8話 梨花の壊れる日 #見られないともうイけない
◇ マニュアルキチガイ
──鏡の前で、顔をつくる。
何度やっても、「この顔じゃダメ」って思ってしまう。
インフルエンサーの投稿を見比べながら、
Snapseed、SODA、Snapseed、SODA──
ただ、リテイクを繰り返す。
小顔に。目を大きく。
でも鏡の自分と違いすぎて、混乱する。
フィルターで輪郭がぼやけて──「誰?」
肌はなめらかになった。でも、“作り物”すぎる。
なんかもう、ぜんぶ……気味が悪かった。
(……正解を間違えたら、全部、壊れる)
■ Phase 7. マニュアル指示女
(あー……みんな盛れてないな。研究、甘いんじゃない?)
「次の投稿、この構図がバズってたよ」
「この子のポーズ、真似してみて」
「ダメダメ、その角度、光が入らないって」
▶ 写真リテイク:11回
▶ フィルター変更:15種
▶ キャプション修正:8回
写真:女子3人で集合写真
本文:今日はみんなで #夏ガール♡角度は45度が最強!?
♡:380
コメント:「可愛いけど、友達が見切れてて草」「加工濃くない?自分だけ(笑)」
(……なんで、♡が伸びないの)
「次、梨花ちゃんね〜」という声が、ちょっと冷たく聞こえる気がしてた。
「かわいい〜」の声にも視線は合わせてくれなかった。
「写真送るね」と言われたデータは、まだ届かない。
「梨花ってさ、なんか最近……」
そんな陰口が聞こえても、私は止まれなかった。
通知が鳴るたびに、息ができる気がした。
ブッブッ。
♡がついて、DMが届いて。
それが“人気者”の証だった。
――でも、そのときは通知はなかった。
最近は、通知のないスマホが、常に振動している気がしてた。
(分かってる。好かれてるんじゃない……でも……)
「私にはこれしかないの……」
■ Phase 8. 強迫化と承認依存の暴走
通知が来ない時間が、怖くなった。
シャワー中もスマホを持ち込むようになった。
「♡1分以内」が成功の基準。
ごはん中も、ポストの文章を組み立てる。
▶ 写真リテイク:17
▶ フィルター回数:23
▶ ポスト修正:14
(この一文で、好かれるかどうかが決まる)
写真:浴衣姿(帯の後ろでうしろ手、斜め振り返り)
本文:一瞬でも、私のこと“ほしい”って思ってくれたら、いいのに。
♡:420
DM:「ゆーこちゃん欲しいよ♡」「いつも見てるよ。返事待ってます。」
DMは急増した。でも、♡は伸びなかった。
(もっとエグいのじゃなきゃ、もう誰も見てくれないのかも)
梨花は、DMには返事をしなかった。
♡もDMも──満たしてはくれないことは、もう分かっていた。
けれど、それをやめる勇気なんて、どこにもなかった。
目を閉じても、スマホの光が残っていた。
(……置いていかないで)
■ Phase 9. 裏グループ
ある日、みんなでファミレスにいたとき。
男子のスマホがテーブルに置きっぱなしだった。
ふと視線が落ちたその先で──見つけてしまった。
──裏グループ。
自分の投稿のスクショ。
DMでのやりとり。
痛々しいポストの修正前。
加工前後の比較写真。
「あれ……これ、私……?」
──────────
「最近の梨花、加工えぐくね?」
「もはや別人すぎて草」
「てか男子これ見て。裏垢で釣ってDMさせた(笑)」
「え、ふつーに引いた。鬼畜ぅ!w」
「これ、男子とかめっちゃ保存してそう(笑)」
「うん。逆にアリ。これエロすぎじゃね?w」
「いや、もう顔バグってね?宇宙人みたいで怖いんだけど」
「マジでうざい。自分のことだけ可愛いと思ってそうな感じ」
「いやでもさ、加工で誰でもイケるしな~」
「自覚ないのが逆にキツいわ」
──────────
──その横に並んだ、笑う絵文字たち。
手が震えた。視界が滲んだ。
頭の中で、言葉が切れる。思考が飛ぶ。
「なんで……私、キモい……?うざ……かわいい……?」
スクロールする指が止まらない。
頭が真っ白だった。
あたし、がんばってたのに。
がんばってた……のに。
──何もかも、終わってしまった。
■ Phase 10. 投稿停止
その夜、スマホは黙ったままだった。
でも、音が聞こえた。
「ごめんね音」
私は、鳴った気がした通知音に名前を付けていた。
写真:なし(真っ黒な背景)
本文:「みんなの“いいね”って、どこまで信じていいのかな。今日は、何も撮れなかった。」
♡:20
コメント:なし
壁のシミが、♥に見えた。
それきり、ポストはやめた。
音楽も、コスメも、LINEも──全部ミュートにした。
いつものカフェも、クラスの会話も、通知を全部切った。
(もう、ネタを探さなくていい)
少しだけ、安心した。
スマホの画面は黒いまま。
ベッドの上で膝を抱え、じっと一点を見つめていた。
(でも、止めちゃったら……なにが残るの?)
