005 一日目
ラシュレ家へやって来て一日目。
エミルは終始おおはしゃぎだった。
私がフィリエルと話している間、メルヒオール様と屋敷探検を兼ねて使用人達への顔合わせをしたらしい。
小さくて可愛いエミルと長身で強面のメルヒオール様。ちょっと絵面が思い浮かばないのだけれど、エミルは喜んでいたそうだ。
エミルは夕食をたくさん食べると、執事のハミルトンさんと二階の自室へ上がって行った。
レンリと私は食堂に残り、料理担当のミシュレおばさんと食堂の片付けをしている。
「あら。コレットさんはやらなくていいのよ。貴女は家庭教師なのでしょう? 明日の学びの準備をしなくちゃ」
「いえ。片付けくらい手伝わせてください。三人の方が早いですし、ミシュレさんは明日の仕込みがあるのでしょう?」
「まぁ。フィリエル様のご友人と聞いていたのだけれど、良いお嬢さんだこと。終わったらお茶いれるわね」
「はいっ」
ミシュレさんはほっこりとした笑顔を私に向けた。
お料理上手で穏やかで優しくて、もう大好きになってしまった。
レンリは洗い終えた食器を布で拭きながら、私の隣に来ると微笑んだ。
「コレット。ご機嫌ですね。フィリエル様とは仲直りできたみたいですね。安心しました」
「ええ。フィリエルは私の事を信じてくれていたわ。でも……」
逆を言えば、ガスパルの嘘が明らかになった訳で、私が二人の仲を引き裂いたようなもの。手放しで喜ぶことは出来ないし、フィリエルには言えなかったけれど、ガスパルは私の兄や妹に、いいように使われただけかもしれないという可能性もある。
でも、きっとフィリエルは、ガスパルが立ち直るまで見守ったとしても、生涯寄り添う気は無いのだろうけれど。
「コレットが気に病むことでは無いですよ。各々自分の気持ちに従って動くだけですから、後は本人同士が決めることです」
「そうね」
「あの。コレットは……ヴェルネル様とはあのままでよろしいのですか?」
「えっ?」
「あ、いえ。……ヴェルネル様が、職務中に現れたヒルベルタを邪険に扱い追い返したと、先ほど届いた兄の手紙で知りまして」
「そうなのね……」
今日、二度も彼の名前を聞くとは思っていなかった。
レンリも今まで一度も彼の話はしなかったのに。
「フィリエル様のように、ヴェルネル様がもしもまだコレットの事を想っていたら……。嬉しいですか?」
「そ、それは……。愚問だわ。私はもう侯爵家の令嬢ではないのよ。彼の事は忘れて、隣国で素敵な方を見つけてみせるわ」
「そうですか」
レンリがほっと安堵したように微笑んだ時、二階から騒々しい泣き声が聞こえた。
『うわぁぁ~んっ』
この声はエミルだ。レンリは心当たりがあるのか、天井を見上げると不安そうに私に言った。
「エミル。一人で寝られないみたいなんです。母親が亡くなってからは、ゲインズさんの部屋で寝ていたそうで。ここへ来るまでの宿も僕と一緒でしたし」
「行ってみましょう」
「はい」
◇◇
エミルの部屋の扉は半開きだった。
声が響いていたので、恐らく部屋から逃げ出そうとして連れ戻されたのだろう。
部屋の中からハミルトンさんの声が漏れ聞こえた。
「今夜から、こちらでお一人で寝ていただきます。次第に慣れます。瞳を閉じてください」
「ぐすっ。ハミルトンさんの分からず屋っ」
「エミル様。母君は貴方を自分の足で歩いて行けるべく育てて欲しいと願われたのです。こんなところで甘えていてはなりません」
「……っ」
エミルは枕に顔を埋め声を殺して泣いていた。
ずっと母親と二人で暮らして来たエミル。
真夜中に母親を失って、夜が怖いのは当たり前だ。
「失礼します。ハミルトンさん。寝る前に本を読みたいのですが、よろしいですか?」
「本ですか……。それは良いことです。ラミエル様は本好きでして、この部屋にも多数の童話や物語が置かれております」
ハミルトンさんは自慢気に部屋の奥の本棚に手を伸ばし、エミルはそちらへ少しだけ視線を向けていた。
「では、後は私にお任せください」
「はい。コレット様。失礼します」
ハミルトンさんが退室すると、エミルは赤い目をした顔を上げた。
「コレット先生……」
「大丈夫よ。寝るまで側にいるわ。さて、何のお話がいいかしら?」
「えっとね……。雪男を倒した騎士様の話!」
「あら。それは聞いたことがないわ」
「えー。知らないの? じゃあ――」
エミルが笑顔を取り戻すと、レンリはそっと扉を閉めて下の階へ戻って行った。




