魔界と悪魔
漂う雲の横を小さな家が飛んでいた。
空と同じ色をしたその家の中で、五人の男女が低いテーブルを囲み何やら話している。
その男女の一人、伊蔵の目の前に桃色の髪、白く長い角、エメラルドの瞳を持った女が膝の上に手を重ね二人掛けのソファーに座っていた。
その顔はミミルの物だったが、浮かんでいる表情は穏やかでまるで別人に見えた。
「して話とはなんじゃ?」
「何から話してよい物か……私はあなた方が魔界と呼ぶ世界エルーラの住民です」
「エルーラ……」
「私達の世界は強靭な肉体と力を持つ者達が相争う、戦いの絶えない場所でした……」
エルーラにはいつかカラが言った様に、神話の住人のような多種多様な者が存在していた。
価値観もその分多岐に亘り様々だったが、一つとして同じ種族はいなかったそうだ。
「同じ種族がいない?」
「はい、私達は強大な思念体が分裂して出来た存在なのです。その分裂して出来た者達は全て形が違っていました」
「じゃあ、伊蔵さんが戦ったシュガナやコバルトも分裂した一つという事ですか?」
伊蔵の隣に座った頭髪部分を桃色に塗ったブリキの人形が同じ桃色の髪の女、ルマーダに問い掛ける。
「はい」
「その思念体だっけ、そいつは何でわざわざ分裂なんてしたんだよ?」
伊蔵の左前、一人用のソファーに腰かけた黒のエプロンドレスを着て頭にブリムを乗せたベラーナが、開いた足の太腿に両腕を乗せ視線をルマーダに送る。
「ベラーナさん、お行儀が悪いです。そんな風に足を開いているとシャルアさんに叱られますよ」
「いいだろ、ここに婆ぁはいねぇんだしよぉ。それより何で分裂したんだ? 悪魔の元ならすげぇ力を持ってたんだろ?」
「……一つだった頃の事はもう詳しくは思い出せません……ただ、酷く寂しかったという想いは残っています」
「寂しいか……確かにどないに強うても独りぼっちはキツイわな」
フィアの右前、背もたれのない椅子に窮屈そうに腰を下ろしているカーテンを腰に巻いたグリモスが、腕組みしながらうんうんと頷きを返した。
「……せめて分かれてあなた達の様な仲間の真似事がしたかったのかもしれません」
「仲間か……じゃが、お主とコバルトは仲間という感じではなかったのう?」
「ええ、私達は思念体から別れ受肉……肉体を得たのですが、それぞれの思想や力に偏りがありました……多様性を求めたのかもしれませんが、結果として相容れず争う事になってしまいました……」
ルマーダの話は続く。
人を遥かに超える力と生命力を持つ者達の争いは終わる事無く続いた。
そんな争いの最中、戦いに疲れていたルマーダの心が、同じく争いを嫌い平穏を望むレゾの心に引き寄せられる。
「引き寄せられたのは気持ちの重なりだけでなく、エルーラとあなた方の世界が重なった事が原因だと思うのですが……」
「気持ちと世界の重なり……それだけやないやろ? 悪魔を呼び出すには生贄が必要な筈やで?」
「そうだぜ……気持ちだけでどうにかなんなら、アイツは死ななくてよかった筈だ」
ベラーナの顔に後悔と憤り、そして哀しみがない交ぜになった感情が浮かぶ。
「……いくら重なっていても世界を飛び越えるには強い感情が必要です……私の場合は家族を失ったレゾの想いがその切っ掛けとなったようです」
「……アイツが殺されそうになった時の気持ちが、俺と契った悪魔を呼んだってのか?」
「おそらく……」
「あの、それでどうしてルマーダさん達、悪魔はこちらに来ようとしてるんです?」
フィアの問いにルマーダは困り顔で笑った。
「エルーラは不毛の大地です。我々の戦いによって真っ赤な岩の大地に瘴気の漂う土地になってしまいました……私は疲れていたのです。そんな場所でかつて同じ存在だった者達と戦い続けるのに……エルーラから離れ、レゾの中で仲間と共に過ごす日々は輝いていました……あなたと母親の穏やかな日々も……」
そう言ってルマーダはフィアを愛おしそうに見つめた。
「お主はそうかもしれんが、コバルトやシュガナは違うようじゃな」
「……はい、彼らはエルーラから抜け出してこの豊かな世界を手に入れる事を望んでいます」