“女”になる前に戻りたかった。
ただ、名前を呼ばれただけで、うれしかった、あの頃へ。
(ふふ……ゆーき。あいさつしても、「おっ」しか言えなかったね)
でも、欲望という感覚を、もう知ってしまった。
少女に戻ることはできなかった。
けれど、完璧な女の仮面を外した私は、気持ち悪いままだった。
もう──どこにも戻る場所なんてない……
鏡に立つ。
映っているのは、名前のないわたし。
“梨花”という名前が、急に遠く感じた。
現実が、遠ざかっていく。
手足を見つめても、自分の身体とは思えなかった。
(消したいのは、アカウントじゃない。私)
涙が止まらなかった。
通知は切ったはずなのに、指先はロック画面をスワイプしていた。
まぶたを閉じても、その裏に「ごめんね音」が響いていた。
次の朝まで、私は誰のことも思い出せなかった。自分さえも。
──何もないことに、やっと安心した。
◇ 何もないまま。自分も光も。
視線を感じた。
誰もいないのに、どこかから見られている。
鏡の中、扉の向こう、手すりの隙間。
“何か”が、確実にこちらを向いている。
視線の先に、黒髪の自分がいた。
唇が素のままで、すっぴんな顔が笑っていた。
(……もう、いないんだね)
鏡の中の“彼女”は、微笑んだ。
とても優しく、決定的に“他人”の笑顔だった。
◇
──部屋の天井は、もう何も語ってくれなかった。
時間が止まったように、ただ白かった。
真夜中。何日目かもわからない欠席。
誰のLINEも来ない。通知は、もう震えない。
梨花は、布団の中で丸まっていた。
裸ではないけれど、着ているものが「皮膚」ではない感覚。
自分の脚が、自分のものでない気がした。
動かそうとしても、ただそこにあるだけだった。
眠ったのか、気絶したのか、その境界が崩れた頃。
夢は、静かに、始まっていた。
「……あ」
──血のように赤い床。
そこに、少女の腕が転がっていた。
肘から先だけ。切断面から、まだ体温の残る血が滴っている。
「……あれ…うち、なに…これ…」
自分の声なのに、他人のようだった。
次に見えたのは、脚。
白い肌、ほっそりとした太もも。
脚を拾い上げてみる。軽い。冷たい。
それは、梨花が少女であったときの身体。
──ウチ、ごめんね……
◇
──夢は続いた。もっと深くへと。
赤ん坊が泣いていた。
薄暗い部屋の中、ベビーベッドの隅で。
誰かが「ママ」と泣いてる。
何度も、何度も。
梨花は、立っていた。
でも、その声に、その声を聞いて、泣きたくなるのに、
返事をしなかった。できなかった。
(私、もう……ママには、なれない)
その泣き声を聞きながら、子供の手を取るどころか――捨てた。
腕も脚もない、親を失ったマネキンのような子にして、
その存在を“なかったこと”にした。
頑張った。頑張ったけど、ダメだった。
たくさん♡をもらったけど、私、うざいだけだったよ……
私、自分のことも何もできないのに、子供なんて育てられない。
誰にも見られなかった証拠。
何も育てない身体。
──黒い子宮。
◇
床の上に体を伸ばしたら、腰の下に広がっていた血の流れ。
バラバラになった指、脚、胸、声、視線、唇、そして、心。
自分の手で、切り取られた「足首」を押し付けていた。
なにも痛くない。
だけど、汗は止まらなくて、首は振るえつづけて、
しかも、脚の光る美しさに見とれている。
ひとつの映像が再生された。
スマホの画面。
居酒屋のあの夜。
膝に座った自分。
媚びた声、作った笑顔、突き出した唇。
(……これ、ワタシ……)
そこに写っていた女は、確かに“梨花”だった。
誰からも求められない身体。
──だが、視られていた。
鏡の中の黒髪の自分が。
唇の端を引きつらせて、引き裂くように笑いながら。
「お前じゃない」
鏡の中の”梨花”がつぶやいた。
笑ったまま、口だけが動いた。
耳をふさいでも聞こえた。
首を振って、思いながら、どこかで聞いた音を返す。
「……ああ、正しいんだ。もう何もない」
──その瞬間、梨花は全身が紅潮して跳ねた。
息が荒く、全身から汗が噴き出していた。快楽ではなかった。
ただ、自分が焼けて崩れた音が、強烈に響いただけだった。
まるで、焼けた神経が最後に震えるように。
“誰にも見られていない”と気づいた、
その瞬間に──────────
(だれ……?)
