三章*悪妻、推しを退職させる(6)
「おふたりとも聞きまして?」
フフンと鼻を鳴らして、見くだすように思いっきりのけぞった。
ローレンス殿下とエリカは慌てた様子でシオン様に詰め寄る。
「なんと言って脅されたんだ!」
「洗脳でもされているんですか?」
ふたりは深刻な顔をしてシオン様に尋ねる。
「脅迫も洗脳もされていない。私が自らルピナ嬢の夫となった」
キッパリと言い切るシオン様が凜々しくて、私は鼻血が出そうでヒヤヒヤである。
「なぜだ! シオン!!」
「嘘ですよね? だって、指輪の連絡が途絶えたってことは、監禁されていたのでしょう? 本当に望んで結婚したならそんなことはないはずです!」
エリカは自分の左手をシオン様に見せつけた。シオン様の指輪の隣には、ローレンス殿下が贈った婚約指輪が輝いている。
シオン様はそれを見て、眉根を寄せた。
私は苦々しく思う。
(本当に無神経……。ふたつ並んだ指輪を見て、シオン様がどう思うか想像もつかないの?)
私はシオン様が傷ついていないかと、チラリと横顔を盗み見た。
シオン様は小さくため息をつくと、エリカの左手を取った。
エリカは安心したようにホッとため息をつき、頬を赤らめる。
「……やっぱり、先生は不本意だったんですね」
私は俯いた。
「いや、違う。私の意志だ」
シオン様はそう言うと、エリカの指から指輪を引き抜いた。そして、自分の指輪も引き抜くと、魔法でふたつの指輪を宙に浮かし、指を鳴らした。
指が鳴ると同時に、指輪はバラバラに砕ける。
キラキラと輝く星屑のように、指輪は粉々になって床に散らばった。
(シオン様にとって大切な指輪なはずなのに!)
私はその様子が信じられずに息を呑んだ。
原作の中ではシオン様が、エリカの絆を感じる大切なアイテムだったのだ。ときおり指輪に口づけては、エリカを思っていた描写があったはずだ。
「っ! 先生!!」
エリカは顔面蒼白になるが、ローレンス殿下はホッと頬を緩ませた。
「王子の婚約者が外部と通信できる魔導具をつけているとわかったら、あらぬ疑いをかけられる。だから私から通信を遮断したのだ。君も王子の婚約者として自覚を持ったほうがいい」
突き放すような声色に、エリカはヒュッと息を呑んだ。
「たしかに、シオンの言うとおりだな」
ローレンス殿下は満足げだ。
事実原作漫画では、その指輪が原因で一波乱あるのだが、このタイミングで壊せばそのフラグもおれるだろう。
「これで納得してくれたか。結婚と退職は私の意志だ」
シオン様の言葉に、エリカは呆然とし、ローレンス殿下は食ってかかる。
「信じられない! なんでこんな悪女を選ぶ!」
悪態をつくローレンスに、シオン様は呆れたような目を向けて、静かにため息をついた。
そして、優しげな瞳でこちらを見て、静かに私の肩を抱いた。
信じられない行動に、私は息を止めて硬直した。
シオン様はそんな私を安心させるかのように微笑んでから、ローレンスにキッパリと答えた。
「彼女が悪女とは私は思わないからだ」
毅然とした物言いに、私のほうがビックリする。
「は?」
思わず真顔でシオン様を見上げてしまう。
シオン様は私に振り返ることもなく、淡々と言葉を続けた。
「彼女はたしかに常識に捕らわれないところがある。行動も少し強引だ。しかし、やっていること自体は悪いことではない」
「馬鹿な! あの神聖なる新大聖女誕生パーティーを荒らしておいて……」
「そもそも、ローレンス殿下があの場で婚約破棄など言い出さなければ、あのようなことはおこらなかった」
「俺のせいか? 王子である私の恋人が大聖女になったのだ。悪女と呼ばれる女より、大聖女を王子妃に迎えるほうが国のためになる」
