角笛の迷宮 地下3階
岩肌に囲まれた通路は、静かな闇の中に沈んでいる。
だが足元や壁面には、うっすらと淡い光を放つ苔が張り付き、
まるで星々が地に落ちたかのようだ。
この微かな光に導かれ、冒険者たちは奥へ奥へと潜っていく。
ここは角笛の迷宮の地下3階。
探索し尽くされた上層に比べ、ここからが駆け出しの冒険者たちに本当の試練を与える階層だ。
先を見ようとオウドが松明を高く掲げた。
カサカサカサッ……!!
「っ……?!」
光を嫌った迷宮甲蟲が松明の火を見て逃げ去った。
ドルミーナは口を一文字に結び、声を立てないよう驚きをこらえた。
(ふうん、それなりに迷宮に慣れてるってことか)
兄妹が迷宮探索をしたいと騒ぐからしぶしぶ護衛についてきたレニだ。
(坊っちゃまや姫さまが迷宮見学の気分でキャーキャー騒ぐようなら困るな?)
と思っていたレニにとって、二人の落ち着いた雰囲気は意外だった。
「若君、階段まで一直線でいいか?」
「レニさん、今のボクは冒険者のオウドだ!だからオウドと呼んでくれ!」
「あ、私もドルミーナでお願いしますわ!」
「あ、いや、若君その……」
「レニさん」
オウドが強い意志を込めた紺青色の瞳でレニを見つめる。
レニはまっすぐに見られると恥ずかしいのか目をそらした。
「あ、はい……オウドさん。じゃあ、さっさと降りるぜ」
レニが下り道になっている岩場を指し示した。
― ― ― ― ―
角笛の迷宮は地の底から吹きあがる風が迷宮全体を角笛のように鳴らし、重く低い音が常に響いている。
さらにその風が多少の匂いなども運び去ってしまうし、暗闇の中では迷宮コケが仄かに光るだけ。
冒険者がもつ松明の光も心許ない。
目や耳や鼻での索敵がかなり難しい迷宮なのだ。
そのため物陰から急に魔物が飛び出すことがある。
バサバサバサッ!!
シャッ!
レニが無言で放った投げナイフが闇を貫き、狙い違わずに迷宮オオコウモリの胴体に突き刺さった。
ドサッ。
オオコウモリは地に落ち、キーキーと悶えた。
翼を広げると人間の背丈ほどもある。その鋭い爪と牙には麻痺毒が満ちており、
獲物を動けなくしてからゆっくりと血を啜る邪悪な魔物だ。
とはいえ、動きを見て急所を守れれば狩れる……初級冒険者向けの魔物でもある。
もちろん、上級冒険者のレニは一撃も食らわずに倒している。
「キーッ!!」
オウドは短剣を抜いてとどめを刺すと、時々何かを思い出すように手を止めながらも、翼を切り取り、さらに胸元から小さな魔石も回収した。
ドルミーナは吹き出す血に顔をしかめつつ、作業に集中する兄に代わって周囲の警戒を怠らなかった。
(手間取ってるけどやることはわかってんだな……母親仕込みってことか)
この兄妹の母であるグリムホルン迷宮伯は英雄級の冒険者だ。
貴族の坊ちゃまお姫さまといえど、最低限は仕込んであるようだ。
(となるともう少し実力を知っておきたいよな)
レニは斥候だ。
パーティに先行しながら魔物を探し、可能ならば先制して倒していく。
上級の彼女の実力だと後ろのメンバーに戦闘のチャンスが回ってくることもない。
しかしそれでは後ろの貴族兄妹の実力がわからない。
(お、あれがいいか)
分かれ道に出たところで、レニは右の通路に迷宮オオコウモリを発見した。
が、あえて左側を警戒する様子を見せて、自然にそちらに寄っていく。
後ろの兄妹もちゃんとこちらの動きに合わせて警戒しているようだ。
バサバサバサッ!!
「しまった!」
二人に危険を伝えようと、レニはわざと声を上げた。
右の通路から迷宮オオコウモリが飛び出し、兄妹を襲う!