そこには、ゆーきが浮かんでいた。
でも──顔には、光がなかった。
まなざしが宿らない顔。
ただ“こちら”に向いているだけで、
見ていないし、照らしてもくれない。
それでも、その手だけが──
熱を持たずに、伸びていた。
(もう、笑ってくれないんだね……)
それでも──安心した。
手を伸ばせば、届く距離だった。
だけど、手を伸ばすことはできなかった。
誰にも気が付かなければ――何もないままでいられるから……
何も、ないまま。自分も光も。
◇ それだけで生きていける気がしたの
梨花は、自分を見失った。
あの夜から、何もかもが壊れてしまった。
「女になった」 そう思ったけど、
「女になれなかった」と悟った。
「人気者」に慣れたと思ったけど、
「うざかっただけ」だと悟った。
動画とSNSに残った自分の顔が、気持ち悪かった。
(……どこにも、ない。あるのは梨花の身体だけ)
――――――――――
最初は、眠れなくなった。
次に、起き上がれなくなった。
誰にも見られないことだけが、唯一、現実だった。
そして──
梨花は、毎晩、身体を慰めるようになった。
指先が、勝手に動いた。
脚を閉じていても、熱が漏れ出した。
息があがって、胸が跳ねて、
その先にある“かたち”のない衝撃だけが、
「梨花」を繋ぎとめるものになっていった。
でも、それだけでは足りなかった。
何かが「視ている」必要があった。
誰もいない部屋の中、
スマホのカメラを向けて、録画をつけて、
“自分が見られているフリ”をしていなければ、
梨花は、自分に触れることすらできなかった。
(視てる?今……見られてる?)
(……ねえ、ダメ、見ないで……)
濡れた音と、息遣いと、うっすら響く、
黒髪の梨花のあの声。
「お前じゃない」
──それだけが、唯一の興奮だった。
「もっと、みて……」
「もっと、わたしを……けなして……」
――――――――――
ある日、梨花は街の隅にいた。
制服は着ていたが、何日も洗っていない。
目の下にクマをつくり、口紅だけが濃かった。
その姿で、コンビニの裏にいた少年たちに声をかけた。
喫煙所、廃ビル、ラブホテルの駐車場。
どこでもよかった。
「ねえ、ウチ、いるだけで、ムラムラするって思わん?」
「ねえ、いいよ。なんでもして」
「ねぇ、私をぶって」
笑ってた。
相手の反応があれば、それだけで生きていけた。
「女として扱われてる」っていう証拠がほしかった。
手が頬を叩いた。
髪をつかまれた。
殴られて、声を求められた。
そのたびに、梨花の身体は震えた。
痛いのに、気持ちよかった。
気持ちいいのに、泣きそうだった。
「もっと、わたしを、ののしって……」
「もっと、わたしを、こわして……」
「わたし……いきてるって、かんじるの……」
――――――――――
日が変わっても、世界は何も変わらなかった。
ただ、梨花の中だけが、溶けていった。
学校には戻れなかった。
家でも、もう“梨花”という名前で呼ばれることはなかった。
ただの、“そこにあるもの”。
目が合えば、誰かに責められている気がした。
笑えば、誰かに壊されている気がした。
それが、心地よかった。
誰でもよかった。
名前も、顔も、もうどうでもよかった。
傷跡にリップを塗った。
痣の上にファンデーションを重ねた。
その上から、ハイライトを強く入れた。
(これを塗れば、また知らない何かになれる)
鏡の中で、唇が勝手に笑った。
目は、もう、何も映していなかった。
――――――――――
どこへ行ったのか、誰も知らなかった。
梨花は、夜の街で、壊れ続けた。
自分という存在が消えていくのが、
“生きている証拠”をつないでいた。
──なにかが欠けていくたびに、
「自分」が透けていくような気がして、
彼女は、少しだけ笑った。
それだけで、生きていける気がしたの。
次回 ゆーきの地獄
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