「はぁ……皆で仲良く暮らせばいいじゃないですか。ルマーダさんみたく」
「そうですね……本当にそれが出来ればよいのですが……」
ルマーダは憂いを帯びた瞳を揺らせて儚げに微笑んだ。
「纏めると悪魔はそのエルーラちゅうとこに住んでて、貧しい土地やし兄弟喧嘩ばっかりやからこっちい来たい、いう事でええんか?」
「概ねそれであっています」
「なぁ、天使もそのエルーラにいんのか?」
「いえ、我々の世界に彼らの様な規律に重きを置く者はいませんでした……推測ですが、彼らはエルーラとは別の重なった世界の住人ではないかと……」
「まだ別の世界があんのかよ……」
ベラーナがやれやれとため息を吐く。
「他に何か聞きたい事はありますか?」
「ふむ……ではこの刀についてじゃが……この佐神国守もお主らと同じ悪魔と考えてよいのか?」
伊蔵は鞘を持ちルマーダの前に刀を翳した。
「ええ、それも思念体が分裂した者の一人、コバルトが語った通り暴食龍ヴェルトロの一部です……経緯は分かりませんが、ヴェルトロもこちら側の誰かの想いによってこの世界に顕現したのでしょう」
「ずっと気になってたんだが、そいつは使っていいもんなのか? 俺はずっと気持ち悪ぃと思ってたんだがよぉ」
顔を顰め刀を指差すベラーナの問い掛けで、ルマーダは目を細め伊蔵が翳した佐神国守を観察する。
「……そうですねぇ……今の所、私達が施した封印が機能している様です。少しお借りしても?」
「構わんが、この刀は悪魔を喰らうのじゃろう?」
「直接、刃に触れなければ問題ない筈です」
「さようか」
伊蔵は掲げた刀を腰を浮かしルマーダに差し出す。
「では……」
ルマーダは両手で刀を受け取ると、柄を握り鞘から抜き放った。
近くに悪魔であるルマーダがいる為か刀身は強く輝いている様に見える。
「うぇ……やっぱ気味悪ぃ……」
「確かになんやゾクゾクするな……」
「儂は何も感じんがのう……?」
「伊蔵さんは魔女じゃないからじゃないですかね?」
首を捻った伊蔵にフィアが推測を口にする。
「……すぐにでも封印を破って出て来るという事は無いでしょうが……取り敢えず保険として私が上から魔法を掛けておきます」
刀身を目を細め見ていたルマーダが視線を伊蔵に向け言う。
「ぬっ……それをして切れ味が落ちるという事は無いじゃろうな? ……その刀は故郷の宝じゃ、これからも使っていきたい。ルマーダ、儂がそれを末永く使える様にしてくれるとありがたいのじゃが……」
「より強固になりますから切れ味は増す筈です。魔法と言いましたが、これ以上ヴェルトロが力を得ない様に悪魔の血や魔力を弾く様にするだけですから」
「魔力を弾く……コバルトと戦った時の様に、雷を喰うような使い方は出来なくなるという事か?」
「ええ、ヴェルトロは我々の肉体や魔力等あらゆる物を食べて己が力に変えてしまうのです。強力な魔法をあの様に吸い続ければ封印を破りこちらに来てしまうかもしれませんので……」
あらゆる物を喰らう龍。伊蔵は体をくねらせ空を舞う巨大な龍が人々を街ごと飲み込む所を想像した。
想像はそんな怪物をどう斬るかに移行する。
しかし想像の中の自分は怪物を斬る為の刃を手にしてはいなかった。
それはそうだろう。伊蔵の愛刀、佐神国守こそがその怪物なのだから。
「ふぅ……自分の刀がそんな面倒な怪物とは……難儀な物じゃ……儂もこの椅子に座りたいというフィア殿の気持ちが少しわかったわい」
「あっ、分かってくれます。この人形だと感触がよく分からないんですよ……もどかしいですよねぇ……」
フィアを模した人形はそう言って自らが創り出したソファの上で少し飛び跳ねた。
「フフッ……では、掛けますね」
そんなフィアの様子にルマーダは少し笑い柄を左手で握ると、刀身に右手を翳した。
ルマーダが右手を刀身に沿わせるとその右手に合わせ、輝く刀身の鎬地、刃とは逆の背の部分に霜の様な紋様が浮かぶ。
「ふぅ……これでいいでしょう。ただ、私の魔法を超える様な力を受ければ剥がれてしまうかもしれません。そこはお気を付けを」
ルマーダは刀を鞘に納め伊蔵に差し出した。
