四章*悪妻、推しと逃避行をする(2)
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そして、旅行の当日になった。
プラットホームのざわめきのあいだを、初夏の薫風が駆け抜けていく。たくさんの荷物をポーターが運んでいる様子を、カラスが不思議そうに眺めていた。
黒色のボディーに金色のペイントで、「Aster」と列車の名前が書かれている。紫苑の学名を拝借した。
シオン様のために開発していた豪華特急寝台列車である。特急列車は普通の列車より揺れが少なく、速度も速い。
ちなみに、アスターの駆動力となる魔力を凝縮した液体は、ほかの列車より早く走れる特別なものだ。アスターの分だけは魔塔で私がひとりで作っているため、多くは作れないのが難点である。
「目的地の最近駅ができたばかりのハルニレ山脈には列車内で三泊四日することになります」
黒々とした車体には、目を細めて列車を眺めるシオン様の姿が映り込んでいる。髪を気にするシオン様はフードを目深に被っている。原作の失踪時と同じ姿だ。
「補充の関係から、目的地に着くまで二回停車します。停車時には、降車して観光も可能です。もちろん、車内でのんびり過ごすこともできますよ」
「宿泊は全部車内か?」
シオン様は列車に向けていた視線を私に向けた。
「基本のプランでは、一泊目は車内泊、二泊目以降は停車地のホテルを用意していますが、私たちは特別なので車内に宿泊することもできますわ」
「ホテルはループス商会のものなのか?」
シオン様に尋ねられ、私は思わず笑顔になる。
「そうなんです! おかげでガッポリ稼げるという寸法ですの!」
シオン様は微笑ましいものでも見るような目で私を見る。
私は少し恥ずかしい思いで説明を続けた。
「……えー。コホン! ハルニレ山脈のリゾート地に到着したあと、ほかの乗客たちはそこで一週間ほど過ごしてから同じ列車で帰るのが基本プランです。でも、私たちはさらに登山列車を乗り継いで、山の中のコテージ風のホテルに向かおうと思っています。ひと組しか受け入れないので自由に過ごせるかと」
シオン様はソレを聞き安心したかのように頷いた。やはり、人目を気にしていたのだろう。
「私たちは、一ヶ月ほど滞在するのだったな」
「ええ、薬草を探さなければならないので」
薬草を名目に滞在期間を延ばし、王都のパレード騒ぎが完全に終わってから帰宅するという寸法だ。
「ふたりきりでコテージか。伸び伸びできそうだ」
シオン様がニコリと微笑み、私はバキュンと胸を打ち抜かれた。
(ふ、ふたりきり! たしかにそうなんだけど、シオン様から改めて言われると、ドキドキが止まらないわ……!)
心臓を押さえつつ、言い訳するように付け加える。
「コテージ風とはいえ、良質なスタッフがおります……ので、正確にはふたりきり……ではないんですけど……」
私がしどろもどろに付け加える。
「良質なスタッフか。安心だな」
シオン様が意味深に微笑む。
(え? なに? なにその微笑み!! 危険な香りがするわ……)
クラリと眩暈を感じた瞬間、カラスが呆れたように「カー」と鳴いた。私は我に返る。
「では、車内をご案内しますね」
私たちは豪華寝台列車に乗り込み、デラックススイートに向かう。
「さあ、シオン様。こちらにどうぞ」
私はシオン様を室内に案内する。
デラックススイートは、列車の先頭車両だ。車両の前方はガラス張りになっており、景色がふんだんに楽しめる。暖炉のある室内に、ソファーも家具もセレスタイト公爵家御用達の家具職人に手作りさせたものを設置している。最上級のベッドに浴室付きで、使用人の控える部屋もある。
「これは……すごいな……」
シオン様は目を見開いて感嘆した。
「このガラスはどうやって作ったのだ。強度は?」
好奇心旺盛で勉強熱心なシオン様はそこかしこに興味津々である。
「この豪華寝台列車は、今日が初めての運行です。私たちが、このデラックススイートをはじめて使う客になるんですよ」
ドヤ顔で自慢すると、シオン様は柔らかく微笑んだ。
「そうか。ありがとう。ルピナ」
シオン様から礼を言われて、私は心臓を押さえその場に膝をついた。
(っ! く、かっこかわいい……!!)
シオン様はそんな私に手を差し伸べる。
「ルピナ、どうした?」
「い、いえ。なんでも。技術的な詳しいことは私にはわからないので、あとで技術者に説明させますね」
「いや、そういうことは帰ってからでいい」
シオン様が当たり前のように答え、私はジーンと感動する。
(シオン様が……シオン様が、ちゃんと帰ろうと思ってくれている!)
いつも心の片隅では、シオン様が消えてしまうのではないかと不安がくすぶっている。夜空に溶けてしまいそうなシオン様には、儚げな雰囲気があるのだ。
「帰ってから……そうですね。帰ってからでいいですね。今は旅を楽しみましょう!」
「ああ」
「デラックススイート宿泊者は、車内のサービスが全部無料なんです。だから、遠慮なく好きなものを食べて、好きなことをしてくださいませ」
私が提案すると、シオン様は静かに頷いた。
「では、室内の説明をしますわ! 今いるところがリビングです。暖炉も使えます。こちらは書斎で本棚の本はご自由にお使いください。そして浴室、湯船にも入れます。寝室は――」
私は寝室のドアを開いて硬直した。
中にはワイドキングサイズのベッドが置かれており、ベッドの中央にはプルメリアの花でハートが描かれていたからだ。
私は慌ててドアを閉めた。
(! そうだった!! デラックススイートのベッドはワイドキングにしたんだった――!!)
豪華寝台列車を企画していた時点では、シオン様と私が一緒に宿泊するつもりはなかったため、すっかり失念していた。
「どうした?」
シオン様は怪訝そうな顔をして、私が閉めたドアに手をかける。
「っあっと、その、スタッフの手違いで、ちょっと、その、待って、あとで」
私はドアを押さえると、シオン様はドアから手を放した。
(あ、あんまり興味なかったのね。良かった……)
ホッとしてドアノブから手を放すと、シオン様はその隙にドアノブに手をかけ開く。
「あ! あぁぁぁぁぁぁ……!」
私は思わず絶叫した。
シオン様は無言で目を見開く。
そしてベッドのハートを確認すると、顔を赤らめドアを閉めた。
パタンとドアが鳴り、いたたまれない。
「……」
「……」
気まずく、ふたりで無言になってしまう。
ガタンゴトンと線路を走る音が響く。
警笛が鳴らされたのは、シカでも飛び出してきたのだろうか。
「……あの、わざとじゃないんです。ちゃんとわかってます! スタッフが勘違いしたみたいで。いや、夫婦だから勘違いじゃないですね私の申し送り忘れでああああなんでちゃんと確認しなかったんでしょう最悪だわ私最低よ」
恥ずかしさと焦りでグルグルと視線が定まらない。汗が滝のように流れる。
「私たちの結婚は契約で、愛なんかなくて。だから、その……、私、私、リビングで寝ます! ソファーは大きいですし! シオン様を襲ったりしません!!」
私が慌てて弁明すると、シオン様はプッと噴き出した。







