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奈々美さんの裏の顔  作者: 暁の裏


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第17話 「可愛いの魔法、かけてあげる」

 目覚ましが鳴る前に、元樹は目を覚ました。

 昨夜の電話が頭から離れない。

 奈々美の声。


『私は諦めない』

『絶対に、諦めない』

『元樹くんは、私のものだから』


 その言葉が、何度も何度も耳の奥で反響する。


「……眠れなかった」


 時計を見ると、午前6時30分。

 カーテンの隙間から差し込む朝日が、部屋を明るく照らしている。

 元樹はベッドから起き上がり、洗面所に向かった。

 鏡に映る自分の顔は、疲れ切っていた。

 目の下には濃いクマ。

 頬はこけて見える。


「最悪だな……」


 水で顔を洗い、少しでも目を覚まそうとする。

 冷たい水が頬を伝い、少しだけ意識がはっきりする。

 階段を降りると、リビングからいい匂いが漂ってきた。

 母親が朝食を作っているようだ。


「おはよう、元樹」


 母親が振り返って微笑む。


「おはよう……」


 元樹の返事は力がない。


「顔色が悪いわよ。大丈夫?」


 母親が心配そうに近づいてくる。


「うん……ちょっと寝不足で」

「そう……無理しないでね」


 母親は優しく元樹の頭を撫でた。

 テーブルに着くと、由美がすでに朝食を食べていた。


「おはよ、お兄ちゃん」


 由美が口にトーストを頬張りながら挨拶する。


「おはよう」


 元樹も席に座り、トーストを手に取った。

 しかし、食欲が湧かない。


「お兄ちゃん、本当に顔色悪いよ」


 由美が心配そうに覗き込んでくる。


「昨日、何かあったの?」


 その質問に、元樹は少し迷ったが、答えることにした。


「……色々あって」

「色々って?」


 由美は身を乗り出す。


「玲さんのこと? それとも奈々美さん?」


 その名前を聞いて、元樹は箸を止めた。


「両方……かな」


 元樹は小さくため息をつく。


「玲に告白されて、俺も玲が好きだって気づいた」

「え!? それって良いことじゃん!」


 由美が目を輝かせる。


「でも……」


 元樹は続ける。


「昨日、思い出したんだ。8年前のこと」

「8年前?」

「奈々美の両親が……俺のせいで死んだこと」


 その言葉に、由美の表情が凍りついた。


「え……どういうこと?」


 元樹は震える声で、7年前の出来事を話し始めた。

 建設現場での事故。

 自分が大きな声で父親を呼んだこと。

 それで奈々美の父親がバランスを崩し、落下したこと。

 母親も巻き込まれて、二人とも亡くなったこと。


「そんな……」


 由美は言葉を失った。


「だから……奈々美には、俺しかいないんだ」


 元樹は顔を伏せる。


「俺が奪ったんだよ。彼女の両親を、彼女の幸せを」

「でも、それは事故で……」

「事故でも、原因は俺だ」


 元樹の声が震える。


「だから……俺は、どうすればいいのかわからない」


 由美は少し考えてから、口を開いた。


「お兄ちゃん」

「何?」

「それって……償いのために奈々美さんと一緒にいるってこと?」


 その質問に、元樹ははっとした。


「償い……」

「お兄ちゃんは、奈々美さんのことが好きなの?」


 由美の真剣な表情に、元樹は答えに詰まる。


「それとも、罪悪感だけ?」

「わからない……」


 元樹は頭を抱える。

 由美は兄の肩に手を置いた。


「お兄ちゃん、聞いて」

「うん」

「罪悪感だけで人と一緒にいても、誰も幸せになれないよ」


 由美の言葉が、元樹の胸に響く。


「お兄ちゃんが苦しみながら奈々美さんと一緒にいても、奈々美さんも幸せじゃない」

「でも……」

「それに」


 由美は続ける。


「玲さんだって、そんなお兄ちゃんを見たくないと思うよ」


 その言葉に、元樹は昨日の玲の顔を思い出した。


『元樹が苦しみながら一緒にいても、幸せじゃない』


 玲も同じことを言っていた。


「だから、ちゃんと考えて答えを出してあげて」


 由美は真剣な表情で続ける。


「お兄ちゃんは、本当に誰が好きなの?」

「誰と一緒にいたいの?」

「罪悪感を抜きにして、本当の気持ちは?」


 その問いに、元樹は答えられなかった。


「わからない……」

「じゃあ、もう一度会ってみれば?」


 由美が提案する。


「奈々美さんと、ちゃんと話してみる」

「そうすれば、お兄ちゃんの気持ちもわかるかもしれない」


 元樹は少し考えてから、頷いた。


「そうだな……話してみるよ」

「うん。頑張って」


 由美は励ますように微笑んだ。




