幕間(フィリエル)
屋敷の扉は固く閉められていた。
今日は祭りだから、使用人にも暇が出されているはずだけれど、一人だけ残っていた使用人の男性が現れ門を開けてくれた。
しかし、急な往訪に酷く困っていた。
「旦那様は留守ですので」
「俺は弟で、こっちは婚約者だぞ。屋敷で待たせて貰えるか?」
「あ。ガスパル様と婚約者のコレット様でしたか。これは大変失礼いたし――ぅわっ」
ヒルベルタは使用人を突き飛ばすと、ヒールで踏みつけ声を荒らげた。
「誰と間違えていますの? 私はヴェルネル様の婚約者のヒルベルタよ。使用人なら覚えておきなさい!」
「も、申し訳ございません」
「ヒルベルタ。やめなさい。貴女、サリアから使用人の扱いを学んでいないのかしら?」
「あー。あのうるさいメイドなら、もう追い出したわ。婚約式まで我慢しようと思ったけど、もう限界。お父様にお仕置きしてもらって、ここを出る前に出て行かせたわ」
「な、何ですって!? サリアは貴女に貸しただけなのよ」
「細かいことはいいじゃない。ラシュレ家には優秀な使用人が沢山いるのでしょう?」
サリアでもヒルベルタに物を教えることは出来なかったようだ。コレットの妹だから、変われる機会を与えたつもりだったのに。
「サリアは一人しかいないわ。……ガスパル」
「何だ。フィリエル?」
「二人になってから話すつもりだったのだけれど、もう我慢できない。――私は貴方との婚約を破棄します。正式な書面は明日にでも送ります。さようなら」
「フィリエルっ。待ってくれ。何でそんなこと……。俺はもうすぐ近衛騎士に戻れるし、何の心配も」
私の進路を阻むガスパルは、まだ絵空事を口にする。
もう聞き飽きてしまった。
「貴方が兄の元でやり直すなら、もう少しだけ見守るつもりでいたわ。でも、近衛騎士になるなら側にはいられない。コレットを陥れて手に入れた役職でしょ。それに、今度はレンリまで陥れようとしている。見損ないました」
「そんなの……夢の為なら小さな犠牲じゃないか」
「そうよ。誰でも上へ行くには誰かを踏み台にしないと。良い席の数は無限ではないのよ。限られた数しかないのだから」
「そうだ。ヒルベルタの言う通りだ。フィリエルは公爵家の令嬢だから、俺達みたいな立場の小さな貴族のことが分からないんだよ」
「ええ。分からないわ。幼馴染みを踏み台にする男も、自分の兄の婚約者と浮気する男も、理解できないわ!」
サリアから報告を受けていた。ガスパルがキールス家に通っていることを。それがライアス様の元ではなく、ヒルベルタの部屋へだということを。
それが本当か、ガスパルに確認しようと思っていた。
でも、そんな必要はない。浮気が本当でも間違いでもどちらでも私の気持ちは変わらないのだから。
「な、浮気なんてしてない。俺が愛しているのはフィリエルだけだっ!」
「サリアから聞いているわ。隠さなくても良いのよ。もう、浮気じゃないもの。私と貴方は何の関係もない他人同士ですから。二度と私の前に現れないでっ」
私は愕然とするガスパルを残して屋敷の門を出た。
外へ出ると急に足の力が抜けて、その場に座り込んでしまった。
どうしてだろう。ガスパルが追いかけてきてくれなくて、悲しんでる自分がいる。
私も馬鹿だな。あんな奴を好きになってしまって。
きっと、明日コレットの甘いお菓子を食べたら、この苦い思い出は忘れられる。
私はお揃いのイヤリングにそっと手を伸ばした。
「あら? 無い…… 」
さっき玄関に落としてしまったのだ。門から中を覗くと扉は閉まり、使用人の男の人が扉の前に立っていた。
イヤリングの事を尋ねると、中に入ればすぐ渡すことが出来ると教えてくれた。
あれはコレットとお揃いの大切なイヤリングだから、どうしても取り戻したかった。
玄関を開けると、ガスパルの声がした。客室の扉は開いたままで中の声が筒抜けだった。
『俺はフィリエルがいないと駄目なんだ』
『もう無理よ。諦めなさいよ』
『諦められる訳がないだろっ』
使用人の方は気まずそうに私へイヤリングを渡してくれた。何も聞かなかった事にして屋敷を後にしようとした時、ヒルベルタの恐ろしい提案が耳に入った。
『だったら。今から追いかけて押し倒して、既成事実でも作ってしまえば?』
『きせい?……そうしよう』
私と使用人は顔を見合わせ、玄関の扉を急いで閉めようとした。
『ちょっと、冗談よ。冗談! 本気にしないで。流石にそれをしたらラシュレ公爵に殺されそうだわ』
『そ、そうだな。なら言うなよ』
『だって。フィリエルフィリエル言うから……。ガスパルには、私がいるじゃない。夢の邪魔ばかりする女なんて、もう捨てちゃいなさいよ。捨てられるんじゃなくて、捨てちゃうの!』
『無理』
子どもみたいに聞き分けが悪くて、浅知恵ばかりぶつけ合う二人に、私も使用人の方も呆れてしまった。
『ちょー未練タラタラじゃない。もう……だったらぁ。見せつけちゃえばいいわよ。ガスパルは良い男だからモテるんだぞって』
『浮気は許されないし。するつもりもない』
『私としてるじゃない』
『別に好意を寄せられているから相手してるだけで、ヒルベルタに気持ちはないから浮気じゃないだろ』
前回と同じ考えみたい。どうしてそう都合良く解釈できるのか理解に苦しむ。でも、別に理解しなくてもいいのだ。もう彼とは無関係なのだから。
『へぇー。だったらぁ。フィリエルもそれを分かっていて前も許してくれたんじゃない? 貴方を独占したくてくやしかっただけよ。近衛騎士になってモテモテの貴方を見れば戻ってくるわよ』
『そうかな?』
『ええ。ヴェルネル様も帰ってこないし、いつもみたいに、お互い慰め合いましょ?』
『ああ。そうだな』
覗きは良くないって分かってる。
はしたない行為だなって思うけれど、現実を目の当たりにして、自分が何を思うのか知りたくて、私は開いた扉の隙間からそっと部屋の中を見た。




