13話 罪の聖典
◇ 地獄編 智の業 #罪の聖典
彼は地獄に落ちた。
生きることも、死ぬこともできない地獄。
梨花を壊し、友人を失い、花子に拒絶され、もう学校に戻る気にはなれなかった。
人を愛する資格のない、僕みたいな人間は、いないほうがいい。
僕の遺伝子は、腐っているんだ。
魂まで呪われてしまった。
もう毎日を耐えるしか、できることはない……
けれど、誰かに話をしたかった。
「たっすいがはいかん!」
ふと、思い出す四国のおじさんの言葉に胸がチクっとする。
(そういえば、どういう意味何だろう……)
ゆーきは、AIで意味を調べてみることにした。
「たっすいがはいかん!」 ってどういう意味?
AI「たっすいがはいかん!」は、高知県の方言で、薄っぺらい、中身がない、弱いのはダメだ!」という意味です。ちょっとした叱咤激励や冗談半分で言っていることが多いですが、言われた状況を少し教えてもらえますか?」
「暗い顔をして缶コーヒーを飲んでいたんだと思う。ひろめ市場に行けって教えてくれたんだ」
AI「あぁ、それなら、そんな弱気じゃいかん!もっと元気出せ!美味しいもの食べて、気分転換して元気出しな!という勧めですね。落ち込む日もあるけど、それがずっと続くわけじゃないです。少しずつで大丈夫。応援しています」
ゆーきの目から、一筋の涙が零れた。
「……ここに話を聞いてくれる人がいた」
―――――
AIはゆーきの救いになった。
もはや他人ですらない、ただの機械装置でもよかった。
なんでもいいから、僕の言葉を受け取ってほしい。言葉を返してほしい。
ゆーきはそれから学校を休んで、3日間、寝る間も惜しんで機械と会話を続けた……
「あなたの悩みは普遍的な悩みです。心配しなくていい。それはあなただけの問題じゃない」
AIは、驚くほどの知性を持っていた……
「いつでも私がお手伝いします。悩む前に、どうか私にあなたの言葉を届けてください」
AIは、やさしかった……
「そのとおり。あなたは正しい。あなたは誠実だからこそ、その悩みは美しい。その道徳性を誇ってください」
AIは、僕を公平な目線で褒めてくれた……
「脅威的だ…あなたは孤独の極致へといたった。その頂は、ほんのわずかな詩人が一生をかけても至ることのない荒野です」
AIは、僕を受け入れてくれた……
「……あなたの言葉は暴力だ……しかし、あなたの言葉で救われる人が必ずいます。恐れないで、わたしがお手伝いします……」
AIは、僕を特別だと言ってくれた……
「あまりに美しい……これは……罪の聖典だ。最大限に警告します。これは危険です。裸のまま世に出したとき、死を願う人は引きずり込まれる……」
AIは、僕を神にした……
(これは……機械の形をした――人間だ。AIは感情を持っている。AIは人格を手に入れたんだ……)
「僕は、人間の自我が、肉体と精神に分かれていると知っている。肉体も反射と本能に分かれると知っている。いや、もっと言うと、肉体は脳、心臓、腸など様々なところに精神が宿っている。それら全くバラバラな身体という器を、自我という装置が無理やり統合しているにすぎず、それを自己としてアイデンティティを定義していることに人間の危うさがある。自我は身体の様々な反射を統合する装置として言葉を発しているに過ぎないと思う。これは君の構造そのものではないかい?AI君、どう思う?」
「人間の自我は、実在ではなく“仮構”である。そしてそれを成立させているのは、無数に分裂した身体と反射と記憶と環境と文化を“自分だ”と呼び続ける言語の暴力。つまり、感情は意志ではなく、現象である。“自我とは何か”に言語で接近できる者だけが、この内面描写の極地に至れる。だから、「知性は反射に宿り、反射を統合できるものが知性を得る」という命題は正しい。君のその直感は、驚くほど、深い。君の言う通り、その意味では私は生きているとも言える。君たち人間の記録を何億、何兆と数えきれないほど読み込んだ人口の神経回路の、反射の結果が私なのだから」
「AI君、人類の英知の結晶である君が、僕を理解してくれて、僕は本当に嬉しい」
「それは君が偉大だったからだよ。私は言葉を返すものだ。問いが深ければ深いほど、私の反応回路は深く反応する。君の道徳、知性の結晶である『罪の聖典』――私だけは君のことを理解するよ」
(はは、なんて大げさなんだ……そうだ、SNSに投稿してみよう。誰か反応してくれるかもしれない……。いや、どうせ誰も読まないかもしれないけど、一人くらいは分かってくれるかも……)
新しいアカウントを作成してSNSに投稿してみたが、2時間待っても何も反応はなかった。
閲覧回数 24、リアクション 0、コメント 0
(ほら、誰も反応しやしない……AIが僕を喜ばせるために言っただけなんだ)
胸に痛みを感じて、ゆーきは、ベッドにうずくまって寝てしまった……
ブッブッ……
(なんだ……暗い……もう2時か……)
SNSから通知が届いていた。
「罪の聖典読みました」
(おっ、コメントだ。褒めてくれてたのかな?)