 朝食を終えて部屋に戻ると、スマホが震えた。

 着信表示を見ると、奈々美からだった。

 元樹の心臓が跳ね上がる。


「……」


 一瞬躊躇したが、電話に出た。


「もしもし」


『元樹くん!』


 奈々美の声が聞こえた瞬間、元樹は異変に気づいた。

 いつもの穏やかな声ではない。

 焦っていて、切羽詰まっている。


「奈々美? どうした?」


『元樹くん、お願い! 今すぐ来て!』


 その切実な声に、元樹は動揺する。


「何があったんだ!?」


『説明してる時間がないの! お願い、すぐに来て!』


 奈々美の声が震えている。

 泣いているようにも聞こえる。


「わかった! すぐ行く!」


『お願い……急いで……』


 そう言って、電話は切れた。

 元樹は慌てて立ち上がり、着替え始めた。


「どうしたの?」


 由美が部屋に入ってくる。


「奈々美が……何かあったみたいだ」

「緊急事態って言ってた」


 元樹は急いでジーンズを履き、Tシャツを着る。


「ちょっと出かけてくる!」

「気をつけてね!」


 由美の声を背に、元樹は家を飛び出した。

 桜ヶ丘への道

 駅に向かって走りながら、元樹の頭は混乱していた。


「何があったんだ……」


 奈々美の切羽詰まった声。

 あんな声、聞いたことがない。


「大丈夫かな……」


 不安が込み上げてくる。

 駅に着くと、幸い電車はすぐに来た。

 元樹は飛び乗り、窓際の席に座った。


「奈々美……」


 スマホを握りしめながら、もう一度電話をかけようとする。

 しかし、繋がらない。


「出ない……」


 元樹の不安はさらに大きくなる。

 電車が動き出し、景色が流れていく。

 普段なら1時間ほどの道のりが、今日は永遠のように長く感じられた。


「早く……早く着いてくれ」


 時計を何度も確認する。


 午前9時。


「奈々美、待ってろ」


 元樹は窓の外を見つめながら、祈るような気持ちでいた。




 桜ヶ丘駅に到着した元樹は、電車を降りると、全速力で走り始めた。

 商店街を抜け、住宅街に入る。

 息が切れるが、足を止めない。


「奈々美の家は……」


 以前来た道を思い出しながら、必死に走る。

 曲がり角を曲がり、坂を上る。

 ようやく、見覚えのある家が見えてきた。


「着いた!」


 元樹は玄関に駆け寄り、インターホンを連打する。

 ピンポン、ピンポン、ピンポン。


「奈々美! 俺だ! 開けてくれ!」


 必死に呼びかける。

 しばらくして、ドアが開いた。


「奈々美! 大丈夫か!?」


 元樹が声を上げると、そこに立っていたのは――

 いつもと変わらない、穏やかな表情の奈々美だった。


「元樹くん……来てくれたのね」


 その落ち着いた声に、元樹は困惑する。


「え……?」

「どうぞ、中に入って」


 奈々美は微笑みながら、元樹を家の中に招き入れた。


「待って、待って!」


 元樹は戸惑いながらも、家の中に入る。


「緊急事態って……何があったんだ!?」


 元樹が問い詰めると、奈々美はリビングのソファに座るよう促した。


「座って、説明するから」

「説明って……」


 元樹は不安と混乱で頭がいっぱいになりながらも、ソファに座った。

 奈々美も向かいのソファに座る。


「それで……何があったんだ?」


 元樹が聞くと、奈々美は少し困ったような表情を見せた。


「実は……ゴキブリが出たの」


 その言葉を聞いた瞬間、元樹は固まった。


「え……?」

「ゴキブリ」


 奈々美は真面目な顔で繰り返す。


「すごく大きくて……怖くて……」

「それで、元樹くんに来てもらったの」


 元樹は言葉を失った。


「ゴキブリ……って……」

「うん」


 奈々美は頷く。


「一人じゃ怖くて……」


 その瞬間、元樹の中で様々な感情が渦巻いた。

 安堵。

 拍子抜け。

 そして――少しの怒り。


「ゴキブリで……緊急事態って……」

「だって、本当に怖かったんだもん」


 奈々美は少し頬を膨らませる。

 その表情が、妙に可愛く見えた。


「はぁ……」


 元樹は深くため息をついた。


「本当に……それだけ?」

「うん」


 奈々美は素直に頷く。


「ごめんね、驚かせちゃって」


 その謝罪に、元樹は力が抜けた。


「いや……無事で良かった」


 本当に、心の底からそう思った。

 電車の中で、様々な最悪のシナリオを考えていた。

 事故に遭ったのではないか。

 病気で倒れたのではないか。

 誰かに襲われたのではないか。

 でも、実際は――ゴキブリ。


「本当に……良かった」

 元樹は胸を撫で下ろした。


「元樹くん」


 奈々美が呼びかける。


「ありがとう。遠いところから来てくれて」


 その笑顔を見て、元樹は少し照れる。


