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14話 黒髪の仮面

◇ 女になる前の最後の記憶


梨花は抜け殻だった。

肌が荒れていて、あばらが少し浮き始めていた。

梨花の母は、帰ってきた梨花をみて、ただ、泣いた…


梨花は、それからしばらく静かに過ごした。

いや、何もできなかっただけだ。


身体が求めてしまうものに、身をまかせていた。

けれど、それは与えられる刺激に、身体が反応しているだけだった。



ねぇ、ゆーき、なんでたすけてくれたの……

ねぇ、ゆーき、なんでぶってくれたの……

ねぇ、ゆーき、なんでなにもいわないままでいてくれるの……

ねぇ、ゆーき、なんで……てをひいたの……



肉体の痛みはもういらなかった。

ゆーきが、消えない痛みをくれたから……





梨花は夢をみた…

夢に出てきたゆーきはのっぺらぼうではなかった。

やさしい眼差しで、手を差し伸べていた。


梨花は手をとった。指先が熱かった……

そのまま、二人は見つめ合い、溶け合うように一つになった。


(……わたし……いきてる……)


さみしかった。誰にも分ってもらえなかった……


でも、この感じ……

思い出した……一人で女になったあの夜の感じ……


(今、感じてる……)


全身が高まり、鼓動加速していく。


(ゆーき……きて……おねがい……)


感覚が溶けた――



――――ッ!!!



梨花は夢の中でまた、気絶した。




ゆーきだった。梨花はゆーきになっていた。


そこはカフェだった。

フィルターで何度も加工を重ねたような、現実よりもキレイに輝く光。

賑やかな店内の片隅で、薄着のゆーこ――梨花がソファーに座って顔を隠していた。


「梨花、みーつけたっ」


「おーそーいー!! 100回かわいいって言うまでゆるさない!」


そう言いながら、梨花は笑みを覗かせた。

梨花の手をとり、立ち上がらせたそのとき――二人は溶け合った。


(どこ行こっか!?)


元気な声が、身体の中から響いてきた。



----



カフェを出ると、そこは薄暗い居酒屋の部屋だった。

じめっとした空気に、油に混ざった汗のにおい。

野球中継の実況だけが、煩く耳に響く部屋の片隅で、

化粧で塗り固めた梨花がうずくまっていた。


「梨花、みーつけたっ」


「……もう、離さない」


妖艶な笑顔を浮かべた梨花が腕を絡ませてきて、また、溶け合った。

蒸せるような、肌の匂いに包まれて、全身に血が駆け巡った。



----



居酒屋を出ると、そこは広い白い部屋だった。

ヨーロッパ風の大きな出窓から温かい日が差し、外には木漏れ日が揺れる自然と青い空が広がっていた。

ベッドにはぬいぐると小さな香水の瓶が並び、片隅には星の形をした鏡が置いてあった。

そして、そのベッドの陰に、女の子が体育座りで隠れていた。


「梨花、みーつけたっ」


「ふふふ、見つかっちゃった」


無邪気な笑顔で飛び込んできた梨花を抱きとめると、そのまま、溶けていった。

さわやかな風が、窓から吹き抜けていった。



----



気が付くと、あたりが静寂に包まれて、白い部屋には鏡だけが残されていた。

そこには、黒髪の自分が静かに佇んでいた。


「ゆーき、待ってるからね」


「あ い し て る」


全身がゆーきの匂いにつつまれて、部屋が光に包まれた。



梨花はまた、夢の中で気絶した。



◇ 黒髪の仮面



目を覚ますと、全てが変わっていた。


不思議と心が落ち着いていた。

遠くまでくっきりと視界が開けたようだった。

どうしようもなかった身体の疼きも治まり、

自己嫌悪でぐちゃぐちゃだった頭も冴えていた。


窓を開けると、冷たくなった11月の風が部屋にこもった空気を入れ替えていく。

遠くに見えるイチョウの街路樹が、まだらに黄色く移ろい始めていた。



「私……透明になったみたい」



だから、余計に気が付いてしまった。あれは、ただの夢だったと。

あの殴りは愛じゃなかった。差し出された愛ではなく、ただ――私を救うためだったと。



「私……空っぽだ」





気がつけば、ドラッグストアにいた。

黒髪染めを手に取っていた。最も暗い黒。


反省なんかじゃない。

ただ、黒く塗りつぶしたかった。

何も見えないように。自分からも、誰からも。


髪は黒くなった。

眼鏡もかけた。

笑わなくなった。


──黒髪の仮面


鏡を見ると、黒髪の女の子が、静かに泣いていた。

もう、何も残ってなかった。


夢で自分を取り戻しても、戻ってきたのは何もない自分。

好きだった音楽も、メイクも、友達とのLINEも、全部ミュートにして、もう何もない。


(ゆーきが、好きだったんじゃないの?)