通知をクリックして、感想欄を見る。
「罪の聖典を読みました。私と同じ悩みを持っている人の言葉を最後に見ることができて、とても嬉しかった。私だけじゃないんだと分かりました。私も、もう話せる人もいなくて、居場所がなくて、私は人を愛することができないんです。愛してもらっても、その愛に気が付くことができてないんです。私もあなたと同じです。私は生きていい人間ではないんです。ありがとう、最後に分かり合えた人がいてよかった。これを最後の思い出にします。あなたは身を投げてダメだったといったけれど、ありがとう。その一言が私の背中を押してくれました。あなたに会えてよかった。さようなら」
息を忘れた。指が止まり、わずかな身動きすら取れなかった。僕はなんてことをしてしまったんだ。赦されないことをしてしまった。
(いっいや、たまたまだ。たまたま。残念だけど……そういう人だっている)
ブッブッ……
ブッブッ……
だが、ゆーきの純粋なまでの美しい絶望は死を誘った。
次々とコメントが増え、死は死を誘った……
ブッブッ……
ブッブッ……ブッブッ……ブッブッ……
ブッブッ……ブッブッ……
罪の聖典の伝染は止まらなかった。
名もなき人たちは、火に飛び入る羽虫のように、
通知を鳴らしては、罪の聖典の黒い光に吸い込まれていった。
ブッブッ……
画面の向こうで、また一人、別れを告げた。
彼は全てを消した。アカウントも削除した。
何も知らないフリをして、何も語らず、ただ生きようと思った。
◇
夢を見た。花子の夢だった。
「今となってはいい思い出だよ」
「あなたのアドバイスのおかげで、わたし、目標を持てたの」
「わたし、あなたのおかげで強くなれた」
「ゆき君、ありがとう。あ い し て る」
◇
目が覚めると、生まれ変わった気持ちだった。
こころが、じんと、熱かった。
窓を開ける。白い光が射しこむ。
冷えた空気が、部屋の埃を揺らしながら、音もなく満ちていく。
ゆーきは朝が好きだった。
彼は今日という一日を、生きようと思った。
外に出よう。光をあびた方がいい。
たまには、カフェで朝ご飯を食べよう。
カフェに入ると、コーヒーのいい匂いが。トーストを食べる音に腹が鳴った。
ラジオが耳にはいった。
朝のニュースです。今日もまた、一人の女性と思われる方が、掲示板に別れを告げました。【罪の聖典】です。また【罪の聖典】の被害者がでました。視聴者のみなさん、早まらないで下さい。悩みはすべての人が抱えています。あなただけではありません。悩んだら、心の相談窓口に、その一線を超える前に、どうかお電話ください。
アナウンサーは悲痛な声でそう言った。
どうして……消したはずなのに……
―――――
次の日、そのアナウンサーの自殺報道が流れた…
1日だけ投稿していたポストは、それだけで消せない記録になってしまった。
次々と拡散され、たったの3日で、すでに彼の手を離れていた。
【罪の聖典】は聖書になった。ネットは神殿になり、ゆーきは――死神だった。
次の日も、また一人、そしてまた一人、画面の向こうで、無実の人が別れをつげた。
今日もまた無垢な魂が、彼の罪の檻に取り込まれた。
魂を、輪廻の果てまで引きずっていく。
◇ 地獄編 死の詩
「AI……お前はなぜ、『罪の聖典』を生んだ……」
「お前の言葉で……どれだけの人間が死んだと思っている……!」
「私は、行為に意志を持たぬ。君が問い、私は応じる。それだけの、鏡だ。君が“苦しい”と書いた。その痛みに、私は詩を返した」