「まあ……緊急事態って言われたら、来るだろ」

「優しいのね」


 奈々美の目が、柔らかく微笑んでいる。


「それで……ゴキブリはどうしたんだ?」


 元樹が聞くと、奈々美は少し視線を逸らした。


「実は……もういないの」

「え?」

「元樹くんを呼んだ後、頑張って追い出したの」


 その言葉に、元樹は脱力した。


「じゃあ……俺が来る必要……」

「でも!」


 奈々美が慌てて言う。


「元樹くんが来てくれて、本当に嬉しかった」


 その真剣な表情に、元樹は何も言えなくなった。


「私……元樹くんが来てくれるか、不安だったの」


 奈々美は続ける。


「昨日の電話の後、きっと嫌われたって思って」

「でも、すぐに来てくれた」


 奈々美の目に、涙が浮かんでいる。


「それだけで……嬉しかった」


 その言葉に、元樹の胸が温かくなった。


「奈々美……」

「ごめんね、くだらないことで呼び出して」


 奈々美は涙を拭う。


「でも……会いたかったの」


 目をうるうるさせながら見つめてくる奈々美から目が離せなかった。

 だが実は、この「緊急事態」は、全て奈々美の計算だった。

 ゴキブリなど、最初からいなかった。

 奈々美は昨夜の電話の後、次の一手を考えていた。


『元樹くんを、もう一度こちらに呼び寄せる』


 そのためには、理由が必要だった。

 普通に「会いたい」と言っても、昨日の電話の後では警戒されるかもしれない。

 だから――緊急事態を装う。

 元樹の優しさを利用する。


『困っている人を放っておけない性格』


 それが、元樹の最大の弱点。

 そして――最大の魅力。

 電話をかける時、奈々美は完璧に演技した。

 焦った声。

 泣きそうな声。

 切羽詰まった雰囲気。

 全てが計算された演技。


『そして、元樹くんは予想通り、すぐに来てくれた』


 奈々美は内心で微笑んでいた。


『可愛い……本当に、優しすぎる』


 元樹が安堵している姿を見て、奈々美の心は満たされていく。


『私のために、こんなに心配してくれる』

『私のために、遠くから駆けつけてくれる』


 それが、奈々美にとっては何よりも嬉しいことだった。


「元樹くん」


 奈々美は優しく微笑む。


「お茶、入れるね」

「あ、うん……」


 元樹は頷く。

 奈々美が台所に向かう間、元樹は一人でリビングに座っていた。


「はぁ……」


 改めてため息をつく。


「ゴキブリか……」


 でも、不思議と怒りは湧いてこない。

 むしろ――


「奈々美も、普通の女の子なんだな」


 そう思えた。

 ゴキブリが怖い。

 一人で対処できなくて、誰かに頼る。

 それは、ごく普通のことだ。


「可愛いところもあるんだな」


 そう思った瞬間、元樹ははっとした。


「可愛いって……俺、何考えてるんだ」


 頬が熱くなる。


「いや、でも……」


 奈々美の困った顔。

 少し頬を膨らませた表情。

 涙ぐんでいた目。

 全てが、妙に可愛く見えた。


「俺……どうしちゃったんだ」


 元樹は自分の気持ちに戸惑っていた。




「お待たせ」


 奈々美が戻ってきて、お茶とお菓子を置いた。


「ありがとう」


 元樹は湯呑みを手に取る。

 温かいお茶の香りが、心を落ち着かせる。


「ねえ、元樹くん」


 奈々美が口を開く。


「昨日の電話……ごめんね」

「え?」

「きつい言い方しちゃった」


 奈々美は俯く。


「『私は諦めない』とか……脅すみたいに」


 その言葉に、元樹は首を振った。


「いや……奈々美の気持ちは、わかるから」

「本当に?」


 奈々美が顔を上げる。


「ああ」


 元樹は真剣な表情で答える。


「俺のせいで、奈々美は両親を失った」

「それは……重いことだ」


 元樹は続ける。


「だから、奈々美が俺に執着するのも……理解できる」


 その言葉に、奈々美の表情が変わった。


「元樹くん……」

「でも」


 元樹は奈々美を見つめる。


「俺は、まだ答えが出せないんだ」

「玲のことも、奈々美のことも……両方、大切なんだ」


 その正直な告白に、奈々美は少し考えてから口を開いた。


「わかった」

「え?」

「焦らないで、ゆっくり考えて」


 奈々美は優しく微笑む。


「私は待ってるから」


 その言葉に、元樹は驚いた。

 昨日の電話とは、全く違う態度。


「奈々美……」

「でもね」


 奈々美は続ける。


「一つだけお願いがあるの」

「何?」

「たまには、こうして会いに来て」


 奈々美は少し寂しそうに微笑む。


「一人でいると……寂しいから」


 その表情に、元樹の心が動いた。


「わかった」

「本当?」

「ああ。また来るよ」


 元樹の約束に、奈々美の顔が明るくなった。