「大丈夫、任せて!」
オウドは瞬時に長剣を抜き放つと、オオコウモリの翼を斬りつけた。
「キーーーッ!!」
翼を半ば裂かれながらも、ドルミーナに噛み付こうとするオオコウモリ。
しかし、その時にはドルミーナの魔法が準備できていた。
「氷槍!」
水源の杖から放たれた尖った氷塊がオオコウモリを貫いた。
ドサッ……
オオコウモリが声もなく地に倒れ伏す。
鼻を衝く血の匂いとともに角笛の迷宮の風の音が低く響き渡った。
「勝った勝った♪」
ニコニコしながら素材の剥ぎ取りを始めるオウドたち。
(思ったよりもはるかにできる)
レニは内心びっくりしていた。負けるとは思ってはいなかったが、
そもそも一切驚きもせずに奇襲をさばき切るとは……
「あの、オウドさん……俺が見逃したみたいで……すみませんッス」
「え、そうだったの?」
しおらしく謝ったレニだったが、オウドは軽く答えてまっすぐな目で見つめてきた。
「うっ……」
(な、なんかこの目で見られると……)
二人を信用せずに試そうとした自分がとても恥ずかしくなっていたたまれなくなる。
レニは少し逡巡したあと、決心したように頭を下げて告白した。
「ごめんなさいッス、オウドさんの実力が見たくてわざと見逃したッス……」
「うん、そうだろうなって思ってたよ?」
「……げ、マジ……ッスか?」
オウドにとっては今さら感がある。
小さいころに母である迷宮伯に何度もやられているのだ。
だから上級者がこうやって初級者に教えるのは当然だとも思っている。
母はわざと奇襲を引き起こしてはしつこく教えてきた。
「前衛が警戒してない方から魔物が来るなんてよくあるんだよ」
「だから警戒している前衛と逆側を後衛が警戒するんだ」
が、レニにしてみれば、浅い考えを全部見抜かれたようで極めて恥ずかしい。
顔が赤くなって耳までかっと熱くなってしまう。
「ご、ごめんなさい、二度としないッス……」
「いいよ、上級者が教えるのは当然だから。むしろもっと教えてね?」
「うっ……はい」
(この坊ちゃまたちには勝てない……)
レニはオウドたちが初級冒険者証なのを見て、どこか見下していたところがあった。
しかし目の前の二人は一人前の冒険者どころか、迷宮の作法を知っている熟練者だ。
レニが二人を見る目に敬意が浮かびつつあった。
― ― ― ― ― ―
剥ぎ取りを終え、改めて探索を続けるオウドたちの3人パーティ。
どことなくやる気のなかったレニが急にきびきびと斥候をやりはじめ、連携もとれるようになった。
迷宮探索の速度が増し、気が付けば4階に降り立っていた。
4階は3階と同じ岩場が続くが、少し迷宮コケが濃くなっており、
迷宮の奥から吹く風は冷ややかに彼らを迎えていた。
レニがぎこちない敬語で尋ねた。
「オウドさん、今日はどこまで行く……んスか?5階?」
「あ、ちょっと4階で調べたいことがあるんだ」
「はい、わかったッス。行きたい場所を教えてくださいッス」
オウドが地図で場所を示すと、レニは一つ頷いた。
彼女の選んだルートは安全で進みやすく、するするとその場所にたどり着く。
岩の通路を抜けた先に、小さな広間が姿を現した。
岩場の天井は高く、ごつごつとした壁一面には迷宮コケがびっしりと生えている。
まるで深い紫の幕がかかっているようだった。
割れ目からは冷たい水滴が落ち、岩床に小さな水たまりを作っていた。
「ここだね……」
オウドはつぶやくと、岩壁に歩み寄った。
松明で照らすと、上のほうに奇妙な影が差す。
オウドは妹を振り向いて言った。
「ボクの可愛いドルミーナ、水源探知できる?」
「もちろんですわ、お兄様」
そう言うとドルミーナは水源の杖を振りかざし、目を閉じて精神を集中した。
「あら?この岩壁の向こうに水源がありますわね?」
「やっぱり」
オウドは松明を妹に手渡すと、岩壁に手をかけてよじ登り始めた。
岩の陰の死角から、かすかに空気の流れを感じる。
「うん、こっちに部屋があるっぽい」
「えっ?!」
レニは驚いた。
角笛の迷宮は地下10階まで完全にマッピングされていて、新しい部屋なんてもう何年も見つかっていない。
それをこんな短時間で発見したというのだろうか。
改めてレニの持っていた縄ばしごを取り付け、3人がよじ登ると広い水場があった。
迷宮コケは深い紫色に生え広がっており、松明がなくても水場全体がほの明るく光っている。
壁から湧き出した水が水場の奥へ流れていく、その奥もさらに空間が広がっているようだ。
「ギルド長の部屋で迷宮の地図を見てね。なんか不自然に何もない場所があったから、何かあるのかなって思ってたんだけど……」
「新発見ですわお兄様!」
「これが冒険だね!」
喜び合う兄妹を見て、レニもなぜか期待に胸が高まってくるのを感じていた。




