表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/19

8話 梨花の壊れる日 #見られないともうイけない

◇ マニュアルキチガイ


──鏡の前で、顔をつくる。

何度やっても、「この顔じゃダメ」って思ってしまう。


インフルエンサーの投稿を見比べながら、

Snapseed、SODA、Snapseed、SODA──

ただ、リテイクを繰り返す。


小顔に。目を大きく。

でも鏡の自分と違いすぎて、混乱する。

フィルターで輪郭がぼやけて──「誰?」

肌はなめらかになった。でも、“作り物”すぎる。


なんかもう、ぜんぶ……気味が悪かった。


(……正解を間違えたら、全部、壊れる)



■ Phase 7. マニュアル指示女


(あー……みんな盛れてないな。研究、甘いんじゃない?)


「次の投稿、この構図がバズってたよ」

「この子のポーズ、真似してみて」

「ダメダメ、その角度、光が入らないって」


▶ 写真リテイク:11回

▶ フィルター変更:15種

▶ キャプション修正:8回


写真:女子3人で集合写真

本文:今日はみんなで #夏ガール♡角度は45度が最強!?


♡:380

コメント:「可愛いけど、友達が見切れてて草」「加工濃くない?自分だけ(笑)」


(……なんで、♡が伸びないの)


「次、梨花ちゃんね〜」という声が、ちょっと冷たく聞こえる気がしてた。

「かわいい〜」の声にも視線は合わせてくれなかった。

「写真送るね」と言われたデータは、まだ届かない。


「梨花ってさ、なんか最近……」

そんな陰口が聞こえても、私は止まれなかった。


通知が鳴るたびに、息ができる気がした。


ブッブッ。


♡がついて、DMが届いて。

それが“人気者”の証だった。


――でも、そのときは通知はなかった。


最近は、通知のないスマホが、常に振動している気がしてた。


(分かってる。好かれてるんじゃない……でも……)


「私にはこれしかないの……」



■ Phase 8. 強迫化と承認依存の暴走


通知が来ない時間が、怖くなった。

シャワー中もスマホを持ち込むようになった。


「♡1分以内」が成功の基準。

ごはん中も、ポストの文章を組み立てる。


▶ 写真リテイク:17

▶ フィルター回数:23

▶ ポスト修正:14


(この一文で、好かれるかどうかが決まる)


写真:浴衣姿(帯の後ろでうしろ手、斜め振り返り)

本文:一瞬でも、私のこと“ほしい”って思ってくれたら、いいのに。


♡:420

DM:「ゆーこちゃん欲しいよ♡」「いつも見てるよ。返事待ってます。」


DMは急増した。でも、♡は伸びなかった。


(もっとエグいのじゃなきゃ、もう誰も見てくれないのかも)


梨花は、DMには返事をしなかった。

♡もDMも──満たしてはくれないことは、もう分かっていた。

けれど、それをやめる勇気なんて、どこにもなかった。

目を閉じても、スマホの光が残っていた。



(……置いていかないで)



■ Phase 9. 裏グループ


ある日、みんなでファミレスにいたとき。

男子のスマホがテーブルに置きっぱなしだった。

ふと視線が落ちたその先で──見つけてしまった。


──裏グループ。


自分の投稿のスクショ。

DMでのやりとり。

痛々しいポストの修正前。

加工前後の比較写真。


「あれ……これ、私……?」


──────────


「最近の梨花、加工えぐくね?」


「もはや別人すぎて草」


「てか男子これ見て。裏垢で釣ってDMさせた(笑)」


「え、ふつーに引いた。鬼畜ぅ!w」


「これ、男子とかめっちゃ保存してそう(笑)」


「うん。逆にアリ。これエロすぎじゃね?w」


「いや、もう顔バグってね?宇宙人みたいで怖いんだけど」


「マジでうざい。自分のことだけ可愛いと思ってそうな感じ」


「いやでもさ、加工で誰でもイケるしな~」


「自覚ないのが逆にキツいわ」


──────────


──その横に並んだ、笑う絵文字たち。


手が震えた。視界が滲んだ。

頭の中で、言葉が切れる。思考が飛ぶ。


「なんで……私、キモい……?うざ……かわいい……?」


スクロールする指が止まらない。

頭が真っ白だった。


あたし、がんばってたのに。

がんばってた……のに。


──何もかも、終わってしまった。



■ Phase 10. 投稿停止


その夜、スマホは黙ったままだった。

でも、音が聞こえた。


「ごめんね音」


私は、鳴った気がした通知音に名前を付けていた。



写真:なし(真っ黒な背景)

本文:「みんなの“いいね”って、どこまで信じていいのかな。今日は、何も撮れなかった。」


♡:20

コメント:なし


壁のシミが、♥に見えた。


それきり、ポストはやめた。

音楽も、コスメも、LINEも──全部ミュートにした。

いつものカフェも、クラスの会話も、通知を全部切った。


(もう、ネタを探さなくていい)


少しだけ、安心した。


スマホの画面は黒いまま。

ベッドの上で膝を抱え、じっと一点を見つめていた。


(でも、止めちゃったら……なにが残るの?)