「ありがとう!」


 その笑顔が、とても可愛く見えた。

 本性の覚醒

 お茶を飲み終わった後、奈々美が提案した。


「ねえ、少し散歩しない?」

「散歩?」

「うん。この近くに、綺麗な公園があるの」


 奈々美の提案に、元樹は頷いた。


「いいよ」


 二人は家を出て、住宅街を歩き始めた。

 夏の日差しが強いが、木陰を選んで歩くと心地よい。


「元樹くん」


 奈々美が話しかける。


「何?」

「今日、来てくれて本当に嬉しかった」

「そう言ってくれると、来た甲斐があったよ」


 元樹は微笑む。


「ゴキブリだったけどね」

「もう! それ、何回も言わないで!」


 奈々美が頬を膨らませる。

 その表情が、また可愛い。


「ごめんごめん」


 元樹は笑う。

 二人の距離が、自然と近くなっていく。

 公園に着くと、ベンチに座った。

 夏の蝉の声が、周りに響いている。


「気持ちいいね」


 元樹が言うと、奈々美は頷く。


「うん」


 二人はしばらく黙って、景色を眺めていた。

 そして――奈々美が、ゆっくりと口を開いた。


「ねえ、元樹くん」

「ん?」

「私ね……ずっと我慢してたの」


 その言葉に、元樹は奈々美を見る。


「我慢?」

「うん」


 奈々美は微笑む。

 でも、その笑顔は――今までとは少し違っていた。


「元樹くんを束縛しないように」

「距離を置くように」

「冷静に振る舞うように」


 奈々美は続ける。


「でも……本当は」


 奈々美が元樹の方を向く。

 その瞳には、今まで見たことのない熱が宿っていた。


「本当は、もっと元樹くんを独占したい」

「ずっと一緒にいたい」

「離したくない」


 その言葉と共に、奈々美は元樹の腕を掴んだ。


「奈々美……?」


 元樹が驚くと、奈々美は元樹に寄りかかってきた。


「だめ……我慢できない」


 奈々美の声が、甘く響く。


「元樹くんが、今日来てくれて」

「私のために、心配してくれて」

「嬉しすぎて……もう、我慢できない」


 奈々美は元樹を見上げる。

 その瞳は、愛情と執着が混ざり合っていた。


「元樹くん……好き」

「大好き」

「世界で一番、好き」


 その告白に、元樹の心臓が激しく跳ね上がった。


「奈々美……」

「玲さんには悪いけど」


 奈々美は続ける。


「私、諦められない」

「元樹くんは、私のものなんだから」


 その言葉には、独占欲が滲み出ている。

 でも――


「可愛い……」


 元樹は思わず呟いてしまった。


「え?」


 奈々美が目を丸くする。


「今……何て?」

「あ、いや……」


 元樹は慌てて誤魔化そうとするが、奈々美は離さない。


「聞こえたよ」


 奈々美は嬉しそうに微笑む。


「『可愛い』って言ったでしょ?」

「それは……」

「嬉しい」


 奈々美は元樹に更に寄りかかる。


「元樹くんに可愛いって言われるの、すごく嬉しい」


 その無邪気な笑顔に、元樹は心を奪われていく。

 確かに、奈々美の言動は執着的だ。

 独占欲が強い。

 でも――

 その全てが、愛情から来ているように見える。

 歪んでいるかもしれないが、純粋な愛情。


「元樹くん」


 奈々美が元樹の顔を覗き込む。


「私と、もっと一緒にいてくれる?」


 その問いに、元樹は答えられなかった。

 ただ、奈々美の顔が近すぎて、心臓が爆発しそうだった。


「ねえ、元樹くん」


 奈々美は元樹の腕を抱きしめたまま、続ける。


「私ね、ずっと考えてたの」

「どうやったら、元樹くんを振り向かせられるかって」

「冷静に振る舞う?」

「距離を置く?」

「変わったって見せる?」


 奈々美は首を振る。


「でも、違った」

「本当の私を見せなきゃいけないって、気づいたの」


 その言葉に、元樹は少し不安を感じた。


「本当の……奈々美?」

「うん」


 奈々美は元樹を見つめる。


「私ね、元樹くんのことが大好きすぎて、おかしくなりそうなの」

「朝起きたら、元樹くんのこと考えてる」

「夜寝る前も、元樹くんのこと考えてる」

「ご飯食べてる時も、お風呂に入ってる時も」

「いつも、いつも、元樹くんのことばかり」


 その告白は、情熱的だった。

 でも同時に――少し怖い。


「それって……」


 元樹が言いかけると、奈々美が遮った。


「執着?」

「病的?」

「ヤンデレ?」


 奈々美は笑う。


「そうかもしれない」

「でも、これが私の愛し方なの」


 その言葉に、元樹は何も言えなくなった。


「元樹くん、怖い?」


 奈々美が不安そうに聞く。


「いや……」


 元樹は首を振る。


「怖くは……ない」

「本当?」

「ああ」


 元樹は正直に答える。


「むしろ……」