変わろうとして、失敗した。

変わるたびに、自分が遠くなっていった。

でも──どうして失敗したのかも、分からない。


(なんで──素直になれなかったの……)


もう、話を聞いてくれる人もいなかった。

私は、黒髪の自分を見つめながら、ひとりで泣いた。


けれど、この失敗の身体だけは、どこにも行かなかった。



(……キレイなまま……いなくなっても……いいよね……)



「ゆーき……あ い し て る」



◇ 私をしまう日



梨花は、ベッドの上に座っていた。

何日、こうしていたのか分からない。

カレンダーも見ていなかった。


鏡を見た。

やつれた顔。ぼさぼさの髪。

でも、どこかスッとした目だけが、別人のように澄んでいた。


(もう──いいかな)

(これで、最後にしよう)


お気に入りのワンピースを取り出す。

春に買った、ウエストが絞られた淡いアイボリーのやつ。

これを着た日は、「梨花っぽい」って言われてた。

「大人っぽくて似合ってる」って、

ゆーきも、ちょっと顔が赤くなってた。


丁寧に髪をとかす。

黒く染めた髪は、光にあたると深い藍色に透けて見えた。

少しだけ整えた眉、薄く引いたアイライン、

リップは淡いピンク。今日はギャルメイクじゃない。


「私、今日、かわいい」


ふと口に出したその言葉は、

誰に届くわけでもなかったけど、

自分の中で、すこしだけ本当になった。


母がリビングにいた。

「おかえり」とも「どこ行くの」とも言わなかった。

ただ、目が合った瞬間──ほんの少し、涙が滲んでいた。


「おかあさん、行ってきます」


そう言って、まるで何もなかった日のように、笑った。


母は言葉を飲み込んで、頷いた。

たぶん、こう思ったんだろう。

「やっと外に出られたんだね。よかったね」って。


玄関を出た。

空はやわらかい夕暮れ色で、

茜色の雲がちぎれて、地平にゆっくり沈んでいく。


(夕陽って──どうしてこんなに、終わりの匂いがするんだろう)


スマホは家に置いてきた。

音楽もない。通知もない。誰からの連絡も、もうこない。

それが少し、心地よかった。


目的地なんてなかった。ただ、歩いた。

自分の時間を、ただ、過ごすように。


すれ違う人は誰も、私を知らなかった。

それが、うれしかった。

「誰にも知られずにいなくなる」って、

案外、きれいなことかもしれない。


コンビニのガラスに映った自分を見て、そっと、目を細めた。


(おかあさん、ごめんね)

(でも──ありがとう。大好きだよ)


涙は、出なかった。

でも、胸の奥にある何かが、

ふっと、しまわれていくのを感じた。


◇ もう一度だけ、あの場所へ


ただ、歩道のタイルの数を数えながら歩いていた。

横断歩道の白線の上をバランスを取るように歩いていた。

冷たい風が、コートの隙間から入り込んだけど、寒いとは思わなかった。


気がついたら、私は図書館の前にいた。

昔と変わらない、少し小高くなった階段をのぼり、

大きな図書館の扉の前までたどり着くと、

ガラスに映った自分の姿が目に留まった。


濃紺のダッフルコードにアイボリーのワンピース。

黒髪のナチュラルメイクの私は、もう、あの日の私ではなかった。


図書館の中は、少し温かくて、穏やかだった。

やかんが乗っていそうな古い石油ストーブが、パチパチ音を鳴らしていた。


ぐるりと視線をめぐらせると、奥の奥に、あった。

ゆーきの手が触れた、あの日のテーブル。


「……ッ」


懐かしさに、喉が跳ねた。

言葉にならないけれど、靄の中を歩くようだった足元に、急に地面を感じた。

あの席を見た瞬間、全身に血の熱が巡りはじめた。


冷えていた指先がぴりっと痺れ、急に震えが走り、

心臓のドクッドクッという音がはっきりと聞こえた。


(……なんだろう)


テーブルに近づくたびに、胸の鼓動が大きくなった。

振るえる指先で椅子を引くと、木の擦れる音が、やけに大きく響いた。


そっと腰を下ろす。

そして、テーブルの角に、あった。

何度もぐるぐる、鉛筆で塗りつぶしただけの、ただの円。

ゆーきが、勉強はそっちのけで、なぜか真剣に塗りつぶしていた円の痕。


その瞬間、胸の奥から何かがこみあげた。

胸の中で、何かが、でも劇的に―― 目を覚ました。

ぬくもりが、喉の奥からあふれそうだった。


(……私が、ここにいた―― )


意味のないはずの痕。ただの癖。

でも、ふたりの間に何かがあった、確かな証。


もう一度、出会いたいと思った。あの日の私に。


(ここで待ってみよう……生きる価値のない私でも、ここで待つことだけは、できる)



私は、毎朝、ツヤが出るまで髪を梳いて、メイクも丁寧にした。

私はただ座って、この3ヶ月のことを日記に記した。

誰に伝えるでもなく、ただ、自分のために言葉にしたかった。

そうすれば、また出会える。そう思った。


―――


梨花は1か月の間、図書館で日記をつけ続けた。

日記の中から、たくさんの詩も生まれた。

ただ、安らかな気持ちで、ゆーきを待った


誰もいない図書館。

温かいストーブの温度。

心地よいページをめくる音。

外では、冷たい空気と深まっていく紅葉。


気がつけば、12月23日。


朝早く、梨花はこっそり学校へ行き、始まりの記録を――呪いの日記を、ゆーきの机に届けた。



◇ 「織りなおし」


冬の始まり

アイボリーのワンピースを着て

自分をしまいにいった


夕焼けは、なにも言わなかった

スマホも置いてきた

全てのつながりを、ゆっくり暗闇に沈めるように歩いた


全部の仮面を剥いでも、私は私でしかなかった


図書館に辿り着いたとき

浮いていた足元が、地に触れた

あの席。あの鉛筆の痕

ただの円が、私を蘇らせた


変わらなかった、たったひとつのキレイな私


だから、今日も髪を梳く

まぶたに色を足す

私が私であるために


夢で見た光は、もう一度、生きていいと言ってくれた

だから、私は傷を綴ることにした

もう一度、自分を織りなおすために


一筆ずつ

過ちも、赦されなかった日々も

すべてを刺し込んで

この身体に、紡ぎなおしていく


私は、完成しない

私は、もう戻らない


それでも、私は私を責めない


私はここで、待っている。

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