「婚約者がいるのに恋人を作ることは正当化されない。それに、婚約破棄をするにも、あの場でおこなう必要はないはずだ。事前に手続きを済ませてから、正式な婚約者としてエリカと入場すればよかったのでは?」
シオン様の指摘に、ローレンス殿下はぐうの音も出ない。
「でも! ああでもしないと婚約破棄できなかったはずです!」
エリカが口を挟むと、シオン様が困ったようにローレンス殿下を見る。
シオン様はローレンス殿下の影の側近だ。私が何度もローレンス殿下に婚約破棄を持ちかけていたことを知っているのだ。
ローレンス殿下は気まずそうに、咳払いをした。
どうやら自分からは真実を話す気はないらしい。
「違いますよ。王家の都合でなされた婚約です。私は子供のころから何度も、何度も、なーんども!! 婚約破棄の申し入れをしています。そのたびに、縋るような手紙を送ってきたのは殿下のほうですわ。証拠がほしければお見せしますけど」
私の言葉に、ローレンスは顔を赤くして慌てる。
「! あんなものを取っておいたのか!!」
「当たり前です。代筆しているのはシオン様でしょう? シオン様の文字で書かれたものですもの。大切な宝物ですわ」
フンスと力説すると、シオン様が小さく噴き出した。
(推しが噴いた! 私の推しが噴いた!)
感動に浸っていると、ローレンス殿下が茫然とする。
「知っていたのか……」
「いや、逆になぜバレないと?」
「シオンの字など見ることなどないだろう?」
「いえ? 見ますが? 網膜に焼き付けますが?」
私の答えに、エリカは怯えている。
シオン様も顔を曇らせた。たしかに少し気味が悪いかも知れない。
私はコホンと咳払いをした。
「……いえ、ローレンス殿下の字ではないことは明らかだったので、調べさせたのです」
ローレンス殿下の字は大きくて力強く堂々としている。
対するシオン様の文字は繊細で美しい嫋やかなものなのだ。
「ともかく! シオン様からの言葉を聞きましたよね? お引き取りください」
私はローレンス殿下を押し出した。
「シオン! 本当に宮廷魔導師をやめるのか!」
未練がましくも尋ねるローレンス殿下。
シオン様はゆっくりと頷いた。
「殿下はお気づきでしたか? 同期の中で私だけが未だに下級魔導師だ。無能な私は不要でしょう?」
淋しげに微笑むシオン様に、私の心はキュンとなる。
「しかし、ルピナ嬢は私の才能が必要だと言ってくれた。必要としてくれる人がいるのなら、そこで力を使いたい」
「俺だって、お前が必要だ!」
「私もです! 先生」
ふたりの言葉にシオン様は微笑んだ。
「ありがとう。ふたりは私にとっても大切な友人だ。私が宮廷魔導師をやめたとしても、それに変わりはない」
シオン様の言葉にふたりは茫然とした。
シオン様が宮廷魔導師をやめてしまったら、今までのようには気軽に頼み事ができなくなってしまうと思っているのだ。
「お前は王宮に必要だ! 今から俺が……」
シオン様は緩く首を振った。
「ローレンス殿下が無理を通せば、私の立場も悪くなる。私情を挟んだと、殿下の評判も落ちるでしょう」
そこまで言われたら、ローレンス殿下は引き下がるしかない。
(そもそもそんなに大切なら、ちゃんと地位を保証してやればよかったのよ!)
私は思う。
魔術部門で理解が得られないのなら、自分の秘書なり特別魔導師なりに指名してやればよかったのだ。それをしなかったのは、やはり他人の目を気にしたからだろう。
もしかしたら、どうせどこでも評価されないとシオン様を侮っていたのかもしれない。
反論できずに唸るふたりを、私はドアへと押し出した。
「さぁ、さぁ、お帰りは向こうです。今回の無礼は見て見ぬふりをして差し上げますから、早々にお引き取りください」
そう言ってふたりを押し出すと、ドアを閉めた。