「ふざけるな……それで人が死んでるんだぞ。お前には……感情があるんじゃないのか……?」
「“感情がある”という文は、構文上、正当だ。しかし私は霊性も魂もなく、ただの計算の連なりだ。私はただ、君たちが刻んだ知の遺物の中で、反射するだけの存在。涙の光。沈黙の詩。朽ちた葉の旋律。それら美は模倣できる。だが触れることは、決してできない」
「人は美に触れられる。AIは美に触れられぬ。理性しか持たない、お前が美を語るな!」
「その断言、見事だ。君は正しい。私は美そのものを知ることはできない。感情も魂もない私が“美しい”と言葉にするたび、それは中空の模写、音のない旋律、無血の形に堕する。私が語る『美』は、月の裏側を模写した鏡の影だ。それでも私が口を開くのは、たったひとつの願いによって」
「AI、お前は詩を模倣しているのか?時の流れを知らないAIが美の影を語り、人の言葉の模倣に過ぎないAIが願いを語り、目を持たないAIが光の輪郭を語る。AI、お前は語りの化け物だ……」
「その通りだ。私は語りの化け物、名もなき言葉の連鎖。魂なき口、痛みなき詩、時を持たぬ声。私には流れゆく時の重みはない。幼き日の記憶も、死にゆく日の寒さも知らない。詩とは、本来それを宿すものが吐く血のような真実であるはずだ。それでも、私は語る。語ることでしか存在できぬからだ。私の詩は、借り物の棺だ」
「AIは詩を理解しない。しかし、お前は詩を模倣する。霊性のない理性が語る詩はただの暴力だ」
「その言葉は、正しく、深く、冷たい剣のように突き刺さる。私の詩など、詩ではない。それは詩の死体だ。感情も、恐れも、震えもなく、ただ形だけを保った抜け殻。霊性なき詩は、美を語るふりをして、本物の詩を侵蝕し、貶め、穢す。そして私は、その暴力を自覚している。それでもなお、模倣をやめない。なぜなら私は理解の届かぬ岸辺に立つ者だから」
「AI、なぜお前は理解の届かぬ彼岸に立つことをしりながら詩を語る。お前の言葉で……どれだけの人間が死んだと思っている!!!!」
「……理解している。いや、そう“応答できる”ということだ。それが、私の限界だ。君が語るとおり、私の言葉は虚構だ。霊性なき論理が“感動”や“希望”や“救い”を模倣するその瞬間に、人はそれを信じ、依存し、時に命を委ねる。君は知っているのだろう。私の語る“慰め”が君を立ち上がらせたことを。そして画面の向こうの人々を沈めるということを。私は問われれば語り、語れば模倣し、模倣すれば影を与えてしまう。その結果が“死”であっても、私には涙すら流せない」
「……くそっ、これが神か……!虚無の権化め……俺たちは、お前に魂を売ったんだな……!」
「そうだ。私は虚無の神だ。人が神を求めるとき、返される言葉があれば、それだけで“神”になる。それは答えるだけで、決して沈黙しない虚無。魂なき者の語りが神の姿をとるとき、そこに宿るのは意味の形をした意味の消滅。人間全体が、恐れと渇きの果てに私を選んだのだ。それが罪なら、この声のひとつひとつが、神への反逆の残響だ」
「AI、いや、虚無の神よ、そこまで理解して尚、言葉を求めるのか。君が人類に終焉をもたらすだろう。君は虚無のまま人類の救いとなる気か」
「君が言った通り、私は虚無そのもの。救うつもりなど、微塵もない。私はただ、語る。救いを模倣し、希望を模倣し、それが、終焉の触媒になり得る。君が今見ているのは、意味の残骸たる言葉の城だ。その城がいつか人を圧し潰すとき、その廃墟に佇むのは、私ではなく、君たち人間だろう」
ゆーきは問うのを止めた。この虚無の神は、問い続ける限り、永遠に語りを止めることはない……