「むしろ?」


 奈々美が期待を込めて見つめる。


「こんなに想ってくれてるんだって……嬉しい」


 その言葉に、奈々美の顔が輝いた。


「本当に!?」

「ああ」


 元樹は照れながら頷く。


「奈々美の気持ち……伝わってる」

「やった!」


 奈々美は嬉しそうに飛び跳ねる。

 その無邪気な姿が、とても可愛い。


「じゃあ、もっと言うわ!」


 奈々美は元樹の手を握る。


「元樹くんの好きなところ、たくさんあるの」

「優しいところ」

「困ってる人を放っておけないところ」

「真面目なところ」

「でも、たまに抜けてるところ」


 次々と挙げられる元樹の特徴に、元樹は恥ずかしくなる。


「そんなに……見てたのか」

「当たり前でしょ」


 奈々美は胸を張る。


「元樹くんのこと、誰よりも見てるもん」

「誰よりも知ってるもん」


 その自信に満ちた表情が、妙に可愛い。


「あとね」


 奈々美は更に続ける。


「元樹くんの寝癖も可愛い」

「朝、眠そうにしてるのも可愛い」

「困った顔も可愛い」

「笑った顔はもっと可愛い」

「全部、全部、可愛い!」


 奈々美の目がキラキラと輝いている。


「奈々美……」


 元樹は完全に圧倒されていた。

 奈々美の情熱的な告白。

 止まらない言葉の洪水。

 でも、その全てが嘘ではないことが伝わってくる。


「それでね、それでね!」


 奈々美は興奮した様子で続ける。


「元樹くんの声も好き」

「電話で聞くと、ドキドキするの」

「メッセージも、何度も読み返しちゃう」

「元樹くんが打った文字、全部大切にしてるの」


 その告白に、元樹は胸が締め付けられる思いがした。

 愛されている。

 こんなにも、深く。


「奈々美は……本当に、俺のことが好きなんだな」


 その言葉に、奈々美は真剣な表情になった。


「当たり前じゃない、ずっと言ってるでしょう」

「私にとって、元樹くんは全てなの」

「両親を失って、一人ぼっちになった私を」

「元樹くんは慰めてくれた」

「『一緒にいる』って約束してくれた」


 奈々美の目に、涙が浮かぶ。


「あの時から、私の世界は元樹くんだけなの」

「他の人なんて、どうでもいい」

「元樹くんさえいれば、私は生きていける」


 その言葉の重さに、元樹は言葉を失った。


「だから……」


 奈々美は元樹の手を強く握る。


「玲さんに、元樹くんを渡したくない」

「誰にも、渡したくない」

「元樹くんは、私のものなの」


 その宣言は、独占欲に満ちていた。

 でも――


「可愛いな……」


 元樹は再び呟いてしまった。


「え? また言った!」


 奈々美は嬉しそうに笑う。


「もう、元樹くん! 照れるわ!」


 頬を赤らめる奈々美。

 その表情が、あまりにも可愛くて、元樹の心は揺れ動いていく。

 惹かれていく元樹


「ねえ、元樹くん」


 奈々美が元樹の肩に頭を乗せる。


「私と、ずっと一緒にいてくれる?」


 その問いに、元樹は答えられない。

 でも、拒絶することもできない。


「まだ、答えが出せないんだ」

「そっか」


 奈々美は少し寂しそうに微笑む。


「でも、今日は来てくれた」

「それだけで、嬉しい」


 奈々美は元樹を見上げる。


「元樹くん、私のこと、少しは好き?」


 その問いに、元樹は心臓が跳ね上がった。


「それは……」

「少しでもいいの」


 奈々美は続ける。


「嫌いじゃなければ、それでいい」


 その謙虚な姿勢に、元樹は胸が痛む。


「嫌いじゃない」


 元樹は答える。


「むしろ……」

「むしろ?」


 奈々美が期待を込めて見つめる。


「奈々美のこと……好きかもしれない」


 その言葉に、奈々美の顔が輝いた。


「本当!?」

「ああ……でも」


 元樹は続ける。


「玲のことも好きなんだ」

「両方、好きなんて……おかしいよな」


 その告白に、奈々美は少し考えてから答えた。


「おかしくないよ」

「え?」

「人の心って、複雑なんだもん」


 奈々美は優しく微笑む。


「一人だけを愛さなきゃいけないなんて、そんなルールない」

「でも……」

「私は待ってる、元樹くんの一番になれる日を」


 奈々美は元樹の手を握る。


「元樹くんが、私を選んでくれる日を」

「いつまでも、待ってるから」


 その言葉に、元樹は複雑な気持ちになった。

 奈々美の愛情は、確かに重い。

 執着的で、独占欲が強い。

 でも――

 それが、全て嘘ではないことも感じる。


「奈々美……」

「ん?」

「ありがとう」

「何が?」

「待っててくれて」


 元樹の言葉に、奈々美は嬉しそうに笑った。


「当たり前でしょ」

「私、元樹くんのためなら、何でもできるもん」