それを受け取りながら伊蔵は彼女に尋ねる。
「剥がれても今一度、お主が魔法を掛ければよいのではないか?」
「魔法はフィアさんに頼んで下さい」
「えっ? 私がですか?」
「はい、私はそろそろ引っ込もうと思っています。この体の持ち主の時間をこれ以上奪うのも申し訳ないので……」
「おい待てよ。おめぇが引っ込んだらミミルが出てくんじゃ……」
「そうやで姉ちゃん。空の上であんな乱暴な女に出て来られたらかなわんで」
「大丈夫、コバルトが抜けた今、彼女も変わっている筈ですよ。では……」
ルマーダは微笑みを浮かべ小さく右手を振った。
「あっ、おい待てッて!?」
「コッ、コレって危なくないですか!?」
「せやな! フィアちゃん、どっか隠れるとこ作って!」
「りょっ、了解です!!」
フィアが慌てて家を拡張し鋼鉄の扉を備えた新たな部屋を作り出すと、三人は駆け足でその部屋に逃げ込んだ。
伊蔵だけはフィア達を追従せず、左手の親指を刀の鍔にそっと乗せる。
その伊蔵の前で目の前に座っていた女の服が、白いローブから燃え上がる様に赤いドレスへと変わっていく。
先程までルマーダだった女は、閉じていた両目を静かに開いた。
エメラルドの様に煌めいていた瞳は、濃緑の落ち着いた色に変わっていた。
「……ここは?……貴方はたしか私と戦っていた……?」
「……うむ、佐々木伊蔵じゃ」
「佐々木伊蔵……」
逃げ出す事無くソファーに座っていた伊蔵は鞘を握り、いつでも刀を抜ける様、警戒しながらミミルに答える。
「伊蔵さん、危ないですよ!」
「そうだぜ伊蔵! お前もこっちにこいよ!」
「せやで伊蔵はん、あんたもわいと同じで吹き飛ばされたら地面まで真っ逆さまやろ!?」
鉄の扉の影から顔出したフィア達が伊蔵に呼び掛ける。
そちらに目をやれば上からグリモス、ベラーナ、フィアの三人が顔を重ねてこちらを見ていた。
「ミミル、まだ戦うつもりはあるのか?」
ミミルに視線を戻し、濃緑の瞳を真っすぐに見つめながら伊蔵は右手を柄に掛けた。
「…………私、消えかけてた……貴方がどうにかしてくれたの?」
「儂はお主の体を乗っ取ったコバルトと名乗る悪魔と戦っただけじゃ」
「そう……」
ミミルはしばし視線を彷徨わせた後、おもむろに腰を上げテーブルに手を突き伊蔵の前に体を乗り出した。
思わず鯉口を切った伊蔵の柄に掛かった右手に、ミミルはそっと右手を乗せた。
ミミルの行動に相手の意図が分からず伊蔵は斬っていいものか一瞬悩む。
そんな戸惑い動きを止めた伊蔵にミミルは顔を寄せた。
その顔の下、ドレスの隙間から豊かな胸が覗いている。
「……お主、何のつもりじゃ?」
「あっ!? 何してるんですか!! 伊蔵さんから離れて下さい!!」
「貴方があの暗闇から私を救ってくれたのは事実よ……ねぇ、もし私がまた悪魔になったら戦ってくれない?」
「民に害をなす悪魔は斬るつもりじゃが……とにかく離れよ」
「約束よ……」
「あっー!!!!!」
離れる間際、ミミルは左手を頬に寄せ伊蔵の唇を奪った。
「フフッ、報酬の前払い……悪魔になったらお願いね」
「……」
伊蔵から離れ、再びソファーに腰を下ろしたミミルにブリキの人形が駆け寄り両手を上げる。
「なななっ、何してくれちゃってるんですか!? いいいっ、伊蔵さんは私の使い魔なんですよ!!」
「悪魔を相手に戦える男なんてそうそういないわ。貴女みたいなお子様には勿体ないわよ」
「ムキ―ッ!! お子様じゃないです!! 私は今年三十です!!」
「そう、私は五百七十四よ。年上の言う事は聞きなさい」
「なんか大丈夫そうだな」
「そうやな。いきなり衝撃波で吹き飛ばされるちゅう事は無さそうや」
ソファーで優雅に足を組み、出現させた扇子でゆったりと風を送るミミル。
ミミルに両手を振り上げ抗議しているフィアの操るブリキ人形。
その二人にどうしたものかと渋面を作る伊蔵。
そんな三人を眺めながら、扉の影に隠れたベラーナとグリモスは顔を見合わせ苦笑を浮かべた。
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