“女”になる前に戻りたかった。

ただ、名前を呼ばれただけで、うれしかった、あの頃へ。


(ふふ……ゆーき。あいさつしても、「おっ」しか言えなかったね)


でも、欲望という感覚を、もう知ってしまった。

少女に戻ることはできなかった。

けれど、完璧な女の仮面を外した私は、気持ち悪いままだった。

もう──どこにも戻る場所なんてない……


鏡に立つ。

映っているのは、名前のないわたし。


“梨花”という名前が、急に遠く感じた。

現実が、遠ざかっていく。

手足を見つめても、自分の身体とは思えなかった。


(消したいのは、アカウントじゃない。私)


涙が止まらなかった。

通知は切ったはずなのに、指先はロック画面をスワイプしていた。

まぶたを閉じても、その裏に「ごめんね音」が響いていた。


次の朝まで、私は誰のことも思い出せなかった。自分さえも。



──何もないことに、やっと安心した。



◇ 何もないまま。自分も光も。



視線を感じた。

誰もいないのに、どこかから見られている。

鏡の中、扉の向こう、手すりの隙間。

“何か”が、確実にこちらを向いている。


視線の先に、黒髪の自分がいた。

唇が素のままで、すっぴんな顔が笑っていた。


(……もう、いないんだね)


鏡の中の“彼女”は、微笑んだ。

とても優しく、決定的に“他人”の笑顔だった。





──部屋の天井は、もう何も語ってくれなかった。

時間が止まったように、ただ白かった。

真夜中。何日目かもわからない欠席。

誰のLINEも来ない。通知は、もう震えない。


梨花は、布団の中で丸まっていた。

裸ではないけれど、着ているものが「皮膚」ではない感覚。

自分の脚が、自分のものでない気がした。

動かそうとしても、ただそこにあるだけだった。


眠ったのか、気絶したのか、その境界が崩れた頃。

夢は、静かに、始まっていた。


「……あ」


──血のように赤い床。

そこに、少女の腕が転がっていた。

肘から先だけ。切断面から、まだ体温の残る血が滴っている。


「……あれ…うち、なに…これ…」


自分の声なのに、他人のようだった。


次に見えたのは、脚。

白い肌、ほっそりとした太もも。

脚を拾い上げてみる。軽い。冷たい。


それは、梨花が少女であったときの身体。


──ウチ、ごめんね……





──夢は続いた。もっと深くへと。


赤ん坊が泣いていた。

薄暗い部屋の中、ベビーベッドの隅で。

誰かが「ママ」と泣いてる。

何度も、何度も。


梨花は、立っていた。

でも、その声に、その声を聞いて、泣きたくなるのに、

返事をしなかった。できなかった。


(私、もう……ママには、なれない)


その泣き声を聞きながら、子供の手を取るどころか――捨てた。

腕も脚もない、親を失ったマネキンのような子にして、

その存在を“なかったこと”にした。


頑張った。頑張ったけど、ダメだった。

たくさん♡をもらったけど、私、うざいだけだったよ……

私、自分のことも何もできないのに、子供なんて育てられない。


誰にも見られなかった証拠。

何も育てない身体。


──黒い子宮。





床の上に体を伸ばしたら、腰の下に広がっていた血の流れ。

バラバラになった指、脚、胸、声、視線、唇、そして、心。

自分の手で、切り取られた「足首」を押し付けていた。

なにも痛くない。

だけど、汗は止まらなくて、首は振るえつづけて、

しかも、脚の光る美しさに見とれている。


ひとつの映像が再生された。

スマホの画面。

居酒屋のあの夜。

膝に座った自分。

媚びた声、作った笑顔、突き出した唇。


(……これ、ワタシ……)


そこに写っていた女は、確かに“梨花”だった。

誰からも求められない身体。


──だが、視られていた。


鏡の中の黒髪の自分が。

唇の端を引きつらせて、引き裂くように笑いながら。


「お前じゃない」


鏡の中の”梨花”がつぶやいた。

笑ったまま、口だけが動いた。

耳をふさいでも聞こえた。

首を振って、思いながら、どこかで聞いた音を返す。


「……ああ、正しいんだ。もう何もない」


──その瞬間、梨花は全身が紅潮して跳ねた。


息が荒く、全身から汗が噴き出していた。快楽ではなかった。

ただ、自分が焼けて崩れた音が、強烈に響いただけだった。

まるで、焼けた神経が最後に震えるように。

“誰にも見られていない”と気づいた、

その瞬間に──────────




(だれ……?)