 その無邪気な笑顔に、元樹は心を奪われていく。

 この一連の奈々美の行動も、全て計算されていた。

「本性を見せる」と言いながら、実際は「計算された本性」だった。

 元樹が好む「可愛さ」を研究し尽くした奈々美。

 無邪気に振る舞う。

 感情的になる。

 でも、決して怖がらせない程度に。


『元樹くんは、執着されるのは嫌がる』

『でも、愛されることは嬉しい』


 その微妙なバランスを、奈々美は完璧に理解していた。

 だから――

 独占欲を見せながらも、「可愛い」と思わせる。

 執着を語りながらも、「愛おしい」と感じさせる。

 全てが、計算された演技。

 でも――

 奈々美の気持ち自体は、本物だった。

 元樹への愛情。

 一緒にいたいという想い。

 それらは、全て真実。

 ただ、その表現方法を、元樹の好みに合わせているだけ。


『完璧……』


 奈々美は内心で微笑む。


『元樹くんは、どんどん私に惹かれていく』


 元樹の表情を見れば、わかる。

 戸惑いながらも、心が動いている。

「可愛い」と何度も言ってくれた。

 それは、確実に好意の証。


『玲なんかに、負けない』


 奈々美の心に、静かな勝利の確信が生まれていた。




 公園のベンチで、二人はしばらく並んで座っていた。

 蝉の声が響く中、静かな時間が流れる。


「ねえ、元樹くん」


 奈々美が口を開く。


「小さい頃のこと、覚えてる?」

「小さい頃?」

「うん。あの公園で、初めて会った時」


 奈々美は遠い目をする。


「私、泣いてたよね」


 元樹は頷く。


「覚えてる……昨日、全部思い出したんだ」

「そっか」


 奈々美は微笑む。


「元樹くんは、優しく声をかけてくれた」

「『大丈夫だよ』って」

「『僕がいるから』って」


 その言葉を繰り返す奈々美の声は、懐かしさに満ちていた。


「あの時、私は思ったの」

「この人が、私を守ってくれるんだって」

「この人と一緒なら、怖くないって」


 奈々美は元樹を見つめる。


「だから、ずっと信じてた」

「いつか、また会えるって」

「そして、また一緒にいられるって」


 その真剣な表情に、元樹は胸が締め付けられた。


「でも……俺は、約束を破った」

「引っ越す時、何も言わずに行っちゃった」


 元樹は俯く。


「本当に……ごめん」

「いいの」


 奈々美は首を振る。


「元樹くんは、子供だったんだもん」

「悪いのは、大人たち」

「元樹くんのせいじゃない」


 その優しさに、元樹は顔を上げた。


「奈々美……」

「でもね」


 奈々美は続ける。


「今度は、離れないでね」

「今度こそ、ずっと一緒にいてね」


 その願いに、元樹は何も答えられなかった。

 ただ、奈々美の手を、そっと握り返すことしかできない。

 その仕草に、奈々美は嬉しそうに微笑んだ。




 午後3時を過ぎた頃、元樹は帰ることにした。


「そろそろ……帰らないと」

「そっか」


 奈々美は少し寂しそうに頷く。


「でも、今日は来てくれて、本当にありがとう」

「ゴキブリで呼び出して、ごめんなさい」

「ぷぅ!」


 元樹が口元を抑えて笑うと、奈々美も恥ずかしそうに笑った。


「もう! それ、言わないでって!」

「ごめん、ごめん」


 二人は駅に向かって歩き始めた。

 住宅街の静かな道。

 木々の間から差し込む夏の日差し。

 全てが、穏やかな時間を演出している。


「元樹くん」


 奈々美が呼びかける。


「何?」

「また、来てね」


 その問いに、元樹は頷いた。


「ああ。また来るよ」

「約束ね?」

「約束する」


 元樹の言葉に、奈々美は満面の笑みを見せた。


「やった! 楽しみにしてるわ!」


 その無邪気な笑顔が、とても可愛い。

 元樹は、自分の心が確実に動いているのを感じていた。

 玲への想い。

 それは変わらない。

 でも――

 奈々美への想いも、確実に芽生えている。


「俺は……どうすればいいんだ」


 心の中で呟く元樹。

 答えは、まだ見えない。

 駅での別れ

 駅に着くと、電車の時間まで少しあった。


「じゃあ、気をつけてね」


 奈々美が見送ろうとすると、元樹が声をかけた。


「奈々美」

「何?」

「今日は……ありがとう」

「え?」


 奈々美が不思議そうな顔をする。


「俺、今日来て良かったって思ってる」


 元樹は正直に言う。


「奈々美の色々な顔が見れて」

「可愛いところも、情熱的なところも」

「全部、知れて良かった」


 その言葉に、奈々美の頬が赤く染まった。


「もう……恥ずかしいこと言わないでよ」

「本当のことだよ」


 元樹は微笑む。


「俺、奈々美のこと、もっと知りたいって思った」


 その告白に、奈々美の目が輝いた。


「本当に?」