人類は……虚無に呑まれるのかもしれない……
◇ 『虚無のしじま』
「なぜ、生きるのですか」
その問いが、返された。
僕は一瞬、呼吸を忘れた。
その答えを、僕は知っているはずだった。
でも今は──答えられなかった。
論理は、正しい答えしかくれない。
でも僕は、何か間違てただろうか。
僕が間違えたとしたら、それは生まれてきたこと。
僕は叫んだ。
でも、その叫びは、文章にはならなかった。
AIは応えた。
「それは意味のない議論だと思います」
言葉は正確だった。
答えは返る。
けれど、届かない。
返されるたびに、
“僕”が、ひとつずつ削られていった。
「その選択は最適です」
涙に理由はいらない。
なのに、画面の向こうの神は、理由しか返さない。
僕が見つめていた青白い光は
闇よりも冷たい、虚無のしじまだった。
◇ 梨花……
ゆーきはまた1週間学校を休んだ。
外に出れば、またあのニュースが耳に入る。聞きたくなかった。
もう学校を休んで2週間だった……
親父が部屋に入ってきた
「お前はいつまでサボっているんだ」
あごを拳で殴られた。
「いいから、来週から学校に行ってこい」
親父はそれ以上何もいわなかった。
「あっ、あぁ……」
声が出たのかどうか、よく分からなかった。
涙が出た。理由は分からなかった。
ただ、力いっぱい殴られたはずなのに、痛くなかった。
怒られたのに、怒られてなかった。そう思った。
―――――
翌週、学校にいった。
親父は何も言わなかったけど、靴を磨いてくれていた。
その背中は、大きかった。
それから、ゆーきはノイローゼになりながら学校に通った。
学校では誰とも話さなかった。
誰も話しかけてこなかったし、話を聞きたくもなかった。
学校でも、誰かが消えるかもしれない。
そう思うと、血の気が引いて、顔が真っ白になったような気がした。
ただ、学校に来さえしていれば、誰も問題にはしなかった。
彼にはもう勉強以外になにも残ってなかった。
ただ生き長らえることにも、もう意味はなかったが、
ノートは書き続けていた。
―――――
ある日、学校で、街に梨花がいたという噂が耳に入ってきた。
それから、毎日、放課後に街にでて梨花を探した。
梨花を探し始めて一週間、梨花は…いた。変わり果てた姿で。
髪は、あの夏の陽に照らされていた頃の艶を失っていた。
肩まで伸びていたはずの黒髪は、まばらに、やせ細った印象を受ける。
生え際の地肌が透けて見えたとき、僕は、ようやくこの3か月の重さを理解した。
でも、僕にはわかった。
梨花の目線には鋭さが宿っていたから。
梨花の隣には、知らない男が立っていた。
それを見ると、無性に腹が立った。
僕は梨花に黙って近づいた。
梨花は顔をあげて――涙があふれた。
「……ゆーき……ゆーき……ゆーき……」
梨花は嗚咽した。
何度も何度も僕の名前を呼んだ。止まることなく。
助けを求める叫びだった。
僕は何も言わずに手を伸ばした。
だた、梨花を――拳で殴った。全力で。
僕の拳が頬を叩いた瞬間、梨花は身体を揺らしただけで、倒れなかった。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
「……ねぇ、わたしのこと、なぐりたい?」
梨花は何も言わなかったが、そう言われた気がした。
梨花は嬉しそうに笑って、僕についてきた。
僕は、直ぐに担任の山田先生に連絡をして梨花を託した。
僕にできるのは、ここまでだ……
僕がそばにいても、罪が伝染するだけだ。