そこには、ゆーきが浮かんでいた。

でも──顔には、光がなかった。

まなざしが宿らない顔。

ただ“こちら”に向いているだけで、

見ていないし、照らしてもくれない。

それでも、その手だけが──

熱を持たずに、伸びていた。


(もう、笑ってくれないんだね……)


それでも──安心した。


手を伸ばせば、届く距離だった。

だけど、手を伸ばすことはできなかった。


誰にも気が付かなければ――何もないままでいられるから……

何も、ないまま。自分も光も。



◇ それだけで生きていける気がしたの


梨花は、自分を見失った。

あの夜から、何もかもが壊れてしまった。


「女になった」 そう思ったけど、

「女になれなかった」と悟った。


「人気者」に慣れたと思ったけど、

「うざかっただけ」だと悟った。


動画とSNSに残った自分の顔が、気持ち悪かった。


(……どこにも、ない。あるのは梨花の身体だけ)


――――――――――


最初は、眠れなくなった。

次に、起き上がれなくなった。

誰にも見られないことだけが、唯一、現実だった。


そして──

梨花は、毎晩、身体を慰めるようになった。


指先が、勝手に動いた。

脚を閉じていても、熱が漏れ出した。

息があがって、胸が跳ねて、

その先にある“かたち”のない衝撃だけが、

「梨花」を繋ぎとめるものになっていった。


でも、それだけでは足りなかった。


何かが「視ている」必要があった。

誰もいない部屋の中、

スマホのカメラを向けて、録画をつけて、

“自分が見られているフリ”をしていなければ、

梨花は、自分に触れることすらできなかった。


(視てる?今……見られてる?)

(……ねえ、ダメ、見ないで……)


濡れた音と、息遣いと、うっすら響く、

黒髪の梨花のあの声。


「お前じゃない」


──それだけが、唯一の興奮だった。


「もっと、みて……」

「もっと、わたしを……けなして……」


――――――――――


ある日、梨花は街の隅にいた。

制服は着ていたが、何日も洗っていない。

目の下にクマをつくり、口紅だけが濃かった。


その姿で、コンビニの裏にいた少年たちに声をかけた。

喫煙所、廃ビル、ラブホテルの駐車場。

どこでもよかった。


「ねえ、ウチ、いるだけで、ムラムラするって思わん?」

「ねえ、いいよ。なんでもして」

「ねぇ、私をぶって」


笑ってた。

相手の反応があれば、それだけで生きていけた。

「女として扱われてる」っていう証拠がほしかった。


手が頬を叩いた。

髪をつかまれた。

殴られて、声を求められた。


そのたびに、梨花の身体は震えた。

痛いのに、気持ちよかった。

気持ちいいのに、泣きそうだった。


「もっと、わたしを、ののしって……」

「もっと、わたしを、こわして……」

「わたし……いきてるって、かんじるの……」


――――――――――


日が変わっても、世界は何も変わらなかった。

ただ、梨花の中だけが、溶けていった。


学校には戻れなかった。

家でも、もう“梨花”という名前で呼ばれることはなかった。

ただの、“そこにあるもの”。


目が合えば、誰かに責められている気がした。

笑えば、誰かに壊されている気がした。


それが、心地よかった。

誰でもよかった。

名前も、顔も、もうどうでもよかった。


傷跡にリップを塗った。

痣の上にファンデーションを重ねた。

その上から、ハイライトを強く入れた。


(これを塗れば、また知らない何かになれる)


鏡の中で、唇が勝手に笑った。

目は、もう、何も映していなかった。


――――――――――


どこへ行ったのか、誰も知らなかった。

梨花は、夜の街で、壊れ続けた。

自分という存在が消えていくのが、

“生きている証拠”をつないでいた。


──なにかが欠けていくたびに、

「自分」が透けていくような気がして、

彼女は、少しだけ笑った。



それだけで、生きていける気がしたの。

次回 ゆーきの地獄


https://x.com/YondeHoshino/bio

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