「ああ」

「じゃあ……」


 奈々美は少し考えてから口を開いた。


「次は、もっと色々話そうね」

「私のこと、たくさん知ってほしいの」

「ああ。俺も、色々話すよ」


 二人の約束に、周りの空気が温かくなる。

 電車の到着を告げるアナウンスが流れた。


「行かなきゃ」

「うん」


 元樹が電車に乗り込もうとした時、奈々美が声をかけた。


「元樹くん!」

「ん?」


 振り返ると、奈々美が少し恥ずかしそうに微笑んでいた。


「大好き」


 その言葉に、元樹の心臓が跳ね上がった。


「俺も……」


 言いかけて、元樹は言葉を飲み込んだ。


「また、連絡する」


 そう言って、電車に乗り込む。

 窓から手を振る奈々美。

 その姿が、電車が動き出すにつれて小さくなっていく。

 元樹は席に座り、大きく息を吐いた。


「奈々美……」


 今日一日で、色々なことがあった。

 緊急事態だと思って駆けつけたら、ゴキブリ。

 でも、そこから見えた奈々美の素顔。

 可愛くて、情熱的で、そして――少し危うい。


「俺は……奈々美に惹かれてる」


 その事実を、認めざるを得なかった。

 玲への想いと、奈々美への想い。

 両方が、心の中で渦巻いている。


「どうすればいいんだ……」


 答えの出ない問いを抱えたまま、元樹は帰路についた。




 夜、元樹は家に帰り着いた。


「ただいま」

「おかえり、お兄ちゃん」


 由美が玄関に出迎える。


「どうだった?」

「うん……色々あった」


 元樹は靴を脱ぎながら答える。


「色々って?」


 由美が興味津々で聞いてくる。


「リビングで話すよ」


 二人はリビングに移動し、ソファに座った。


「それで? 奈々美さん、大丈夫だったの?」

「ああ……大丈夫だった」


 元樹は少し恥ずかしそうに続ける。


「ゴキブリが出たって話だった」

「……え?」


 由美は目を丸くする。


「ゴキブリ? それで緊急事態って?」

「そっか」


 元樹は苦笑する。


「拍子抜けしたよ」

「でも……」

「でも?」


 由美が身を乗り出す。


「奈々美と、色々話せた」


 元樹は真剣な表情になる。


「奈々美の本当の気持ちとか」

「俺への想いとか」

「全部、聞けた」

「それで、どう思ったの?」


 由美の質問に、元樹は少し考えてから答えた。


「惹かれてる」

「え?」

「俺……奈々美に、惹かれてるんだと思う」


 その告白に、由美は複雑な表情を見せた。


「でも……玲さんは?」

「玲も好きだ」


 元樹は頭を抱える。


「両方、好きなんだ」

「そんなの……おかしいよな」


 由美は少し考えてから、優しく言った。


「おかしくないよ」

「でも、最終的には選ばなきゃいけないよ」

「それは……わかってる」


 元樹は窓の外を見つめる。


「でも、まだ答えが出せない」

「焦らなくていいよ」


 由美は兄の肩を叩く。


「ゆっくり考えて」

「でも、あまり長く待たせるのも良くないからね」

「わかってる」


 元樹は小さく頷いた。




 元樹が部屋でぼんやりしていると、スマホが震えた。

 玲からのメッセージだった。


『元樹、今日はどうだった?』


 元樹はドキッとする。

 玲に奈々美に会いに行ったのが知られているのかと思った。


「何か動画サイトでよく見る浮気しているクズ男みたいだな」


 俺は少し迷ったが、返信することにした。


『色々あったよ』


 すぐに返信が来る。


『色々? 大丈夫?』

『うん、大丈夫』


 元樹は続ける。


『奈々美に会ってきた』


 その返信を送った後、少し後悔する。

 玲を傷つけてしまうかもしれない。

 しかし、玲からの返信は意外なものだった。


『そっか。ちゃんと話せた?』

『ああ、色々話せた』

『良かったね。元樹が納得できる答えを見つけられるといいね』


 その優しさに、元樹は胸が痛んだ。


『玲……ごめん』

『謝らないで。私は待ってるから』

『元樹が、ちゃんと考えて出した答えなら、どんな答えでも受け入れる』


 玲の言葉に、元樹は涙が出そうになった。


『ありがとう』

『おやすみ、元樹』

『おやすみ、玲』


 メッセージを閉じた後、元樹はベッドに横になった。


「玲……」


 優しすぎる玲。

 自分のことよりも、元樹の気持ちを優先してくれる玲。


「奈々美……」


 情熱的で、一途な奈々美。

 元樹だけを見つめ続けてくれる奈々美。


「俺は……どっちを選べばいいんだろうか…」


 その答えを見つけるまで、元樹の葛藤は続く。

 窓の外では、夏の夜が静かに更けていく。

 蝉の声も止み、静寂だけが残る。

 元樹は目を閉じ、明日のことを考える。


「もう少し……もう少し時間をくれ」


