行政の実習をしながら散策へ
迷宮伯の住居であるグリムホルン城はその名の元となった角笛の迷宮につながる洞窟を見下ろす高台に建てられている。その麓にグリムホルン市が狭い市壁の中にひしめき合う家々を抱えて存在していた。グリムホルン市から洞窟までは歩いてすぐ。迷宮を主産業とする街である。
無骨な石造りの城は割と新しい。
迷宮伯が皇帝から伯爵位を綬爵したときに、市の防衛の弱点である高台に城を築いて移り住んだのだ。
その城の一角、領主の椅子と最低限の家具しかない質素な謁見の間で若い書記官のルークは若君に問いかけた。
「で、西大公家の訪問と魔石の売却はいかがだったのですか?」
「はっはっは、忘れてた」
「忘れないでください!」
「えっとね」
若君は滔々とルーク書記官に西大公家での活躍を語り始めた。
西大公家で無礼な扱いと丁重な扱いを同時に受けたこと。
従属するように迫られたこと。
独立派伯爵たちが怒って戦争寸前だったこと。
学友を通じて公爵を説得して謝ってもらったこと。
名簿整理をしたら魔王の刺客を見つけたこと。
魔王の刺客が西大公を暗殺しようとしたところを蹴り倒して止めたこと。
歌って魔王を撃退したこと。
領地の毛皮がバカにされたこと。
でもゴブリン討伐の経緯を説明したら褒めてもらったこと。
魔石は無事に土の護符と交換できたこと。
「まぁ、お兄様!まさに英雄のようですわ!」
「ありがとうドルミーナ!」
一気に語り終えた若君を手放しで褒めたたえるドルミーナ姫。
そして優しくその姫の頭をなでる若君。
その横でルーク書記官は唖然として口がふさがらなかった。
えー……と言いたい気分である。
まるで演劇や伝説のようなことを平然とやりきってきたというのだ。
戻ってきた騎士たちにもよく話を聞いてみなければ。
留学前はまじめでおとなしい若者だった。
元冒険者で破天荒な迷宮伯閣下に似ないので大丈夫かと思われていたぐらいだ。
いや、話を聞くかぎりマジメでマメなところは変わってない。
その上でただ単に想像を超えることをし続けているだけだ。
では、家臣の我々は一体この若君をどう支えていけばいいのだろうか。
そんな考えにルークが耽っていると若君がルークの肩に手をかけた。
「そうだ、領地の行政書類を確認しようと思ってたんだ。一式持ってきて」
「は、はい!ただいま!」
ルークの指示で若君の前に文机が置かれ、その上に所せましと書類が並べられた。
「こちらが過去の決済分で、こちらは報告書類。こちらはお戻りになったらサインを頂こうとしていた分です」
「なるほど」
報告書はグリムホルン市や各支城、村々からの定期報告、そして本城の収支報告などだ。
迷宮伯領は封建制だ。
市は商人やギルド長などが参事会を作って自治しているし、城や村々は騎士たちの所領になっている。
よって簡単な定期報告は受けるが基本は彼らが行政を行っている。
「ご領主代理としてのサインを頂きたいのは、借金の借り換え契約書が2件、これは領内の商人から借りた分ですね」
「うん」
「あとはグリムホルン市参事会や神殿の神官、騎士の人事の承認、あと裁判結果の承認依頼……」
「わかった、ちょっと読むから時間頂戴」
「サインだけでいいんですが」
「読むよ」
領内のほとんどは自治していたり、家臣の領地だったりするのでほとんど彼らの提案を認めるだけでいい。
むしろあまり口を出すと家臣たちを信頼してないのかという話になる。
迷宮伯がいる間は書類を読むのを面倒がって、内容を読み上げさせては適当にサインしていた。
まぁ、過去の書類を含めると結構な量があるし、読み終わるのに10日はかかるだろうか。
「ではわからないところがあればお呼び出しください」
ルークには仕事がある。
迷宮伯が書類仕事ができる重臣たちをごっそり冒険に連れて行ってしまったため、本来は補佐官でしかなかったルークが書類仕事をまとめて押し付けられている。
武人や冒険者あがりのおおい迷宮伯家で初めてデスクワーク一本槍で採用された書記官である。
ただ、行政というほどの行政はそもそもこの領地に存在しない。
迷宮伯自身が政治に興味がなく広範な自治を許しているからだ。
せいぜい、伯爵家の本拠である本城の食費や修繕などの経費の集計、報告書や申請書の取次をするぐらいである。
足早に書記部屋に戻るルークを尻目に、若君はさっそく行政書類を読み込み始めた。
― ― ― ― ―
翌日、書記部屋に積み上げられた書類を前にルークは驚いていた。
すべてサインが終わっている。
まぁ、流石に読むのをあきらめたのか……と思っていたら各資料に細かく下線やメモが書いてある。
まさか全部読んだのか。
マメにもほどがあるだろう……やっぱり母君である迷宮伯閣下には似ておられない……。
と思っているとメイドが書置きをもって飛んできた。
見ると妹と散歩に行ってくるので探さないでください、と書いてある。
「そういえば迷宮伯様もよく護衛がウザいと仰って、お一人で領地の視察やダンジョンに」
「そこは似なくていいんだよおおおお?!」
貴族としての自覚と危機管理いいいい!?
とぼけたようなメイドの言葉にルークは叫んでいた。




