたはずなのに)
ふたりを見て、気持ち悪いと思ってしまったのだ。
そして、その場から救い出してくれたのはルピナだった。
(しかし、意外だったな。はじめて出会ったとき、私の黒髪を見て恐怖のあまり失神したと聞いていたのだが――)
どうやら、そうではなかったらしい。
私も、公爵令嬢の不興を買うのは得策ではないと、間違っても顔を合わせないようにと配慮してきたのだが、もっと早く出会えていたら良かったかもしれない。