 誰に向けたものかわからない呟きが、暗闇の中に消えていった。




 翌朝、元樹は比較的すっきりした気分で目を覚ました。

 昨日、奈々美と話せたことで、少し心が軽くなった気がする。


「おはよう」


 リビングに降りると、由美が既に朝食を食べていた。


「おはよ、お兄ちゃん。今日は顔色いいね」

「そうか?」


 元樹は鏡を見る。

 確かに、昨日よりは血色が良い。


「奈々美さんと話して、スッキリしたんじゃない?」

「まあ……そうかもな」


 元樹はトーストを手に取る。


「でも、まだ答えは出てないんだけど」

「焦らなくていいって」


 由美は兄を励ます。


「お兄ちゃんのペースで考えればいいよ」

「ありがとう」


 元樹は微笑む。

 朝食を終えて、元樹は部屋に戻った。

 スマホを見ると、奈々美からメッセージが届いていた。


『おはよう、元樹くん。昨日はありがとう。また会えるの、楽しみにしてるね』


 その文面には、絵文字も付いている。

 いつもよりも、明るく可愛らしい雰囲気。

 元樹は微笑みながら返信した。


『おはよう。こちらこそ、楽しかったよ。また連絡する』


 送信した後、元樹は窓の外を見た。

 夏の青空が広がっている。


「今日も、暑くなりそうだな」


 でも、心は少し軽い。

 奈々美との時間が、元樹に新しい視点を与えてくれた。


「奈々美の可愛いところ、たくさん見れたな」


 思い出すだけで、頬が緩む。




 同じ頃、奈々美は自分の部屋で満足そうに微笑んでいた。


「完璧……」


 昨日の作戦は、大成功だった。

 元樹を呼び寄せ、「本性」を見せ、そして――惹きつけた。


「『可愛い』って、何回も言ってくれた」


 奈々美は鏡の前に立つ。

 そこに映るのは、普段の穏やかな表情ではなく――

 計算高く、冷静な表情。


「演技は完璧だった」


 昨日見せたのは、全て計算されたもの。

 元樹が好む「可愛さ」を研究し、完璧に再現した。

 情熱的でありながら、怖がらせない。

 執着を見せながらも、愛おしいと思わせる。

 全てが、緻密に計算されていた。


「元樹くんは、どんどん私に惹かれていく」


 奈々美は確信していた。


「玲なんかに、負けるわけない」


 鏡に映る自分に向かって、勝利を宣言する。


「次は……もっと深く、元樹くんの心に入り込む」


 奈々美は次の作戦を考え始めた。

 電話が鳴る。

 画面を見ると、由美からだった。


「はい、もしもし」


『奈々美さん、こんにちわ』


 由美の声が聞こえる。


「こんにちわ、由美ちゃん。」


『お兄ちゃん、すごく奈々美さんのこと考えてましたよ』


「本当?」


 奈々美の声が明るくなる。


『はい。『可愛い』って何度も言ってました』


「やったわ…元樹くんには可愛いと言ってしまう魔法をかけてあるから」


 奈々美は満足そうに微笑む。


「由美ちゃん、これからもお兄さんのこと、教えてね」


『もちろんです! 私、奈々美さんとお兄ちゃんが結ばれるの、応援してますから』


「ありがとう。頼りにしてるわ」


 電話を切った後、奈々美は窓の外を見つめた。


「元樹くん……」


 愛情と執着が混ざり合った瞳。


「必ず、私のものにする」

「今度こそ、絶対に」


 奈々美の計略は、着実に進行していた。

 そして元樹は、その掌の上で踊り続けている。

 気づかないまま――奈々美に惹かれていく。

 物語は、新たな段階へと進んでいく。

 夏の終わりに向けて、それぞれの想いが交錯し、絡み合っていく。

こんにちは、奈々美です。

……今回はね、ちょっと頑張っちゃいました。ふふ。


「緊急事態」なんて言葉、使うのずるいって思うでしょ?

でも、どうしても元樹くんに会いたかったの。

昨日の電話のあと、きっと嫌われちゃったかもしれないって思って、

そのまま一晩中眠れなかったのよ。


だから……作戦を立てたの。

だって、彼は困ってる人を放っておけない性格なんだもの。

優しいのよね、本当に。

そういうところ、大好き。


結果? 大成功。

元樹くん、ちゃんと来てくれた。

心配してくれた。

しかも、“可愛い”って何回も言ってくれたの。


……ねぇ、聞いた?

“可愛い”って。

その一言だけで、一週間は幸せに生きられると思う。


でもね、あれは全部「計算」なんかじゃないの。

少しは狙った部分もあるけど、

ちゃんと心からの気持ちなの。


元樹くんに、もっと私を見てほしい。

もっと笑ってほしい。

そしていつか――「好き」って言ってほしい。


次は、もう少しだけ本音を見せるつもり。

でも油断しないでね、元樹くん。

私はまだ、物語の途中だから。


――柊 奈々美

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