013 笑えないこと
戻ってきたメルヒオール様は眉間に深いシワを刻み、重苦しいオーラをまとっていた。でも、武器庫の剣を視界に入れるなり瞳をパッと輝かせた。
まるで少年に戻ったようなその表情に、私とエミルは顔を見合わせて微笑み合った。
「これは……何をしたのだ?」
「ずっと美しく輝き続けますように。とお祈りを込めました」
「……というより。これは魔法だな。剣を守るように薄い魔力の膜が張られている。こんなことも出来るのだな。他にも出来るのか?」
壁にかけられた剣を一つ手に取り、メルヒオール様はそう口にした。メルヒオール様は魔法の心得があるようだ。
「はい。部分的に強化したり、剣を軽くしたりも出来ます」
「軽くか……」
「ねぇ。フラン食べたい」
「そうね。メルヒオール様、今日のデザートはフランにしました」
エミルがフランの入った箱を持って来て中を見せると、メルヒオール様は頬を緩めた。
「あっ。笑った!」
「…………。好きな物の前で笑うのは可笑しいか?」
エミルの指摘に驚いたメルヒオール様は、私とエミルを交互に見やって不満そうに尋ねた。
「ふふっ。ブレオさんが、旦那様が笑うのは見たことがないって言ってらして。ですが、笑わない方が可笑しいですよね」
「だね!」
◇◇
メルヒオール様はフランを美味しそうに召し上がってくれた。戻ってきた時は暗い顔をしていたけれど、今は楽しそう。サウザン侯爵様との話は少し気になったが聞けず、楽しいひとときを過ごした。
しかしその夜、エミルが絵本の三ページ目で寝落ちした時、メルヒオール様はサウザン侯爵の話を私にした。
「今日サウザン侯爵から、イリヤ殿との婚約の話がでたのだ」
「あ。……お、おめでとうございま……す?」
お祝いの言葉を述べたつもりだったのだけれど、すんっごく睨まれている。婚約はしたくないみたい。何となくほっとする自分に私は驚いた。
もしかしたら、今のこの生活を、エミルと過ごすこの時間を壊したくないのかもしれない。
「何もめでたくはない。国内の貴族令嬢には寄り付かないように圧力をかけていたが、隣国までは手を回せなかった」
何かしてたのね。
確かレンリが女嫌いだと言っていたような気がする。
「ですが。婚姻は大切なことです。ラシュレ家の存続に関わるのですから。レンリが女性嫌いとの噂を聞いたと言っていましたが、そのせいですか?」
「……そうだな。女性は苦手だ。しかし、女性に限定せずとも、みな同じ顔に見える」
「同じ……ですか?」
「ああ。爵位を継いでから。いや、姉が出て行き父が倒れてから、家柄で寄ってくる奴らばかり目にしてきた。男女問わず邪魔なだけだ」
「成る程。ですが、イリヤ様は違うのではありませんか? 純粋にメルヒオール様をお慕いしているように見えました」
私を目の敵にするぐらいなのだから間違いない。
しかしメルヒオール様は顔色を変えず否定した。
「馬鹿を言うな。サウザン侯爵の策略に過ぎん」
「絶対にそれだけでは無いです。イリヤ様はメルヒオール様に気があります。――って、そんな怖い顔で私を見ないでください」
眉間には深いシワ。ついでに瞳が殺気立っているのは気のせいじゃない。
「……笑えない」
「はい?」
「イリヤ殿の前では笑えん」
「あぁ。……そうですか。でも、外ではそうかもしれませんが、お二人で過ごしてみたら違うかもしれませんよ。イリヤ様はラミエル様の剣を見て、すぐにラシュレ家の剣だと仰いましたし、剣が好きなのだと思います。気が合うかもしれませんよ」
相手を知りもしないで拒絶するのは勿体ない。
でも、メルヒオール様は心底呆れたような瞳を私に目を向けた。
「……随分と推すのだな。イリヤ殿のことを」
「格好いいじゃないですか。あんな風になりたいなって憧れているんです」
「そうか。しかし、縁談はもう断った」
「えっ。勿体ない」
「何も勿体なくなどない。それより……君はいずれ隣国へ行くのか?」
「今のところは……ですが、パラキートの町のことも気になっています。シスターはご高齢ですし、後を引き継いで子供達に文字や剣を教えることも好きなのでそれも良いかと。この国に留まるつもりはないですね」
「……ずっとここにいれば良いのにな」
「へ?」
「……え、エミルが、寂しがると思ったのだ」
メルヒオール様は自身の膝を枕にして眠るエミルを指差し訴えた。そんなに必死にならなくてもいいのに。
「エミルを放って急に居なくなったりはしませんよ。そんな無責任な人間ではありませんからね」
「知っている。それぐらい……。――そうだ。七日後に王都で豊穣祭がある。エミルがコレットとレンリも連れていきたいと言っている」
「豊穣祭ですか?」
急に話をすり替えられた気がするけれど、お祭りって楽しそう。
「ああ。街の者達がその日だけの露店を出す。街の中央に焚かれる火が空高く盛れば盛るほど、実りの良い年になると言われている。夜は特に美しいのだ」
「初めて聞きました」
「そうか。貴族の間ではあまり馴染みがないかもな。街に出ずに夜会を開き祝う者が多いのだ。フィリエルは露店のイチゴタルトを毎年楽しみにしている」
「それは魅力的ですね。私も楽しみです」
レンリも知り合いに会う心配はなさそうだし、お祭りなんて初めてで、とても胸がワクワクした。




